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エコ・ツーリズムと中央アメリカ

Eco-Tourism in Central America, 1980s

1993年原稿 池田光穂・著作集【こち ら


原著:エコ・ツーリズムと中央ア メリカ(1993年)池田 光穂

 旅のはじまり


中央アメリカのコスタリカ共和国。そのラクサ航空の機内誌『ラクサーズ・ワールド』の 昨年の最終号には今年の折込付録のカレンダーがあった。今年のテーマはネイチャーすなわち「自然」である。

リサイクルド・ペーパー=再生紙とわざわざ各月に銘打ってあるカレンダーは、ジャ ガー、金剛インコ、蜂鳥、イグアナ、蝶、野生蘭と中央アメリカ独特の動植物や火山や海岸の写真を配してある、一見何の変哲もない代物だ。以前より、とくに 米国の人々にとって、エコ・ツーリズム(生態観光)の代表的な目的地のひとつであったコスタリカが、このような自然によって「代表」されることはとくに珍し いことではない。ちょうど海外でみる日本の風景が富士山・桜・五重の塔をもって代表されること。その程度の当り前さでしかない。

しかし、その凡庸な今年のカレンダーが、じつは中央アメリカへの観光客に対して以前に も増して旅行欲求をかき立てているのである。それは昨年の1月に行なわれたメキシコ・シティでのある和平協定の調印にまで遡る。中央アメリカの別の国エル サルバドルの共和国政府とゲリラ組織ファラブンド・マルチ民族解放戦線が停戦合意したのだ。さらにコスタリカの隣国ニカラグアでは、九〇年に内戦で勝利し たサンディニスタ政権が選挙で敗北し親米派の政権が就いていることも、この旅行ブームへの追風になった。

冷戦終結後の中央アメリカおよびカリブ海地域における政治的安定は、イデオロギー無縁 の多くの観光客にとって、この地域への魅力を増大させた。観光大国メキシコには、低予算のバックパッカーから超豪華な海浜リゾーターまで様々な客あしらい のタイプがそろっているが、前世紀末から始まるこの国への旅行は余りにもポピュラーになりすぎた感がある。メキシコ観光に退屈したスペイン語が多少なりと もできる米国を中心とした観光客たちにとって、安全な中央アメリカは魅力あるもうひとつの旅先となったのだ。

また客をもてなす側の中央アメリカの人びとにとっても観光は大きな魅力である。それは バナナ、コーヒー、砂糖きび、綿花など、この地域の伝統的な輸出農作物の国際市場価格は長期的に伸び悩んでおり、将来にわたって飛躍的に上昇する展望はな いからだ――他の地域での凶作でもあれば話は別だが。さらに輸出代替の工業化などは今さら望めない。そのようななかで、外貨収益を増す奥の手の手段として の「観光」が注目されてきたのである。そして、その「観光」とは巨大なホテルを建てたり道路や空港の建設などの大規模なインフラストラクチャー整備を伴 う、従来のものではない「もうひとつの」観光開発。すなわちエコ・ツーリズムやその自然景観を活かした遺跡観光なのである。

「もうひとつの」観光開発を推進させるような要因は他にもある。八七年に「環境と開発に 関する世界委員会」が提唱したのを皮切りに昨年のリオデジャネイロの地球サミットでは基本理念とまでになった「持続可能な開発」という概念の登場がそれで ある。環境や自然を損なうことなく、次世代以降の将来の人類が生存しつつ発展する原理を模索してゆくという要請が世界各地で起こっているのである。エコ ツーリズムは、その尻馬に見事に乗ったのだ。


 エコ・ツーリズム大流行


エコ・ツーリズムあるいはエコロジカル・ツーリズムの語義については現在まで多様な定義 や解説があるが、ここではカリフォルニア大学バークレー校のグレーバン教授の明快で簡潔な定義を紹介しておこう。

彼によると、観光はおおきく文化観光と自然観光に二分される。自然観光には、文化観光 と領域を重複する民族観光、環境観光、そして生態観光=エコロジカル・ツーリズムの3領域に区分されるという。環境観光と生態観光の違いは、前者が自然の 利用的側面を強調することで弁別される。また環境観光は、さらにスキーやサーフィンなどのレクリエーション観光やハンティングやフィッシングのような狩 猟・採集観光に細分されるが、あくまでも自然は観光のための背景ないしは利用源にすぎない。それに比べて「生態観光」は環境観光の要素を孕みながらも「自 然」にとけ込んだり親しむという側面が前面に出てくるものをいう。

