名医の幽霊
このコーナーでは、「いのち」に関する世界のさまざまな民族や社会でみられる興味深い慣習や信条 を紹介します。そのねらいは、周囲から消え去ってゆく「変わった習慣」を面白がったり、懐かしむことではありません。むしろ「いのち」の多様なあり方につ いて読者の皆さんとともに考えたいのです。いろいろなテーマについて多角的に取りあげますので、皆さんからのご意見をお待ちしております。
11 名医の幽霊
その真偽のほどは定かではないが、信仰で病気が治る、という類の話や噂は、我々の日常生活の中でよく聞き、とりたてて珍しいものではな い。しかし病気を治してくれる“神様”が、かつて名医と呼ばれた実在した医師であったなら‥‥。今回はそんな奇妙な話と、その社会的背景について考えてみ よう。
この話は人類学者S・ロウがインタビューした女性の実際の“経験談”である。
場所は中央アメリカのコスタリカ共和国の首都サンホセにある病院だ。身体の片麻痺をおこしたその女性は脊髄の手術を受ける予定でそこに入 院した。同じ病室の隣のベットにいた女が彼女にモレノ・カーニャス博士に祈るように熱心にすすめた。博士はコスタリカの名外科医と呼ばれたその人であった が、もうずっと以前に死んだ人である。彼女はびっくりし、かつまた当惑したが、隣のベットの女の指示に従った。
ところが、その夜なんと白衣の医師が看護婦を伴って彼女のところに現れ、彼女が寝ている間にその医師は手術をおこなったと告げた。翌朝、 彼女は自分の腕と足が自由になっていることに気がついた。病院の主治医は驚いたが、なぜそうなったかについては分からないと言う。医師はそれまでの治療に よって寛解したのだと――察するに苦しまぎれに――説明した。それ以降、カーニャス博士は2週おきに同じように現れて、とうとう彼女は自分で踊れるまでに 回復したという。完全に麻痺から治ってからも、博士はときどき現れ現代医療さながらのことをやって帰るという。
さて、この幽霊のごとく彼女に往診を繰り返したその白衣の医師とは、いったい何者であろうか。隣のベッドの女が祈るようにすすめたカー ニャス博士について触れてみよう。
リカルド・モレノ・カーニャス博士は1890年にこのコスタリカの首都サンホセに生まれた。1915年にスイス・ジュネーブ大学・医学校 を卒業。インターンとしてジュネーブ、外科のレジデントととしてヨーロッパで過ごした。1920年に母国に帰国後、市内の病院で外科助手となったのを皮切 りに、数年後には新進気鋭の整形外科長として就任した。もっとも彼の専門は心臓外科であり、1934年彼は40歳半ばにしてコスタリカで初めて開心手術を おこない、その2年後には晴れて外科医長になる。その間、数々の心臓外科手術や論文の出版などの功績により多くの栄誉を受けた。このように栄光に満ちた日 々を送っていたが、2年後の1938年8月に元患者のピストルから発射された凶弾に倒れた。犯人の供述では博士の手術によって腕が変形したことによる逆恨 みであると報じられた。しかし別の説では、カーニャス博士が深く関わっていた政治的な理由によるものではないかという疑いもあり、撃たれた当時は大統領と の会談にゆく途上であったとも言う。
医師としてエネルギッシュで誠実な人柄をもち、どの患者にも平等に治療したことなど、生前から彼にはカリスマ的な魅力があったが、その悲 劇的な暗殺死によって、カーニャス博士は一躍コスタリカの愛国的なシンボルとなった。彼の活躍は、当時から現在に至るまで(!)新聞やラジオ等のマスメ ディアの中で繰り返し誉め讃えられている。
それだけではない。モレノ・カーニャス博士への崇敬の念はたんに“偉人伝説”のレベルに留まっていない。冒頭で触れたように一種の“宗教 的信仰”の様相を呈しているのだ。コスタリカの首都や村落にある市場の薬草店――と言っても屋台に毛が生えたような店――にはカーニャス博士の写真を配し た祈祷文が書いてある紙のカードが売られている。この紙片は、博士に対して祈りの言葉をかけるために、次のように使われる。この紙片の表の写真(=聖 像?)の前にコップ一杯の水を置き一本の蝋燭を灯して、祈祷文を読み上げるのである。言うまでもなく病気平癒のためだ。
ここで宗教的‥‥と書いたのは、没後にもかかわらずコスタリカではいろいろなところで“モレノ・カーニャース博士が登場して治療する”と いう信仰が広まったからである。例えば、祈祷していたら病気が治っていた。あるいは、就寝前に祈祷しレモン水を飲んだのであるが、なんとその水が薬に変 わったのか翌朝には病気が治っていたとか、カーニャス博士の手や白衣が幽霊のように現れて癒したり、冒頭の例のように看護婦を伴いながら実際に出てきて病 者に施術する。さらには霊媒の口を通して治療や指示を与えるといったこともある。
コスタリカ独特の交霊術の伝統によると、病気を治してくれる霊的な医師には、アリ博士、ジョンソン博士、パトリシオ師などがおりカーニャ ス博士の霊的な友人たちだと言うのである。
さて現実の医療という観点からこの幽霊信仰という現象をみるとたいへん興味深いことがわかる。コスタリカの保健に関する文化は主に、医師 を中心とする近代専門職医療、医師以外の人々が担っているパラメディカル医療、および民俗的伝統医療から構成されている。すなわちこの国の医療の環境には きわめて多様な要素が混在している――これを多元的医療体系という。しかしながら、1970年代以降の国家財政に占める保健予算の急増やマスメディアにお ける健康関連記事の多さは、彼らが保健医療中心の社会に生きていることを示すと同時に、多元的なものから医師中心の専門職医療にシフトする傾向にあること を示している。すなわち社会そのものが病院化傾向にあるのだ。
またコスタリカを含めて、開発途上国の医師のほとんどは上流階級出身者によって占められている。産業基盤が不安定な社会において医師は、 収入も安定し、社会的尊敬を受けやすく、威信も高い専門職である。本国の医師養成が未熟な時代、上流階級の人々は子息を欧米の医学校に留学させた。そして カーニャス博士もその一人であったのだ。専門職集団の形成が未熟である時代や社会において、医師が直接政治の世界に参入することも珍しくない。我々が想像 する以上に、彼らにとって医療と政治は両立するものなのだ。
象徴としてのカーニャス博士の幽霊は、高度技術医学と聖なる医師の2つのイメージが合体する。人々が幽霊への信仰に傾斜することは、一見 近代医療とは別の治療原理を求めているように見える。しかしながら、このように幽霊は増大する医師の権力を虚像ながら見事に写しだしている。
名医の幽霊は有り得ない迷信かも知れないが、その迷信は現実を映し出す鏡であったのだ。
Copyright Mitzubishi Chimbao Tzai, 2000