ボランティアを終えたら大学院に行こう
■ ボランティアを終えたら大学院に行こう02
私じしんは、国際ボランティアの任期を終えて大学院に入学したのではなく、大学院に入学後に引き続き専門知識を大学の外で学ぶ必要を感じた。 そして大学院を休学してボランティアを志願した。それも何かボランティアをやりたいから行ったというよりも、自分の大学院での研究をちがう形で実現するた めに参加したのである。その意味ではある種の逸脱ボランティアである。そして昭和五八年四次隊という「最後の四次隊」と呼ばれる当時はまだ国際協力事業団 (現:機構)と呼ばれていた青年海外協力隊(JOCV)のボランティアとして中央アメリカのホンジュラス共和国に派遣された。 職場になった保健省で、最初はベクター管理つまりマラリアを中心とする媒介昆虫対策の部局で働き(=学び)、次に疫学という病気の流行を分析予測したり 予防したりするための部局で都合三年間働いた。
協力隊員というのは、国家の制度的ボランティアである。日本の協力隊は、アメリカの平和部隊(American Peace Corps)を真似てつくられたことはよく知られている。ジョン・F・ケネディ大統領が構想した平和部隊は、アメリカの青年を世界に送り出し、若いエネル ギーを通してアメリカの自由主義、リベラルな考え方を伝えようとしたものである。日本はその当時、高度経済成長期で経済的に非常に活発な時期であったので 平和部隊の趣旨をくみながらも、アメリカのボランティアより技術指導に重きを置いた派遣をおこなうことになったという。
ここで私が焦点化したいことは次の3つの点である。
(1)私の経験についての自問、つまり「自分のボランティア経験とはいったい何だったのか?」ということである。これは私じしんが経験したこ とをもう一回振り返ってみて、たんなる個人的経験ではなく、歴史的、社会的存在であるボランティアというものがどういうふうに生まれてきたのか、そういう ことを再度位置づけておくためである。私は大学院を「休学」して参加したが、今から振り返れば大学院でのそれとは違った意味での「学び」の場が協力隊で あった。
(2)現在の国際社会のボランティアは非政府・非営利組織(NPO/NGO)が主力になりつつあるが、かつての海外ボランティアの国際標準は 政府系の制度的海外ボランティアであった。この社会的性質について考える。そのためアメリカの平和部隊と日本の青年海外協力隊をあげてみよう。非政府等組 織での派遣システムもまた制度的ボランティアの派遣で確立されたノウハウが模倣ないしは流用されている。東アジア諸国では、制度的ボランティアの要請と派 遣が始まっており、ヨーロッパ連合の中でも東欧の国々でも派遣がはじまっている。数、量ともに大きな影響力をもつ制度的海外ボランティアを歴史社会的に位 置づけることには意味がある。
(3)海外において日本の技術や知識を伝えたい、そして世界から貧困や病気や苦しみをなくしたいというボランティアの希求が、最終的に自分の 出身の国に帰ってどういう形で根付いていくのか、そういうものを最後に考える。青年海外協力隊員の経験知の蓄積を、大学が支援しかつ協働し、その成果を もって制度的ボランティアの質というものを高めていこうということだ。日本の制度的ボランティアには半世紀近い歴史があるわけだから、それをどういう形で 日本の社会に還元していくのかということは急務である。これはボランティア派遣の質というものを高めていくことに繋がる可能性がある。
これら3つの着眼点は、私のみならず制度的ボランティアを経験した人にはすでに自覚されているものかもしれない。他方で公的には未だ十分に具 体的には解明されていない問題でもある。したがって、この3つの点は「国際ボランティア論」について議論する際にも重要な着眼点である。
リンク
文献
その他の情報
(c) Mitzub'ixi Quq Chi'j. Copyright, 2010