ここで用語の交通整理をした背景には、エコ・ツーリズムという言葉が喚起する「自然」や 「エコロジー」などの概念がじつに曖昧で多義的であるという事情がある。その理由は明白だ。エコ・ツーリズムという言葉が、一方で定義づけたり解釈する専門 家間のコンセンサスが得られないうちに、他方において一般の人々の間に言葉が喚起するイメージと共に急速に普及したからである。それは、エコロジーという 言葉が「よいイメージ」を紡ぎだす呪文としてすでに定着しているという事情にも関係している。

そのようなエコ・ツーリズムに対する期待と混乱を冒頭にあげたコスタリカ共和国の観光事 情にみることができる。コスタリカは観光による外貨獲得が第一位のコーヒーを凌ぐ勢いをもつ。五年前の八八年の時点で年間に約三十四万人の観光客(その3 分の1が米国観光客)であったものが、九二年中にはおよそ五十数万人を受け入れたと推定されている。これは年間一千万人を超える我が国の海外旅行者数に比 べてみれば微々たる数に思える。しかしコスタリカの人口は約三百万であり、じつにその六分の一弱の観光客の受け入れていることを勘案すると、その影響の大 きさを想像できよう。

観光客はコスタリカの玄関である首都サンホセに入ると、政府コスタリカ観光局や数多く ある旅行代理店で様々なエコロジカル・ツアーを紹介される。それはゴムボートによる山岳河川の急流下り、軽飛行機と遊覧船でゆくジャングル・クルーズ、野 鳥や野生動物、あるいは蝶類のウオッチング、軽ハイキングあるいはバックパックによるトレッキング、スキューバ・ダイビング、乗馬による自然の森林や河川 の探検、先史遺跡の探訪などである。

これらの観光の形態は先に述べたようなエコ・ツーリズムとは一線を画する環境観光的な要 素――例えば急流下り――が含まれている。しかし、それらの宣伝文のなかには、環境への配慮を強調したり、エコロジーに敏感な旅行者のためのツアーである ことを銘打っている。すなわち、大手ないしは中級のホテルなどが従来提供してきたような「エコトラベル・ツアー・パッケージ」との差異を強調している。

またサイエンス・ツーリズムすなわち科学観光とよばれる試みも行なわれている。これは コスタリカ、米国およびプエルトリコの大学と博物館合わせて四十四団体が運営する熱帯研究機関(OTS)がコスタリカ国内の自然保護地域をフィールドにし たプロジェクトである。具体的には、生態学を中心とした熱帯研究に関係する研究者、学生、研究に関連するワーカーに対して研究地域への受け入れを促進させ ている。「研究地域」とは国立公園・保護区に隣接したOTSが所有管理する保護地域のことである。たんに研究や授業の機会、あるいはフィールドにおける快 適さを保証するだけでなく、それぞれの大学や研究機関はここでの実習をエコ・ツーリズム・コースの履修単位として認定している。

このOTSとは別の活動であるが、グアナカステ県にあるコスタリカ大学ではエコロジカ ル・ツーリズム学位の認定もおこなっている。自然環境へのアプローチには、自然に親しむことや自然保護に関わることのほかにも、このような「科学への親し み」を通してという多様な経路がある。OTSはそのひとつの実例となっている。


 「環境=観光立国」への道


コスタリカにおいてこの新しい観光の概念が容易にかつ迅速に受け入れられた背景には、 複雑にそして相互に影響を与えた要因がある。

歴史的には、一九四八年革命とよばれる社会的改革で、軍隊が放棄され、それに代わる教 育・保健・社会福祉の振興へと転換されたことである。その結果、現在のコスタリカは中央アメリカでもっとも中産階級が発達した国となった。あるいは五〇年 および六〇年代における科学振興政策に基づく自然環境の科学調査。さらに七〇年代以降急速に牛肉生産が伸びたが、牧場開拓が引き起こした大量の土壌流出問 題と社会的な批判運動。同時に七〇年代は、国立公園局が創設されて、次々と国立公園や自然保護区が指定された時期でもある。また過去十年間に、学生・研究 者・ボランティアーを大量に受け入れたオルターナティブ・ツーリズム(もうひとつの観光)と呼ばれたブームを経験している。

