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更年期の構築
ーー医療が描く女性像ーー
山本 祥子
第11号(2004年2月)
はじめに
女性の中高年期には「更年期」という難関があると考えられており、折しも団塊の世代がその年代を迎えつつある今日、日本人口の約一割に相当する数の女性が「更年期」ゾーンに入っていると言われている(1996年8月14日付日本経済新聞)。主婦層を対象とした女性誌やさまざまなメディアには「更年期」関連の情報が溢れ、そこでは医療専門家による「更年期とはどのような時期であるか」、「どのような症状が現れるか」、「できるだけ快適に過ごすためには、どのような対処や生活態度が必要か」といった‘啓蒙’活動が熱心に行われている。そして、そのような活動は、「更年期」に対する人々、特に女性たちの関心を一層高めている。
「更年期」は一般に閉経と結びついた現象として理解されており、そして閉経は初経以来続いていた女性の生殖期間の終焉を目に見える形で提示する。ところで、われわれ女性は生殖と関わる月経について、奇妙に違和感を覚える体験を余儀なくされてきた。初経を迎えると家族が赤飯で祝うという風習があるが、筆者はかつてその時を迎えた時に、母親から「赤飯で祝ってほしいか」と尋ねられ、「いらない」と答えた記憶がある。単に個人的体験として、さして意識にも留めずにきたのであるが、授業を担当する女子学生たちの中にも全く同じ体験をもつ者が少なからずいることを知り、このような母と娘の反応が単に偶然や個人的なものではないことに気づいた。初経を迎えること、あるいはそれを祝ったり祝われたりすることへの女性たちの反応は複雑である。母親も娘も、初経を迎えることを正常な発達として喜ばしく感じる反面、社会的に月経は不浄なもの、恥ずべきもの、秘すべきものとされていることを知っている。そこに矛盾を感じるが故に、手放しで祝う気になれない。このような月経に対するアンビヴァレンスは、多くの社会で見られることが指摘されている(バードウィック、1974、原著、1971)。
それでは不浄なものとされる月経からの解放、すなわち閉経が浄化につながるのかといえば、そうではなく、閉経後の女性は母性性も女性性も喪失した無用の存在に貶められてきた。子宮が機能している状態も、機能しなくなった状態も忌むべきものとして位置づけられてきた事実は、女性全体の自己イメージを著しく損ない、無意識のうちに自らを社会的劣位に置くことに寄与してきたに違いない。
また、「更年期」と重なる中高年期には、男女の間に二重基準が存在した。人の一生で、この時期ほど女性と男性の人間としての価値が隔たる(とされてきた)時は他にない。さまざまな研究が、女性が伝統的な体制のもとでいかに劣位に置かれてきたかを明らかにしているが、それでも首尾良く結婚に成功し、母性性を発揮できている限りにおいて、女性にもそれなりの社会的価値が認められてきた。しかし母性性を失い、若さを失う中高年期には、女性はその存在価値を全く喪い、古くは迫害の対象にすらなったのである(「魔女狩り」の歴史書に詳しい)。わが国においても、中高年女性を表す表現といえば、‘おばたりあん’といった蔑称のイメージが主流となってきた。そのような時期に都合よく「更年期」が準備されていることについて、筆者は月経に関する不可解かつ不愉快な体験と併せて、何か‘作為的なもの’を感じてきた。ジェンダー論という視角を得た現在では、それは‘政治的な仕組み’と言い換えることができるであろう。
そこで、実際のところ「更年期」とは何か、どのようにして我々の社会に立ち現れたのかという疑問を解くために、現在「更年期」の定義付けや説明を独占している医療領域でのその扱いを年代順に追うこと、つまり「更年期」の医療化過程を原初からたどることを志した。
ところで、われわれの社会では病気を「身体上、あるいは精神上に現れる何らかの不調」と意味づけており(波平、1984)、その意味でここで扱う「更年期(障害)」もひとつの‘病い’と位置づけることができる。一般に‘病気’については、その本態とは別にそれぞれ固有のイメージが形作られ、そのようなイメージが病気に張り付く政治的な隠喩として人々に影響を与えていることを指摘したのはスーザン・ソンタグであった(ソンタグ、1992、原著1978)。本稿では医療論文の分析を通して「更年期」の医療化過程を辿り、更にわが国において「更年期」のイメージが作り上げられてきた過程を明らかにしつつ、その隠喩を読み解くことを主たる目的としたい。
