擬娩/偽娩(ぎべん)
couvade
解説:池田光穂
擬娩(ぎべん)あるいは偽娩(ぎべん)と書く。妊婦の分娩を真似たり、本当に出産の苦しみを妊婦とと もに共有することから、これらの漢字が訳語としてあてはめられたようだ。字義的には前者のほうがより適切であるので、以下は擬娩と書くが、偽娩という用法 もあることをお忘れなく。
擬娩とは、妻の出産の際にその夫も床についたり、時には苦しんだりして、いろいろな禁忌に従う習俗である。
民族学では、擬娩は「鳥の抱卵」を意味するフランス語の古語であるクーバード(couvade)と呼 ばれることが多く、妊娠や産褥を含む広義の‘出産’を伝統社会では‘共同で卵を抱くような’夫婦の作業であるとみなし、その命名を行なったようである。し かし結果的には、女のみならず男が出産の際に‘苦しむ’−−あるいは、そのような‘振り’をする−−「未開人」の‘奇習’として長いあいだ理解されてい た。
擬娩の習俗はヨーロッパでは歴史的に古くから存在した。ギリシャの歴史家ストラボンは、イベリア半島 において「女たちが子供を産んだときに、その夫を床に就かせてこれを養う」と記述している。またフランスの古い言い回しには「妻が産褥に就いたときに夫は 床に入る」ということがある。スコットランドやアイルランドでは、さらに積極的に、夫が苦しめば苦しむほど妻は妊娠や分娩の苦痛から解放されると言われて きたという。これらのことが民族学で報告されてきた‘擬娩’に一致するかは検討の余地があるが、出産という現象が男女が関わる行為という点では共通してい る。
民族誌文献によると多くの民族のそのような習俗には幾つかの共通点がある。まず妻の妊娠・出産・産褥 期にわたって夫が守らねばならない禁忌がある。とくにある特定の食物を食べてはならない、または特定の食物しか食べてはならないという禁止である。仕事と くに狩猟や魚撈に従事することを禁じる、あるいはそのための道具に触れてはならない。むやみに外出してはならず、家に居るか、じっと横になっていることが 挙げられる。そのために出産した妻とその夫には、食物を持って見舞いにやってくるというような、人々による相互扶助的な援助がしばしばその社会では認めら れる。
西インド諸島のカリブ族では、子供が生まれると、その母はまもなく働き始めるが、今度はその父がうめ き始めてハンモックに横になり、人々から見舞いを受ける。そして妻の出産後半年にわたって、夫が食べる動物性食物(魚、海亀、海牛など)はさまざまな理由 で子供に障害を生じると信じて口にしない。
擬娩に関する民族および地理的な分布にはかなり偏りがある。この現象が古くから報告されてきた北米、 カリブ海および南米のインディアン諸族がとくに有名であり、その他にオセアニア、インドなどであり、先の中世ヨーロッパなどで知られている。他方あまり知 られていない地域にはアフリカ全域、オーストラリア先住民がある。ただし、それらの地域にも擬娩を習俗とする民族は少数ながら存在する。
日本でも出産は‘産の忌み’とされ、産婦の夫は神事、狩猟や魚撈などに参加することを禁じられてい た。また九州の離島では出産があると共同体全体が忌みにこもり、その日は野外に出ることを禁止したという。これらのことは、出産が直接的に当事者のみなら ず、その夫ひいては共同体全体を巻き込んだ行事に発展するという意味において、広義の擬娩としてみることも可能である。
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アダムの肋骨からイブ(エヴァ)が産まれる。Blake Guttのpdf資料より
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