それゆえにコスタリカ国民のあいだに環境保護の用語や概念が――「民衆的用法」をも含 めて――広くゆきわたっているのである。この国の人びとことがそのような観光を押し進めてゆくのだという期待と自負があることも、あらゆる階層の人々の会 話の中からも容易に窺い知ることができる。

にもかかわらず、あるいは、それゆえにこそ実際のエコ・ツーリズムを支持し、直接かか わってゆく政府や民間調査機関あるいはNGOなどの機関の関係者のあいだには微妙な齟齬がみられる。すなわちエコ・ツーリズムのイメージばかりが先行して、 「持続可能な観光開発」についての具体的な方策が欠けていたり、それぞれの相互の機関での連絡が整備されていなかったり、エコ・ツーリズムの総合化に関する コンセンサス不足があることを、関係者たちは異口同音に発している。

このエコ・ツーリズムによる言わば「国おこし」は中央アメリカの優等生コスタリカだけの 専売特許ではない。例えばパセオ・パンテーラ――和訳すればパンサー[豹]の道――とよばれるプロジェクト。このプロジェクトは数年前から始まったもの で、エコ・ツーリズムに重要性をもたせつつ、それぞれの地域の野生生物保護を試みる。その活動は、保護地域の土地購入やその運営、環境教育の促進、要請地域 のコミュニティとの共同事業、地域開発のための資金や便宜の導入などからなる。参加国はベリーゼ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグ ア、コスタリカ、およびパナマと中央アメリカの全地域をカバーしている。中央アメリカの豹であるパンサーの道というニックネームで、ユニークで多様な生物 種が棲息する北米と南米の両大陸を結ぶ地峡地帯を表現しているのである。

こちらも先のもの以上に大きな問題を抱えている。例えば、大きく広がっていた森林が分 断されために、植物と動物の生物相が危機にさらされていること。これは現在の保護地域だけを管理運営することが、将来においても生物種の存続を約束するも のではないことを示唆している。さらに海洋生物の乱獲や海岸部における汚染という地域を超えた地球環境問題にも直面しているのである。


 「古代マヤの世界」の開発


「持続可能な開発」の理念は中央アメリカの観光のさまざまな局面に影響を与えている。 中央アメリカの南に位置するコスタリカが「自然」を観光開発のキーとしているのならば、その北に位置するメキシコ、グアテマラ、ベリーズ、エルサルバド ル、ホンジュラスの国々は「先史古代文明」が売りモノである。これらの地域における開発について、ルータ・マヤと呼ばれる多国籍(?)プロジェクトは注目 に値する。

ルータ・マヤとは「マヤ(人)の道」の謂であり、奇しくもパンサーと同様「道」のイ メージが援用されている。これは、かつてマヤ文明が存在した南メキシコおよび中央アメリカの地域の観光の潜在力を開発する広範なプロジェクトで、これら5 カ国の公的および私的観光機関・企業・組合による共同計画のことである。もともとの計画は米国で創設され、ルータ・マヤ財団のオフィスは米国のバージニア にある。しかし最近ベリーズ・シティの郊外に地域センターが開設され、ツアー・オペレターによる会議が定期的に開催されている。(『メキシコと中米ハンド ブック』より)。

マヤ文明の遺跡観光については、すでにインフラストラクチャーが整備され、観光客に人 気のある遺跡公園がある。例えば、グアテマラのティカル遺跡、メキシコのパレンケやチチェン・イッツアー、ホンジュラスのコパン遺跡などがそれらであり、 すでに日本からの観光ツアーなども定期的に行なわれている。

また現在までに発掘調査が終わっているか、あるいは現在発掘中であるが、観光ルートに 組み込もうとしているものがある。これにはベリーゼのカラコル遺跡、メキシコのカラクムル遺跡、エルサルバドルのホーヤ・デ・セレーン遺跡、ホンジュラス のエル・プエンテ遺跡などがある。

