はじめによんでね
高地ビルマの政治体系
Learch, E., 1965[1954], Political Systems of Highland Burma
解説:池田光穂
著者について:エドマンド・ロナルド・リーチ(1910-1989):文化人類学人物群像
第1部 問題の所在と背景
1章 序論
2章 カチン社会の生態
3章 シャン、カチン両範疇とその下位区分
第2部 カチン・グムサ社会の構造
4章 パラン——不安定なカチン・グムサ型地域社会
5章 カチン・グムサ社会の構造的諸範疇
1 序論
2 地域区分に関わる諸概念
3 人の集合体に関わる諸概念
4 姻戚関係とインセストの諸概念
5 財産と所有の諸概念
6 位階と階級の諸概念
7 超自然の諸概念
8 権威の諸概念——政治的、宗教的役割
第3部 構造的変異
6章 グムラオとグムサ
7章 グムサとシャン
8章 カチンの歴史からの証拠
9章 神話による派閥と社会変動の正当化
10章 結論
Learch, E., 1965[1954], Political Systems of Highland Burma, Boston:Beacon Press.
Part I .the Preblem and its setting
1.1 Chap.I. Introduction
1.2 Chap.II. The ecological background of Kachin society
1.3 Chap.III. The categories Shan and Kachin and their subdivitions
Part II .The Strucure of Kachi gumsa society
2.1 Chap.IV. Hplang-- an unstable Kachin gumsa community
2.2 Chap.V. The structural categories of Kachin gumsa society
2.2.1 I. Intoroduction
2.2.2 II. Concepts of territorial division
2.2.3 III. Concepts of concerning aggregates of persons
2.2.4 IV. Concepts of affinal relationship and incest
2.2.5 V. Concepts of Property and Ownership
2.2.6 VI. Concepts of Rank and class
2.2.7 VII. Concepts of the supernatural
2.2.8 VIII. Concepts of Authority: Political and religious office
3 Part III. Structural variability
3.1 Chap.VI. Gumlao and Gumsa
3.2 Chap. VII. Gumsa and Shan
3.3 Chap.VIII. The evidence from Kachin history
3.4 Chap.IX. Myth as a justification for faction and social change
E・R・リーチ『高地ビルマの政治体系』関本照夫訳、弘文堂、1987
クレジット:エドマンド・リーチ:高地ビルマの政治体系(解説ノート)
Edmand Leach の著作の読解に関する関連資料
1. Diagram to show formal
structural relations between principal lineages of the five villages of
the Maran sector of Hpalang 82 |
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2. Ground plan of a Kachin
chief's house 108 |
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3. Diagram to show theory of
lineage segmentation and the senior status of the uma du 131 |
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4. Diagram to illustrate
principle of succession 165 |
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5. Mayu-dama network between
leading chiefly families In the Triangle, Hukawng and Jade Mines areas
