ケガレとしての出産
解説:池田光穂
ケガレとして出産
多くの社会において出産は通常の生活空間からは隔離されて行われる。アフリカのサン族(ブッシュマン)やヘレロ族、北米のクワキウトル族 における出産は、人目のつかない野外の繁みの中などで一人あるいは産婆や年長の女性を伴って行われた。これを青空出産と呼ぶ研究者もいる。
日本のいくつかの村落部では明治時代中期までは産小屋という総称で呼ばれる出産のための小屋に隔離されて行われた。産小屋という隔離のた めの特別な小屋ないしは家屋で出産するという民族はかなり多く、太平洋のマルケサス諸島、タヒチ、ハワイ、ニューギニアのアラペシュ族、中央アメリカのイ ンディヘナなどが知られている。かつての日本の産小屋の位置もいろいろで、母屋から少し離れたところ、共同体(部落)の境界近く、時には隣の共同体にあっ たというものもある。小屋での出産と食事の用意などの身の回りの世話は一人あるいは他の女性−−時には夫−−の助力によっていた。また現代では出産まぢか の妻は実家に里帰りして、そこから近隣の病院で出産することなどが見られるが、出産が居住する空間から離れて行われている点では伝統社会と共通である。
産小屋のように特別な小屋を用意せず、居住している家屋で出産する場合は、部屋を分娩用に改造したりする。その際、出産を終えた産褥婦に 与えられる食事は他の家人とは別の火で料理されたり、食器を共有しないよう注意が払われた。
出産が程度の差こそあれ隔離した環境でなされることへの主要な解釈とは、それが出血を伴う不浄つまりケガレ(穢れ)と考えられて、潜在的 に危険な力をもったものと見なされており、人びとがそれを避けたり統御できないものとして畏れているのだとするものである。実際、日本では死者にかんする 「黒不浄」と月経や出産に伴う「赤不浄」はケガレの主要なものとされていた。ヒンドゥー教の神インドラ、釈迦、帝王切開の語源になったと言われているロー マ皇帝カエサルなどは産道からではなく母親のわき腹から、不浄な‘血’−−その中には後産である胎盤も含まれる−−を伴わずに生まれたと説明されること は、聖なるものとしての神や英雄であるという人びとの根拠づけに役立っている。
もっとも生まれた子供がケガレたものだと見なされる社会は少ない。むしろ人間以前の段階として見なされたり、他の人びとによる邪悪な妬み や人間以外の悪霊などに狙われやすい非常に「弱い存在」であるとされており、儀礼を通して‘人間’と見なされるまでは丁重に保護される。
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