水の洗礼
Bautismo de Agua Pura
このコーナーでは、「いのち」に関する世界のさまざまな民族や社会でみられる興味深い慣習や信条 を紹介します。そのねらいは、周囲から消え去ってゆく「変わった習慣」を面白がったり、懐かしむことではありません。むしろ「いのち」の多様なあり方につ いて読者の皆さんとともに考えたいのです。いろいろなテーマについて多角的に取りあげますので、皆さんからのご意見をお待ちしております。
コロンブスという名前を知らない人はいないだろう。大航海時代のイタリア人航海者クリストバル・コロン(生没年1451頃〜1506)その 人の姓であり,新大陸の存在をヨーロッパに知らしめた「発見者」とされている人である。コロンブスとはラテン語の読みに従っている。
1992年は,スペイン王室の援助を受けた彼の艦隊がバハマ諸島に到着してから五百年目を迎えた。スペインはもとよりラテンアメリカの各 地でも,それを顕彰することはもちろん,批判する——なぜなら「発見された」原住民からみると搾取と抑圧の始まりであったからだ——各種の記念行事が開催 されることになっている。
さて今回は,五百年後の現在の中央アメリカのメスティーソの農民にみられる「赤ん坊への洗礼”についての話である。メスティーソとは,ス ペイン語では混血したという意味をもつ。すなわち「発見された」新大陸の原住民と「発見した」スペイン人の植民者たちとの混血のことをさす。植民時代に は,白人や黒人あるいは奴隷,原住民さらにはそれらの混血など,細かい身分制の秩序が定められていた。しかしながら,今日ではメスティーソはラテンアメリ カを構成する人びとの多数派を占めるに至った。現在この名称は,人種的な混血ではなく,むしろライフスタイルを主とした社会的および文化的なアイデンティ ティを表わす用語なのである。
私が1985年ごろ調査していた村は,千メートル前後の山地にある人口六百名ほどの集落であった。彼らは主食であるトウモロコシといんげ ん豆の他に砂糖きびやコーヒー豆といった商品作物を栽培していた農民たちであった。彼らの信仰はローマ・カトリックであるが,その土地で独特に発達してき た宗教的観念とそれに基づいた慣行——総じてフォーク・カトリシズムと言われる——も僅かながらではあるが残っている。
ある日,その村で子供が生まれた。カトリックの教えに従って,生まれた子供は,教会で洗礼を受けなければならない。なぜなら洗礼こそが, その子の人生にとっての信仰の始まりを意味するからである。もっとも村にはマヨルドーモとよばれる在俗の教会管理責任者はいるが神父は不在である。これく らいの人口規模の村では神父はミサを執り行うために2,3カ月に一度の割にしかやってこない。従って,子供はその折に洗礼を受ける——すなわち受礼するの である。
洗礼は教義上カトリック信仰の始まりであるが,村の人たちに言わせれば「人間の仲間入り」そのものをも意味する。そして,教会における洗 礼を待たずして,彼らは自分達で赤ん坊に「洗礼」を挙行する。「水の洗礼」(バウティスモ・デ・アグア)と呼ばれるこの慣習とは,神父によって祝福された 聖水を入手し,それを生後8日目の子供の頭に注ぐことで「取りあえずの洗礼」を施すことである。
教会で行なわれる子供の正式の洗礼には,両親のほかに代親がその子供の信仰上の親として立会い,それ以後子供の後見人としての責任を果た すよう求められる。このような代親は,英語ではゴッドファーザー,ゴッドマザーとして知られ,メスティーソ農民が話すスペイン語ではパドリーノ(代父/教 父),マドリーナ(代母/教母)と呼ばれる。
子供の両親は,教会での洗礼と同様に「水の洗礼」においても代父と代母になってくれる成人を探し,それに立ち会ってもらう。彼らが,どう して教会の洗礼を待たずにこのような世俗的な慣習をおこなうのだろうか?
人びとが私に語ってくれた話には二つの理由があった。
ひとつは,乳児の死亡率の高さに由来するものである。農村で生まれた赤ん坊が教会での洗礼を待たずに死んでしまうことはしばしば見受けら れる。洗礼は先に述べたように「人間の仲間入り」を意味する。洗礼を受けたカトリック教徒——多くの村びとにとってはそれはキリスト教徒そのものを意味す る——たる人間は,不幸にも現世で死を迎えていても,キリストの復活と共によみがえることができるのである。生前に洗礼を受けていることと,よみがえる際 に魂の器となる「身体」がちゃんと埋葬されていることが不可欠なのだ。
ちなみに,日本では火葬をおこなうという話を村びとにしたら,彼らは眼の色変えて次のように私に訴えた。「おお神様! 肉体がなければ, キリストと共に天国に昇天できないではないか? もし君が死んでも,頼むから君の死体は燃やさないでくれ」と。
さて,赤ん坊への洗礼を急ぐもうひとつの理由は,正統なキリスト教信仰からはいささか逸脱している土着信仰的なものである。つまり,チョ ルカという邪悪な鳥が真夜中に洗礼を受けていない赤ん坊を襲い,吸血することによってこれを殺すというものである。チョルカは「水の洗礼」を受けた子供に はもう襲うようなことはない。また,チョルカは魔女(ブルハ)の変身したものである,とも聞いた。この魔女の化身である邪悪な鳥に関してこれ以上詳しく聞 くことはなかった。だから,彼らがちょうど我々が民話や説話を聞くような態度で理解していたものなのか,はたまたかなり真剣に受けとめていたのかは,今と なっては確かめるすべがない。いや,今後の調査に待つことにする,と言っておこう。
ひよっとしたら,この二つの理由は共に村における高い乳幼児死亡の状態を説明する「人びとの論理」であったかもしれない。
生まれた時は元気でも,いつ起こり得るかも知れない赤ん坊の死亡。それに先立ち,いち早く赤ん坊に洗礼をさせて「人間の仲間入り」をさせ てあげたい,という人びとの願望。それが「水の洗礼」の動機を構成し,それを受けずして亡くなっていった子供たちの死因を邪悪な存在で理由づけているので はないか。
このようなナイーブな叙述で「水の洗礼」の学問的な説明が完結されるとは私はゆめゆめ思わない。しかし,調査に付き合ってくれたメス ティーソ農民たちの「いのちの誕生」についての考えを知るよすがとしては,これほどの好例もないと思うのである。