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クチュマタン高原の歴史

History of Los Cuchumatanes

解説 池田光穂

標高2400メートルのこの町は、日中の日差しの強さにくらべて、朝夕はめっきり冷える(撮影 1987年)

・15世紀:クチュマタン高原はメキシコ (アステカ)化したキチェのGumarcaah の支配下にあった。

・16世紀初頭までに、キチェ族の支配は 弱体化し、小さいが独立した国家体制群を形成する。

・1525-30年 スペインの征服者た ちによる軍事的支配が確立する(Altos Cuchumatanes)。しかし、他のグアテマラの地域に比べて、植民者たちにそれほどの[経済的・軍事的・宗教的?]魅力はなかった。

・コングレガシオン (congregacion)政策——教会・修道会が信徒を管理する制度(後述)——により、もともと分散居住していた人た ちは教会のある町の中央に居住するようになった。

・コングレガシオン政策は、(i)先住民 のカトリック化と(ii)労働力調達への利便性を確保することに貢献。後者には、エンコミエンダ(先住 民の保全を理由に先住民を管理利用できる)、貢納の査定(tasacion de tributos) 、レパルティミエント(入植者による強制労働徴用制度)がある。

・植民者や入植者の関心は、封建制の維持 よりも企業的的取り組みに、また土地のコントロールよりも労働力のコントロールにあった。

・スペイン王室による土地の確保は、 1635年から1720年のあいだ、中米全体の経済的不況期におこなわれたが、その理由は、この時期に先住 民の労働力調達は低下していたからである。

・労働力の調達が困難になった理由は、 1520年〜1670年のクチュマタンの先住民人口は、スペイン人が持ち込んだ疾病のために急激に落ち込 み、この150年間の90%の人口が激減したと推測されている(ウィリアム・ジョージ・ローベル)。

リンク

文献

- Lovell, William George, 1980

Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099