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土方久功

Hisaktsu HIJIKATA, 1900-1977

解説:池田光穂

1900 (明治33年)7月13日、東京府東京市 (現在の東京都)に土方久功(ひじかた ひさかつ)生まれる。

父は陸軍砲兵大佐の土方久路、伯父は伯爵・土方久 元、母方の祖父は海軍大将・男爵・柴山矢八、築地小劇場の演出家・土方与志(本名は久敬)はいとこ甥に当たる[2:「土方久功 年譜」、やしの実大学]

n.d. 旧制・学習院初等科、同中等科

1919 東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻 科に入学。

三沢寛、林謙三、小室達、岡鹿之助、小泉清、山本丘 人らが当時の同学に在籍

1924 同学を卒業[4]。同年、土方与志が築地 小劇場を設立、同劇場の「葡萄の房」章は久功がデザインした

1929 パラオに渡り[1]、公学校(現地住民の 初等教育学校)の図工教員として彫刻を教える傍ら、パラオ諸島の各島、ヤップ島を詳細に調査する

1931 ヤップ諸島の最東端・サテワヌ島(現在の サタワル島)に渡り、7年間を同島で過ごす

1939 パラオに戻り、コロールにおかれた南洋庁 に勤務する

トラック諸島(現在のチューク諸島)、ポナペ島(現 在のポンペイ島)、クサイ島(現在のコスラエ島)、ヤルート(現在のジャルート環礁)、サイパン島、ロタ島を引き続き調査する

1940 『ヤップ離島サテワヌ島の神と神事』、南 洋群島文化協会

1941 『東亜論叢』、編集・出版文求堂

1942 小説家の中島敦とともに帰国。同年、ボル ネオ調査団に参加し、同年から日本が統治した北ボルネオを調査した。『パラオの神話伝説』、大和書店。

1943 流木』、小山書店

1944 病を得て帰国、岐阜県可児郡土田村(現在 の同県可児市土田)に疎開する。『太平洋圏 上』、編集太平洋協会、出版河出書房、1944年 - 太平洋圏学術叢書 3

1949 、東京都世田谷区に移転、彫刻家として暮 らす

1953 『サテワヌ島民話』(1953年)は、土 方が文字を持たないサテワヌ島で民話を採録しローマ字表記と日本語対訳を収録したもの。『文化の果にて』竜星閣。

1955 「非詩集ボロ」

1956 「青蜥蜴の夢」

1963-1975 福音館書店の編集者松居直に請 われて、1963年から1975年にかけて月刊絵本こどものともで計4冊の絵本を手掛ける

1963 『山の上の火』、ハロルド・クーランダー / ウルフ・レスロー、岩波書店、1963年 - 岩波おはなしの本。『おおきなかぬー』、共著大塚勇三、福音館書店、1963年 (こどものとも世界昔ばなしの旅 18 2005年)マオリ族の昔話

1965 『ゆかいなさんぽ』、福音館書店、 1965年(こどものともコレクション 1964-1972 1998年)

1970 『ぶたぶたくんのおかいもの』、福音館書 店、1970年 (こどものとも傑作集 1985年)

1967 『現代のエスプリ 22 神話』至文堂

1974 『流木=ミクロネシアの孤島にて』未來 社、

1975 『覆刻サテワヌ島民話』アルドオ。『おに より つよい おれまーい』、福音館書店、1975年 (こどものとも世界昔ばなしの旅 7 1997年)サトワヌ島民話

1977 1月11日、心不全で死去

1978 『土方久功遺稿詩集』、草原社、1978

1982 『青蜥蜴の夢』、土方敬子編、草原社、 1982年 - 草原叢書 第8集

1984 『ミクロネシア=サテワヌ島民族誌』、校 訂・解説須藤健一、未來社

1985 『パラオの神話伝説』、三一書房、 1985

1990-1993 『土 方久功著作集』(全8巻)、三一書房、1990年 - 1993年(1 パラオの社会と生活、2 パラオの神と信仰、3 パラオの神話と伝説、4 サテワヌの神と社会、5 サテワヌの民話、6 青蜥蜴の夢 文化の果てにて、7 流木 孤島に生きて、8 サテワヌ島日記 ノート)

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