ルータ・マヤとは、現在未発達なこれらの遺跡間を結ぶ舗装道路完備させ、相互に観光客 を招致することによって、この地域を生態環境の整備を含めた「古代マヤの世界」として位置づける性格を有している。そのためには、各国の遺跡公園や観光 局、あるいは旅行代理店の相互の連携が不可欠になると同時に、ガイドの水準の向上、さらには旅行者に対する各国の通関業務の簡素化などの総合的な数多くの 課題がクリアされる必要が生じてくる。またルータ・マヤ計画を支援するかのように同じ地域をカバーするが、先に触れた中央アメリカおよびメキシコの各国の 政府の代表によって組織されている姉妹プロジェクトであるムンド・マヤ――訳してマヤ(人)の世界――計画もある。

それだけではない。ルータ・マヤは同地域における現在のマヤ系の人々の生活や文化にも 密接に関連させようとする。新大陸の発見以降この地域にはスペイン人の植民者たちが侵入してきたが、マヤの種々の先住民族文化は彼らが持ち込んだカトリッ ク文化などの影響を受けている。同地域は植民地時代に先住民族と植民者がともに――それらの多くは後者による前者の搾取というかたちで遂行されたが――作 り上げてきた伝統をもち、貴重な歴史的建造物も多くみることができる。ルータ・マヤ計画はそのような側面にもターゲットを向けている。これは観光客に対し て「マヤは死に絶えた文化ではなく、今も生きているのだ」というメッセージを伝達するという「良心的な対応」とも解せるが、他でもない現在の「文化」その ものをも生きている人びとへの配慮の上のことでもある。もっともその人たちにも観光を通しての開発の恩恵があることが保証されなければ十分な意義をもたな いけれども――。

各国の公的および私的セクターが、このようにまさに「マヤの世界」の観光商品化の洗練 に熱心になっている理由は明らかだ。先に触れたように、この地域の輸出農産物は深刻な不振に陥っているからである。またECやカナダ・米国・メキシコで進 展しつつある経済市場の統合が生み出した、それらの国々への輸出農産物に対する関税率の増大にも関係している。ファンタジックなマヤ世界が商品化される背 景には、社会のアクチュアルな経済理由が潜んでいることは言うまでもない。


 遺跡保護とエコロジー


他方、エコ・ツーリズムあるいはエコロジーは、従来より確立されていた遺跡の保護や修復 の手法にも新たな影響を与えつつある。

もともと遺跡保護においては、遺跡遺物そのものの発掘、保存、修復に関心がおかれてい た。しかし、遺跡の修復における新しい見方においては、従来の遺跡建造物の修復や、発掘された遺物の展示およびその利用状況の再現のみならず、原植生や生 活状況の推定といった遺跡のかつての環境の再現へと、関心がシフトしつつある。

「保存」とは遺跡を取り巻く自然環境の保全という広域的な保存という概念とつながり、 「修復」とは建造物の再現のみならず原環境の再現なのだ、という思想が持ち込まれたのである。遺跡が考古学的な手続きが踏まれ発掘され、その後に修復さ れ、モニュメントとして保存されるようになって以来、遺跡建造物そのもの――新大陸独特のピラミッドや球技場など――への観光客の関心はそう変わっていな いように思える。しかし、中央アメリカの遺跡をどのように訪れ、鑑賞するかという視点は大きく変化してきたと言ってよい。観光開発競争に取り残された遺跡 が、怪我の巧妙とも言える効果でエコ・ツーリズムの焦点になる可能性があることを示そう。

メキシコのテオティワカン遺跡は、太陽と月のピラミッドを中心とした巨大な建造物を擁 した遺跡公園として日本からも多くの人々が訪れている。知名度も高く首都からも比較的近く周囲にも町が多くあり、今世紀のはじめからメキシコ最大の観光シ ンボルとして現在までに大量の観光客が訪れている。休日や祝祭日には国内外からの大量の観光客が訪れる。同時に近隣の町や村からみやげ売りたちが、遺跡の あちこちで言葉巧みに観光客に近寄り、記念品を売るように、さながら古代の門前町の定期市(?)と化する。