233 |
|
6. The relationship of humans to
gods 269 |
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7. The rank order of clan
ancestors 272 |
《人類学概念の偶像破壊》
・「私が言いたいのは……一組の言語範疇が一個の強固な構造を作っていること、そして、また カチンはつねにこうした範疇によって自分たちのまわりの経験的現実を解釈しているのだということである(それは自分たちが用い、また外部の人間にあたえも する解釈である)」(p.x)
・社会体系の均衡論的な前提への反撥(その理論的な力を評価しつつ、「そこから逃れる」 p.vi)。
・カチンの均衡体系=観念の次元ではそうだが、事実の次元ではそうではない(p.vii)。 そして、それはミラーイメージとして人類学者が社会をみる観念の次元の批判につらなるのではないだろうか?。だからこそリーチは「科学の上で虚構を用いる のは当然のことだからである」(pp.324-5)と言い切れるのだ。
・カチンの永続的な運動論ではない(p.x)。つまり、この本は、グムサ←→グムラオの循環 体系について述べたものではないことに注意。
・しかし、なぜ人は均衡論に陥るのか?。「人類学において社会というものがこのように時間、 空間からひきはなされるならば、素材に対する解釈は必然的に均衡分析となる」(p.9)。さらに、「調査は反復という概念なしに一度かぎりのものとして行 われてきたのだから、発表されるのは安定的均衡の分析となる」(ibid.)。民族誌というレトリカルな形式をとる表象が、逆にそのレトリックがその対象 そのものを規定するするさいに決定的なものになるのである。
・「エヴァンズ=プリチャード自身の著作があれほど美しく明晰なのは、ある種の非現実的状 況、すなわち均衡体系の構造を記述することに、みずからを限定しているからだ。」(p.322)。
・「一組の言語範疇のなかになら存在し得る構造と、直接観察されるひとまとまりの経験的事実 のなかでならふつうであるような構造の不在との区別」(p.xi)は、我々はがごくふつうに経験しているにもかかわらず、それが民族誌上では区分されない ことがある。そのような状況に反撥(?)することを主張する。
・頭のなかで考えられたモデルをいかにしてフィールドデータに合致させるか(=“事実につい て述べたものではなく、解釈について述べたものである”)を考える。しかし、我々の頭は曇らされる。それは「人類学者が自分のもつデータの性質について偽 りの仮定をいだいていることに、その原因がある」(p.8)。
・「概念化された社会モデルは必然的に均衡体系モデルとなる。一方、現実の社会はけっして均 衡をもたない。」(p.5)。それは均衡モデルが人類学者のつくりだした虚構だからだ。そして、カチンの人びとが抱くシャン/グムサ/グムラオも観念上の モデルであって仮想のものである(cf.pp.324-5)。
・「社会」=「自律的政治的単位」とみる(p.7)。
・「「ふつう」の民族誌的状況では区分の明確な諸「部族」が地図上に規則正しく分布し、相互 間の境界ははっきりしているという想定こそ学問上の虚構にちかいものだと、私は主張したい。‥‥民族誌家は、「ひとつの部族」という想定の上に書かれてい る。だが事実はそれを裏づけているだろうか。多くの場合、民族誌家は、「ひとつの部族」なる文化的実体が存在するにちがいないという公理に導かれて、そう した「部族」をさがし求めているにすぎない。こうして描かれる部族の多くは、民族誌的虚構の産物に近い」(p.331)。
・カチンのあり方の広域性や多様性ゆえに「カチン社会組織の研究は、各文化集団を社会的孤立 体としてあつかう古典的方法で進めることはできない」(p.68)。「北ビルマ的状況のもとでは、民族誌のなかで、一個の文化、一個の部族なる単位を措定 する通例のやり方は、絶望的なまでに不適当である。このことを明らかにするのが、本書を著すひとつの目的である」(p.321)。 ・「私はこの研究において、カチン文化の諸変異のなかに、大小を問わぬなんらかの「部族」的実体を求めようとしなかった、また、文化的変異を、中心にある 正統な規範からはずれた変種とするような、民族誌に一般的な手法もしりぞけてきた。」(p.333)
・「今日の人類学がもつ社会構造概念の根本的転換が必要だ」(p.316)。
・「一集団が文化と構造組織を変えることの結果を破壊的なものと考えがちなのは、外部からの 観察者だけである。変動が「法、論理、習慣を破壊する」と考えるのは、自文化中心の考えを捨てぬ人類学者の偏見である」(p.327)。
・儀礼論のなかで、美学と倫理学を同じものであると主張し、「ある社会の倫理の規則を理解し ようとするなら、美学こそ学ばねばなら」ぬと主張(p.14)。「人類学者の任務は、象徴化され表象されているものが何であるのかを発見し、みずからの専 門用語に翻訳することにある」(ibid.)。
