はじめによんでください

【冬】ふゆ

Japanese Winter is for ONSEN!!!

冬と言えば温 泉である。

わが国の温泉地の 起源は、七世紀の舒明天皇の有馬への行幸 と入湯、八世紀の僧である行基による病人療養のための湯治場の整備だと言われている。一二世紀の終わりには、すでに薬湯の方法が知られ、それを湯治に応用 することが僧侶たちによって考案されていた。江戸時代中ごろには漢方医の後藤艮山とその弟子たちが入浴法について説いており、湯治は民間療法としても、か つ漢方の正統的な治療としても一定の支持をとりつけていたと思われる。

わが国の温泉湯治 の歴史の古さはこのとうりだが、温泉が近 代的な意味で保養地として意味づけられるのは明治時代以降である。東京医学校にお雇い教師として招かれた内科医ベルツは、草津、伊香保、熱海などの温泉の 効果について研究し、それをヨーロッパに紹介している。彼の母国ドイツでは、すでに温泉の科学的分析が化学者リービッヒらによって行なわれており、温泉の 科学的効用は広く認められていた。近代日本における保養地は、まさに近代医学による保証と権威づけによってスタートした。

その後、昭和初期 の一九三一年に公布された国立公園法にお いて、内務省衛生局がそれを所轄することになった。その法律は公園の自然環境が国民にとって保健的であることを強調していた。ところが、第二次大戦後は、 四九年の国際観光ホテル整備法などを通して、観光がより大衆化するなかで、その中味は湯治・保養から歓楽に大きく移り変わる。

温 泉は、その効用を近代医学からお墨付きをもらって近代的な保養地として出発した。しかし交通の整備が進み温泉地に湯治客が集中するようになると、それはも はや癒しの空間ではなく快楽の空間になってしまった。しかし、癒しとは、苦悩している人に心地よさ、すなわち快楽を提供することにほかならないとすれば、 この変化は好ましいものかも知れない

呪術論の四季

医療人類学者・鎮忘斎(池田 光穂)の呪術論の四季、


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池田蛙  医療人類学蛙