さらに周囲の建造物には巨大な光源と電線が埋没されており、夜になると2つの巨大なピ ラミッドを照らす「音と光のショー」が英語とスペイン語の2種類の解説をもって行なわれる。ティオティワカン遺跡の観光は、その意味で「重厚長大」で物見 遊山的な雰囲気を未だに誇示している。

他方グアテマラ国境近くのホンジュラス西部コパン遺跡は、70年代後半に発掘修復が積 極的おこなわれ遺跡公園化がはじめられた。遺跡は発掘修復の段階から、同時に村落開発、インフラストラクチャー整備などの観光客誘致事業が平行して試みら れた。さらに近年においては神聖階段のピラミッドの発掘で脚光を再び浴びている。にもかかわらず当初予定されていた大量の観光客誘致そのものは失敗した。 ところが、大量の観光客招致には成功しなかったものの遺跡の公園整備化は着実に進み、現在ではマヤの遺跡のなかでもその周辺の環境をも含めた意味では有数 の美しさを保つことができたのである。

コパン遺跡は、かつてテオティワカン遺跡のような観光開発を希求しながらも、それに成 功しなかった。ところが、観光客の伸びが緩やかであったために、保存状態が観光客によって破壊されることも少なく、また周囲の森林の回復も促進されること になったのだ。コパン遺跡の周辺には関連する中小の遺跡があり、そこから数十キロのエントラーダでは現在遺跡を修復すると同時に文化財保護と現地の地域振 興に関連させる技術協力プロジェクトが日本政府の手によって行なわれている。

南米ペルーのマチュピチュ遺跡の持続的観光は可能か?(ジャパンタイムス 2003年 11月30日)

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 エコ・ツーリズムごっこ


再び繰り返すが、中央アメリカにおいてエコ・ツーリズムに関する具体的なコンセンサスは 今のところない。現実はエコ・ツーリズム――スペイン語では「エコツリスモ」――という言葉が「持続可能な開発」という新しい枠組みとマッチして急速に、流 行語として人びとに普及しつつあること。それもこの内容についてはいまひとつ具体的な議論が進まないうちに。これである。

しかしながら、エコ・ツーリズムの環境造りは着実に進行している。それは、商品になるに せよ、ならないにせよ「自然環境」が国外から確実に人を呼ぶことにつながると、中央アメリカの人びとが気づきはじまったからに他ならない。

観光というものが二〇世紀最後で最大の「商品」であることは間違いがない。しかし、そ の商品はまたメディア(媒体や手段)としての性格を有している。我々のエコ・ツーリズムの場合、それに載って伝えられるものは「中南米のエキゾチズム」や 「動植物の豊かさ」なのである。さらに、(エコ・ツーリズムという)この変なメディアは、エコツーリストに対して、環境保護に理解をもち環境にインパクトを 与えることを好まないことを演じることを強要する。同じように、エコ・ツーリズムの影響を受けた遺跡観光の旅行者には、即席にせよ何らかの考古学知識をも ち、遺跡が置かれた自然の中で思索することが期待されるのである。

エコ・ツーリズムを提供する中央アメリカの営利的あるいは非営利的セクターは、次第にこ のようなサービスを提供することに関心をもつようになってきた。すべては「消費者」のニーズのためである。ここにおいて売られるものは「自然環境」そのも のではない。きわめて曖昧な「自然」や「文化」のアモルファスなイメージである。それを買うのは外国人観光客である。

むろん消費の効果はそれだけ留まらない。経験者たちは、エコツーリストになって再び同 じ地域に観光をしに戻ってくる。人によっては、それ以降、環境保護運動により積極的に関与するようになることもある。現実に、先に紹介したコスタリカの科 学観光の経験者にはそのような人びとが一定の割合で含まれるという。

エコ・ツーリズムは現代人の「自然のイメージ」という幻影に根ざした消費活動の一形態に 過ぎないかもしれない。しかし、その幻影が後に自然保護運動への参加や「エコロジカル・コンシャスネス」(環境保全への自覚)という現実としてフィード バックしてゆくこともすらある。中央アメリカのエコ・ツーリズム・フィーバーは、そのような新しい形態の観光を予言しているのである。

(1993年原稿 Mitzu Ikeda)


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