通過儀礼としての出産
childbirth as rite of passage
解説:池田光穂
通過儀礼(rite of passage)としての出産
出産は女性にとって身体的にも心理的にも大きな行事であることは誰もが認めることである。そして社会的にも隔離などを伴いやすい点で、親 族のみならず共同体の人びとにとっても関心事なのである。ケガレとしての出産では隔離、すなわち人の眼に触れないことが強調されるが、出産が共同体の行事 としてイベント化した社会もあった。ニューカレドニア島近くのロイヤルティ諸島民のあいだでは出産は一種の見せ物であり、夫を除いた他の子供をも含む人び とがそれを見に集まったという。
出産を社会における出来事として形づくるのは、妊娠、分娩、産褥を通してのさまざまな‘儀礼’である。人生のいくつかの節目を通過する際 に、社会は一連の行動の規制や強制的な参加を命じ、その人の社会の中での‘役割や地位’の移動を円滑にする。このことを民族学では‘通過儀礼’と呼んでい るが、出産はその最たるものである。この一連の儀礼には、ふつう分離・移行・統合の三つの状態が時間的な経緯にそって出現するという。
日本の伝統社会では、女性の妊娠がわかるとその妊婦には行動上の禁忌が課せられる。安産祈願の戌帯を腹部にまわす帯祝いを行うと‘忌みの 生活’に入るといわれる。先述のように妊婦が使う火と家族が使う火が区別される。特定の食べ物を食物禁忌もある。またその行動上の禁忌が夫や家族にまで及 ぶことがある。狩猟や漁に出ないことである。そして分娩はケガレの極みであり、産小屋に隔離することによって「分離」するのである。
出産は集団の存続に不可欠な生殖の要素でありかつ期待されたものでもあるので、産後は「うぶさま」などと呼ばれた‘お産の神様’にお供え ものがなされ、本人および新生児、産婆や親族にも料理などが振舞われることがあった。産後数日間から数週間、地方や習俗に差はあるが、外出しないことや、 生産的労働に従事しないことなどの禁忌があった。この社会からの引き篭りは、産婦、新生児、父親、親族、そして時には共同体でさえ巻き込んだものであった という。ここで人びとは、禁忌を守ったり、決められた儀礼を遂行しながら時を待つのであり、それは「移行」の時期にもなっている。
‘忌み明け’が終わって初宮参りが行われ、子供は名実ともに人間界の仲間入りを完了し、期間の差こそあれ出産に関与した人びともやがて通 常の社会生活に戻っていくのである。むろん夫婦は忌み明けを完了して子供の親として新しく社会的に認知されていくことは言うまでもない−−「統合」の完了 である。
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