1.「更年期」の記号
医療論文の分析に入る前に、一般に流布している「更年期」という語の記号性に触れておきたい。日本国語大事典(小学館)によると、「更年期」という語はすでに明治時代の小説「青春」に現れており、閉経期女性の情緒的不安定を表す文脈で用いられている。しかし、現在われわれが親しんでいる「更年期」概念、すなわち閉経前後には心身の不調が発現し、それは医療の対象となり得る、といった「更年期」の捉え方は比較的新しい。伝聞によれば明治生まれの女性たちは「更年期だ何だといって騒がなかった」とのことである。後に見るように、「更年期」の医療モデルは第二次大戦後に出現した。
その医療では「更年期」と「更年期障害」は同義ではないことを強調しており、確かに「更年期」は字義通りには一定の期間を指す語であるが、留意しなければならないのは「更年期」が決して時間的巾のみを表す概念ではないことである。われわれが「更年期」の語を思い浮かべる際には、そこに必ず「更年期障害」が内包されている。一般には「更年期」と「更年期障害」はほとんど同義に用いられることすら観察され、日常会話では「更年期がひどい」とか「更年期はほとんど無かった」などの表現もみられる。閉経前後の時期に「更年期障害」を訴えて医療機関を訪れる女性は一部に過ぎない。しかし「更年期」が閉経を中核として成立しており、その閉経は大方の女性が迎える普遍の現象であるために、あたかも全ての女性が「更年期障害」の脅威に晒されているかのごとき構図が成り立っている。筆者は授業を担当する女子大学生に毎年「更年期」について尋ねることにしているが、その語自体を知らない学生はきわめて希であり、また「更年期」について何らかの明るい肯定的なイメージを持つ者は皆無である。言うなれば、女性は人生の早い時期にこの語と出会い、その年齢に達するまでにたっぷりと時間をかけて無意識のうちに「更年期」への予期不安をふくらませるといっても過言ではないであろう。そして、それ故に「更年期障害」は実現される。
2. わが国における「更年期」の医療化過程
コンラッドとシュナイダー(1980)は医療化過程、つまり今まで医療の対象として存在しなかった状態が医療の対象となるプロセスには、概念化、制度化、そして医師ー患者間の相互作用という3つのレベルがあるとしている。まず概念化レベルは、医学用語や医学モデルを用いた医学的な‘発見’が学会誌などで報じられることから始まり、そこで要因論の展開や定義付けが行われる。そこで、医療モデルである「更年期」を理解するために、その医療化最初期段階である概念化がわが国でどのように進行していったかを、医学論文を年代順にフォローすることによって見ることとした。
分析対象とする医学論文は、月刊誌『産婦人科の世界』(医学の世界社)掲載のもの(キーワードとして更年期、更年期障害、中高年女性、不定愁訴、自律神経失調の語をタイトルに持つもの)を選択した。当誌は1949年(昭和24年)に創刊され、今日7000部の発行をみる月刊誌であって、商業誌ながら長期間継続発行されていること、論文発表者および論文掲載誌の権威や影響力が大きいこと、などの点で「更年期」の概念化過程をみる(Bell,1987)ための条件を満たすものと考えられる。
『産婦人科の世界』掲載の「更年期」関連論文 158報 を通読すると、およそ以下のようのようなことが明らかになる。
1) 日本社会に「更年期」という概念が広まりはじめたのは 1950年代後半になってかのことである。
2) 「更年期」医療の歴史は、要因論や定義づけをめぐっておよそ二つの時期に分けることができる。その前期は「更年期」導入期の1950年代から1980年代半ばまでであり、「更年期障害」の要因を生物学的、心理学的、環境的の三つに帰する3要因説が主流を成す。後期は1985年ごろから今日に至るまでで、「更年期」の新しい捉え方が導入され、エストロゲン(卵胞ホルモン)単独要因説が「更年期」医療を席巻する。
3) 「更年期」関連の論文数は年代を追って増加の一途をたどる。
4) 医療言説の中には「更年期」の医原病的性格や、「更年期」そのものを疑問視するもの、つまり対抗言説(カウンター・ディスコース)も存在するが、それらは「更年期」医療の重要性を強調する言説活動の大きなうねりのなかにかき消されていく。
