近代社会と出産
解説:池田光穂
近代社会と出産
近代社会において、人生の中でも‘死’とならんで‘生命の誕生’は医療の進歩の影響を大きく受けた部分であると言われる。日本では施設内出生、すなわち病院、診療所、助産所における出生の割合が、1950年では全国で5パーセントに満たなかったのが、60年では5割、70年では96パーセントになり、85年ではほぼ100パーセントにまでにいたった。同年では全出生に対する医師の立会いがあったものをみても97.2パーセントであり、現在の‘出産の風景’には医師があたりまえ登場人物となった。ところが、日本の産科医の9割は男性なのである。これは‘産みの性’と‘産みを見守る性’がおしなべて女性であった伝統社会とは異なった雰囲気をかもしだしている。日本の病院では女性の‘助産婦’が医師を援助しているとは言え、男性の医師に対して身体的侵襲感を抱いている女性は多い。
近代医学は‘出産’を疾病を治療してきた病院のなかで介助し、疾病の発見と治療を目的として発達した検査技術をもって‘出産’を見つめる。すなわち病気のモデルとして‘出産’をとらえようとするのである。これらの一連のことは共同体のなかで生起していた社会的な現象としての出産とは性格をかなり異にしている。 近代医療における出産に対して異議申し立てを行なったのは1960年代末からに急速に広がった女性解放運動であった。他方、今世紀初頭にイギリスで開発された‘精神予防性無痛分娩’とそれを洗練させたフランスのラマーズ法が‘自然分娩’−−麻酔や切開などの人工的な介入を極力さけようとする出産−−として開発されていた。米国や日本の自然分娩運動の推進者たちは、ラマーズ法における男性、その多くは配偶者、が出産に立ち会うことを歓迎し、出産を男女で分かち合う重要性を主張したと言われている。
現在、病院における出産が‘隠されたこと’としての意味づけが人びとに強くあるために、出産シーンのビデオ録画などが放映されるとその反響は大きく、「生命の重みを再認識した」という感想が多く聞かれる。このことは先に挙げたロイヤリティ諸島民における見せ物としての出産に機能的にはよく似ている。出産および出産体験の‘公開は’それを当事者や家族、ひいては共同体の‘感動的な’出来事にしようとするグループや運動にとって重要な意味を担っており、近代医療における‘出産の風景’への反省として学ぶべき点がすくなくない。
Copyright Mitzubishi Chimbao Tzai, 2003