【概念装置】
《権力概念》p.12-
・権力あるいはその背景にある尊敬を得ようとする人の動きが社会を動かす(p.12)、とい うイメージをリーチはもっているようだ。
・「カチンの経験的政治行動を、グムサとグムラオという対極的な政治原理への妥協的反応の産 物として見」る(p.xii)。
《儀礼と神話》
・儀礼を「ある特定の種類の行動」とみなすのではなく、「コミュニケーションの側面」として みること(p.xi)。これは文化的に規定された行動を言語としてみることであり、言語範疇による秩序化を通してはじめて出来事が構造的に見えてくる、こ ととパラレルである。
・デュルケームによる社会行為の二分法(聖なる宗教的儀礼/俗なる技術的行動)。しかし、こ れは呪術の定義と分類に直面したときに困難にぶつかる。そしてこの二分法には限界があり(p.14)、この両極の中間に社会的行為がみられるとしている。
・神話は儀礼と対をなす。「神話は儀礼を包含し、儀礼は神話を包含する」。「ことばによる言 明としての神話も行動による言明としての儀礼もおなじことを「語る」のである。」(p.15)。
リーチは、カチンの「神話のなかにいかなる論理的一貫性を見いだそうとしない。私にとって神 話は単にある種の人間行動類型を描写する一つの方法である。」(p.16)。「儀礼的行動と信仰は等しく社会秩序についての象徴的な言明の諸形式として理 解すべきだ」(ibid.)。「儀礼と神話は社会構造についての観念を<表象>する」(p.326:modified)。
出典はE.リーチ『社会人類学案内』(長島信弘訳)岩波書店(同時代ライブラリー 65) 1991(Social anthropology / Edmund Leach, New York : Oxford University Press , 1982)
・「社会人類学者が神話体系を内的に一貫したものと見なしがちなのは、神話は一種の歴史であ るという民族学的観念にとらわれているからである。この先入見が、神話分析の際の偏った取捨選択をもたらし、同一の物語の諸異伝間に「正しいもの」「不正 確なもの」という区分を行わせる」(p.302)。
・「もしここで、カチンの神話を観念体系の表現と見なし、規則や一連の歴史的事実の表現と見 ることをやめてしまえば、さまざまな伝承を通じた内的一貫性を求める必要も消失する。そして、同一の物語をあつかう対立的諸異伝間の矛盾は、あらたな重要 性を帯びるものとなる。」(p.305)。
・「語りは‥‥儀礼的行為であり、語り手が語りの瞬間にとっている特定の態度・立場を正当化 する」(p.315)。(→「語りは出来事そのものだ」モーリス・ブラン ショ)
・「神話と儀礼は記号言語であり、それをつうじて権利や地位の主張が表現される。だがまたそ れは論争のための言語であって、調和を保って響きあう合唱ではない。儀礼が時に統合のメカニズムとなるというなら、また時には分裂のメカニズムともなると 言わねばならない。」(p.316)。
《解釈の根拠》pp.16-
・言語は学びうるものである。カチン語の習得からリーチは、カチン語の言語表現が英語に近似 的に翻訳可能であると前提する。さらに、言語活動である詩の理解からさらに儀礼のような非言語的な象徴行動にまで、近似的な解釈が与えられると前提する。 「この種の前提が正しいことをしめすのは実に困難である。だがそれなしには人類学者のあらゆる活動は意味を失う。」(p.17)
《文化と社会体系》
・「文化の相違はたしかに構造的意味をもっている。しかし単に二つの人間集団が別々の文化を もっているからといって、(ほとんどつねに前提されてきたように、)それぞれが二つの全く異なった社会体系に属しているということにはならない。本書で私 はその逆の前提に立っている」(p.19)。
・リーチは文化の相違を決定づけるものは儀礼的側面をもつのだという。「文化の相違を維持 し、これに固執することもまた、それ自体社会関係を表現する一個の儀礼的行動なのである。」(p.19)
・そうしてカチンとシャンは互いを軽蔑もし、言語、服装、儀礼過程などには相互の差異があ る。だか、この外見上の差異にリーチは引かれない。「私の目的にとって真に重要なのは、まさに背後にある構造的様式であって一見してわかる文化様式ではな い。‥‥特定の構造がいかにして幾つもの異なった文化的装いをとりうるのか、また異なった構造がいかにしておなじ一連の文化象徴によって表れされうるの か、という問題に関心をもつのである。」(p.19)
【テーマ】
《カチンの定義》p.65
・「シャンは河谷に住み潅漑田で稲を栽培している。彼らはビルマ人とやや似かよった文化をも ち、どちらかというとより開化した人々である。これにたいし、カチンは山地に住み、主として移動的な焼畑の技法で稲作をいとなむ。」(p.2)
<モデルの限界?>