5) 対象誌掲載の「更年期」関連論文のうち、医学論文(執筆者および筆頭執筆者が医師または医学者であるもの)の著者をみると、その 98.7%が男性である。
6) 「更年期障害」の要因は、すべて患者である女性個々人の中に求められ、環境的要因と言われるものにも社会的要因、つまり社会構造そのものに要因を見いだそうとする視点は決して現れない。
7) 「更年期」医療成立には多くの隠喩が関与している。
上記 7項目のうち 1)〜4) は「更年期」の成立過程に関する内容であり、5)〜7)は「更年期」を扱う医療の体質を物語るものである。 本稿の主たる目的は 7) に関するものであるが、わが国における「更年期」医療の歴史の概略をみながら医療の保持する体質を理解し、「更年期」という‘病い’に張り付く政治的隠喩の検討を試みることとしたい。
「更年期」の導入期と3要因説
『産婦人科の世界』は1949年創刊であるが、「更年期」関連の論文が現れるのは6年後の1955年になってからである。最初の執筆者である九嶋は、後に自分が「更年期の研究に手を染めたのは終戦直後であり」また「その頃更年期障害の研究など手がけているものは誰もいなかった」と述べていることから(九嶋、1955)、「更年期」が社会的認知を得はじめたのは九嶋による論文が公表されはじめた1950年代半ば頃と考えてよいであろう。
この頃から1980年代半ばにかけて「更年期」の要因や定義について諸説が現れるが、基本的には定義は1976年に開催された“更年期に関する国際会議”での合意に基づき「生殖期から生殖不能期への移行期」とされる。また「更年期障害」は「更年期に発現する自律神経症候群」であり、内分泌性のものと心因性のものとがあるとされる。(九嶋、1955)。その要因としては、内分泌性の‘生物学的要因’と、個人的性格や態度に由来する‘心理学的要因’、それに閉経期前後の女性が置かれている家族的状況、すなわち‘環境的要因’が絡み合ったものとする3要因説が成立し(森、1980)、後述の新モデルが登場する1980年代半ばまで「更年期」医療を支える理論的根拠とされる。
ところで、数多くの論文に現れるこの3要因モデルを客観的に検討すると、いくつかの矛盾がみられ、このモデルが「更年期障害」を十分に説明し得るものではないことが明らかになる。「更年期障害」のうち‘ほてり’や‘のぼせ’‘性交困難’などいくつかの身体症状はエストロゲン分泌量の低下、すなわち生物学的要因との因果関係が立証され、エストロゲン補充療法による効果が認められるのであるが、「更年期障害」の主要な症状とされる心因性の諸症状については、いづれの論文においても閉経やエストロゲン量減少との因果関係が明確にされておらず、それらを「更年期」特有の障害として位置づけるに足る、説得力のある説明がなされていない。以下にその詳細を見て行くこととしたい。
心因性の「更年期障害」は研究者の見解に従って神経性様症候群、自律神経症、不定愁訴症候群、更年期心身症などと呼ばれるのであるが、これらの症状や症候群に対しては、エストロゲン補充療法を実施しても効果が見られず、内分泌とは無関係であることが早くから指摘されていた(九嶋、1955、1958)。
更にこれらの症状が決して「更年期」に固有のものではなく、思春期にも、妊娠、産褥、分娩などと関連するいわゆるマタニティー・ブルーとしても、あるいは流産、人口中絶、不妊手術、子宮摘除などの後などの性成熟期にも、また老年期にも発現することが報告されており(長谷川、1972、藤井、1974)、「年代に関係なく更年期障害様の症状を示す群が各年代層に一定の割合で存在する(本庄、1989、森、1985)」ことが明らかにされている。つまり、心因性症状は「更年期障害」の主要な部分を成しているとされるにも拘わらず、それらは「更年期」に限って発現するわけではないのである。
もしこの時点で「更年期」問題、特に中高年期女性の心因性諸障害の問題が医療の枠を越え、幅広い議論をよんでいたならば、それらが医療の問題というよりは女性の心理社会的問題であるとの見解も生じ得たであろう。筆者がもっとも問題視したいのは、「更年期」が閉鎖的に医療問題とされてきたために、それらが女性個々人の‘病い’としか認識されず、女性が置かれている社会的立場、つまりジェンダーの問題として検討される可能性が封じられてきた点である。この議論は後の「更年期」の隠喩の項で改めて取り上げることとして、医療モデルに論を戻すこととする。
3要因説にもとづく「更年期」モデルが説得的な理論を打ち出すことができない事実は、「更年期」医療の悩みの種であることが医療言説に度々表明される。曰く「更年期の問題は・・・十分に解明されていない(小林、1966)」、「何分にもこの時期の医学的問題には社会的要因が多いので隔靴掻痒の感(森、中島、1978)」「独立した疾患として認めるとしても、その定義は必ずしも定かではない(唐沢、1980)」「更年期の病態については・・・未だに統一された見解がないのが実状(相良 他、1989)」など。「更年期は確かに存在するものであるが、定義し難いものである(柳沼、1989)」といった「更年期」の把握しがたさに対するいらだちにも似た表現が繰り返される。
このような曖昧性から、医療内部にも「更年期」そのものを疑問視する声があがり、「精神医学の立場から・・・更年期障害といわれるものが疾病単位を意味するかどうか判らない、それが症候群として一定の状態をあらわしているのかどうかも不明である、との指摘がある(古賀 他、1966)」といった産婦人科内部での自省の声もあがる。
しかし、医療内部で問題になっているこのような曖昧性とは無関係に、一般には「更年期」は実在するものとして広く流布し、導入以来30年の間に医療モデルとしての「更年期」は確実に社会に根付いて周知の概念となる。
「更年期」医療モデルの基盤が曖昧であるにも拘わらず、それを体験する女性たちから何の異論も異議申し立ても提示されないまま今日に至った背景としては、医療の専門性と威信の高さ、そして女性の側に中高年期の諸問題を‘病い’としておきたかった無意識的な動機が働いているものと考えられる。また、語るのは男性であり、女性は語られる側に置かれてきたというジェンダーの構造も関係している。このような女性の医療への‘取り込まれ易さ(ヴァルネラビリティー)’については、稿を改めて「患者化」あるいは「医師—患者間の相互作用」をテーマとして論じたいと考えている。
エストロゲン単独要因説の登場
1985年に従来と異なった「更年期」および「更年期障害」の捉え方を示す一つの論文が発表され、「更年期」医療は新たな段階を迎えることになった。この新モデルを発表した五十嵐は、従来の「更年期障害」の用語の曖昧性を指摘し、最新の米国における考え方を導入して「更年期」に新たな定義づけを提唱した(五十嵐、1985)。「更年期」を「卵巣機能の急激な衰えに随伴してエストロゲンの分泌が低下する時期」と限定し、また「更年期障害」も「女性の更年期に出現する症状のうち、エストロゲンの減少によって起こってくる特定の症状(月経不順〜閉止、顔面紅潮、不眠、寝汗、その他エストロゲン投与で治療する症状)を指す」と限定した。
これによって医療を悩ませてきた「更年期障害」の曖昧性は一応払拭され、治療もエストロゲン補充療法という明確な路線が打ち出されることになる。しかし、この狭義の「更年期障害」のみでは、治療対象が従来に比べ極度に縮小されることになる。そこで、五十嵐は狭義の「更年期障害」に、従来からの心因性更年期障害を「閉経期精神症候群」として、また閉経後女性のエストロゲン慢性欠乏に起因する諸症状を「老年期障害」としてつけ加えて、これらを閉経症候群と総称することを提唱する(五十嵐、1986、下図参照)。
閉 「更年期障害」・・・エストロゲン急減に起因する諸症状
経
症 「閉経期精神症候群」・・・従来の不定愁訴症候群など心因性の諸症状
候
群 「老年期障害」・・・エストロゲンの慢性欠乏に起因する諸症状
(骨粗鬆症、高脂血症、肥満など)
以上3要因説とエストロゲン単独説について述べてきたが、結論から言えばこの二つの説は根本において差異をもつものではない。疾病の名称や範疇は異なっていても、両説とも「更年期」医療の対象とするのは内分泌性と心因性の諸症状であり、新しいモデルでは「老年期障害」をエストロゲンの慢性的欠乏状態として治療対象につけ加えることによって、「更年期」医療の範囲を更に拡大している。そして、「更年期」の全体像は相変わらず「定義しがたいもの」としての状態にとどまっている(柳沼、1989)。
この新しいエストロゲン単独説には女性にとって重大な問題点が含まれていることを指摘しておかなければならない。この説は、加齢に伴う女性ホルモンの趨勢的減少の流れを自然の成りゆきとは捉えず、糖尿病などと同じく‘欠損症(deficiency disease、McCrea,1983)’とみなすことになる。結果としてすべての女性が治療対象の範疇に入ることになり、女性は‘生まれながらの患者(natural patient、田原、1995)’とみなされることになる。