「概念化された社会モデルは必然的に均衡体系モデルとなる。一方、現実の社会はけっして均衡 をたもちえない。」(p.5)
《社会組織》pp.10-
・社会組織上の区別(および帰属アイデンティティ)
Kachin gumlao, Kachin gumsa // Shan
・政治形態上の区分
Kachin gumlao // Kachin gumsa, Shan
・政治形態の動態
Kachin gumlao ←→ kachin gumsa(Shan 型)
・カチン・グムサ/カチン・グムラオの政治秩序はともに理念型であり、現実の経験的事実とは 照応しない。
・グムサ・イデオロギーの解説(pp.57-8)、グムラオ・イデオロギーの解説 (pp.58-9)
・カチンのなかにひとつの社会体系がある。その下位の社会体系がシャン、カチン・グムサ・カ チン・グムラオである。「単なる組織様式としてみるかぎり、これらの下位体系は一つの主題の変奏と考えられよう」(p.69)。
・カチン・グムサはシャン社会をモデルにしている(p.138)。
・リーチが資料によって裏付けようとした命題(テーゼ)は「全体としてのカチン社会におい て、グムラオ型の地域社会はグムサ型の特徴を発展させる傾向をもつのにたいして、グムサの地域社会はグムラオ原理によって組織された小集団へと分解する傾 向をもつ」(p.258)。また、その言語使用は、グムサ、シャンは支配的な言語への同化を進めるのに対して、グムラオでは独立集団ごとに異なる方言が話 される傾向をもつという見解をリーチはもつ(p.329)。
・カチンが描く彼ら自身の社会構成体のモデルがシャン/グムサ/グムラオなのだ。「カチンは まさしく、グムサ−グムラオ間、グムサ−シャン間の相違をひとうの全体のなかの相違と考えようとする。また彼らは、こうした相違が絶対的なものでないこ と、個々人はこれらの範疇のあいだを移動できることを認めている。カチンは、人が「グムラオになる」「シャンになる」、といった言い方をする (gumlao tai, sam tai)。すなわちカチンの思考において、シャンとグムラオ型カチンの相違は理念の相違であり、民族学者が考えそうな民族、文化、人種の相違とは見なされ ない」(p.325)。
《タウンヤー農耕》pp.26-
《クラン−リネージの階層》pp.140-1およびp.145の図3.参照
△ Lahtaw major clan*
△ △ Kadaw lineage
△ △ △ Layawng lineage
△ △ △ △ Hpunraw lineage
*リー チは最大のリネージをクランと呼び、それらの間に絶対的な峻別をしない。「私はクラン という語を、最大規模のリニージ(アミュー)をさすのに用いる。この種の七つか八つの大きな大集団によって自分たちの社会が成りたっているというのが、カ チンのあいだでふつうの考え方である。‥‥カチンの「クラン」とは、一個の父系リニージであって、もはやそれ以上の深度や規模をもつ別の父系リニージの分 節とされてはいないものである。‥‥こうしたリニージは必ずしも外婚単位ではない」(p.142)。(通常のリネージとクラン概念はこち ら:「リネージとクラン」)
【マユ−ダマ関係】
・マユは wife giverで、ダマは wife takerのリネージ。
・マユ−ダマ関係は理論上は母方の交叉イトコ婚になる。しかし、それは生物学にもとづく交叉 イトコではなく。類別的な交叉イトコである(p.85)。[→記述 的親族呼称/類別的親族呼称]
・下のa〜b〜cは、「イトコの輪の道」と名付けられている。
・aリネージの男性にとって理論上は左のリネージの女性はインセストの対象になる。
・「マユ・ダマ関係はティンゴー集団規模のリニージ間の関係として働くものである」 (p.91)。
・マユはダマに対して優位なものとなり、ダマはマユに対して劣位にある。それは、マユとダマ が同じ地域単位の成員であるとき、ダマは規範が要求する条件(父系居住規則)に対して適合的でないので、構造的に不利になるというのがリーチの推論である (p.94)。
・厳密なマユ−ダマ関係を、中和化させる要素としてのヌム・シャライ(婚資の支払)とスムラ イ・カ(私生児を父系リネージに組込む際の罰金)がある(pp.86-88)。
・「問題なのはマユ・ダマ構造の図式であり、これこそが、さまざまなティンゴー集団をグムサ 型政治ヒエラルキーのなかに位づける根拠として用いられているものだった」(p.95)。
《マユ−ダマの図》:類別的ではなく(実体的な)交叉イトコを描いているので注意すること。 a〜c:「イトコの輪の道」p.151
《言語》
・カ チンの言語学範疇の登場が、その「人種」の登場を促進させる
カチンはもともと植民地統治者あるいは学者による文化的あるいは地理的なカテゴリーであっ た。しかし、1900年以降言語学において現存の諸言語および方言を分析することによって、その地域の住民の祖先の「人種」の歴史的な移動経路を明らかに できるという学説が受け入れられることによって、次第に人種的=言語的カテゴリーとして確立していった。(リーチ、1987:50)
・あたかも衣服を変えるように、使用言語を変えてゆく(p.57)。
・カチンの下位単位(方言集団)を「部族」として実体化できない理由(pp.60-1)。 《言語使用》
・カチンにおける社会的範疇の広さに注目する。そうすると「カチン固有の諸範疇のもつあいま いさは、その社会体系が機能するための根本的な土台である。‥‥さまざまな構造的諸範疇のカチンにとっての意味が極度に柔軟だからである」 (p.120)。
【本人によるコメント】
「私の『高地ビルマの政治諸体系』は、社会の境界と文化の境界は一致するという当時の一 般的見解に反論を加えたほかに、マリノフスキーの経験主義とレヴィ=ストロースの合理主義との間の一種の対話として構成されたものであり、私の思考法にお けるこの2つの対話的な要素が後の私のすべての著作に現れていることは、読者には明白であろう。」『社会人類学案内』長島訳、p.49
以下は同書(1985年版:Pp.271-による)
カチンの政治イデオロギーでは、天と地は不可分でかつ二元論的対立がある:天=ム、地= ガ 我々の天地(アンテ・ア・ラム・ガ)
原初的霧=男性、原初的鳥=女、との性交により、人間以外の事物・動物がうまれる。その 後、まだ両性具有性をもつチャヌン(おんな)とウォイシュン(おとこ)が現れる。
ナト(霊的存在)には、誇張された非人間、誇張された非自然の要素の2つにわけられる。 前者は、マユニ(与妻者)と関係——マユニ神としてのナト——があり、後者は人間に悪意をもつ。マユニ神としてのナトは、実際のナトに対して優位である。
この関係は、マユニはダマニ(取妻者)に対して政治的に異なる地位にあり、つねにマユニ はダマニに対して優位である関係と同じ。
川の化け物(「わに」)はバレンと称する——上掲の図を参照。バレンは、人間の不完全さ の源泉であり、アダムとイブにおける蛇の関係と同じ。
カチンは、末子相続。リネージ長として首長職をつぐのは末子の息子。それゆえ、天のナト
のなかで一番わかりマダイ(先の図)が天のナトにおける皇太子。彼は、カチンの最初の人間祖先の息子シングラ・クムジャの自分の娘マダイ・ジャン・プラ
ウ・ンガを妻として与えることに対して、カチン首長にたいしてマユの関係にある。
Source: Social anthropology / Edmund Leach, New York : Oxford University Press , 1982, p.216.
【地図資料】
【序文をめぐるエピソード】
"All this is to indicate that the stimulation of Dr. Leach's theories is wider than the ethnographic province with which he has primarily dealt. The book will appeal to those who are interested in problems of government In undeveloped territories as well as to those who wish to have a really good first-hand study of one of the more primitive types of SouthEast Asian society. But to me its prime importance is as a major contribution to the theory of social systems. The book is a superb piece of craftsmanship done to an exciting design ; the best tribute one can pay to it is to hope that before too long the author will have the opportunity to repeat the design, with modifications to suit another material of as Interesting quality." - Raymond Firth, 1964
"Professor Firth's generously worded foreword provided such excellent sales talk that the first edition of this book rather rapidly went out of print." - Edmund Leach, 1964
【文献】
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099