「更年期」医療モデルに共通する見解は、先にも触れたように「更年期障害」の原因と治療目的を女性個々人の中にみる点である。これは「更年期」に限らず医療全体の問題点として指摘されているが、美馬は「あることがらを近代医療の対象とすることは、それを‘病気’という個人的な問題とみなすことを意味し、そのことがらが持ちえたかもしれない社会的な広がりを隠蔽してしまうことである」と述べている(美馬、1995)。「更年期」医療はジェンダー論的視点を欠いており、女性の中高年期の諸問題を医療問題として取り込むことによって、ジェンダーを見直す機会を狭めてきたことは先にも指摘した通りである。結果として「更年期」医療は伝統的な体制を維持、強化する機能を果たしてきたとすることができるであろう。
3.「更年期」産業
『産婦人科の世界』が掲載する「更年期」関連の論文数は時代とともに増加の一途をたどるが、専門領域における「更年期」言説の量的増加は世界的傾向であることが報告される。その事実は医療言説の中では「更年期の重要性の認識が増幅している証左である(柳沼、1989)」とされているが、「誰にとって重要か」という点については重要性を主張する人々、すなわち医療に携わる人々にとって、という皮肉な指摘も可能である。
1950年代の「更年期」成立当時から近年までの「更年期」論文を注意深く読むと、論文数の増加に伴って、その中で扱われる「更年期」患者の数も増加していった事実が浮かび上がってくる。医療の対象でなかったものが医療化されることによって、多くの患者が医療機関の門を叩くことになるが、現在の「更年期」のように全ての女性を巻き込み得る‘病い’の場合には、患者となる女性数は膨大なものになる。それは当然のことながら医療機関と製薬産業の隆盛につながるであろう。近年、予防医学の必要性から更年期検診制度の実現が強力に主張されているが(桑原、1990、永田、1991、ほか)、それが実現をみれば医療機関に割り当てられる予算や治療費は膨大な額に達するであろう。
医療が専門誌およびマス・メディアを通して行う一連の「更年期」言説活動を中高年女性対象の市場開拓と捉え、「更年期産業」と喝破したのはニュージランドのサンドラ・コウニーであった(Coney, 1994)。本稿で分析対象とした医療言説からも「更年期」の産業としての側面を読みとることができる。すでに1970年代には少子化への懸念が見通され、『産婦人科の世界』でも少子化対策の特集が組まれているが、そこで「斜陽の産婦人科診療にとって・・・「更年期」は救いの一つとなり得るのではないか・・・更年期障害はいわば産婦人科の宝庫(森、1978)」といった医療の利益の意図も仲間内では隠されることがない。
4.「更年期」の隠喩
従来のジェンダー、つまり社会文化的女性役割は女性に母性とセクシュアリティーを求めてきた。伝統的な視点からすれば、「更年期」と呼ばれる時期に女性はその両方を失う。
しかも、中高年期の意味には男女の間で二重基準が存在した。女性が「更年期」にあたる40歳代後半から50歳代後半にある時期、その配偶者たちは所属する組織においてそれぞれ相応の高い地位を占めて‘壮年’と呼ばれるように働き盛りの時期にあり、また「中年の魅力」とか「ロマンスグレー」といった呼称でも象徴されるように性的にもまだ十分に魅力的たり得る、人生でもっとも充実した段階にあった。 伝統的なジェンダーは女性の幸せを結婚に限定し、人生の最も重くかつ価値ある役割は、子を産み育てる母性性にあるとしてきた。母役割遂行後にしかるべき社会的役割が用意されていなかった事実や性の二重基準、性における夫たちの横暴が「主婦症候群」や空巣期の憂うつとして発現したことはわれわれの記憶に新しいところである(目黒、1980、円より子、1988)。そのような社会状況のもとでの閉経は、女性にとってセクシュアリティーと生殖能力の終焉、すなわち女としての終わり以外の何者でもなく、閉経後老年期にいたるまでの女性は、定年退職後の男性に対する蔑称「産業廃棄物」になぞらえて言うならば「生殖廃棄物」といった存在であった。女性の‘老い’にそのような意味しか与え得ないような社会において、閉経と結びついた「更年期」に女性たち自身が何らかポジティヴな感情を投影し得たであろうか。男性の充実した中高年期に引き比べ、女性の中高年期は自尊感情の低下を招来せずにはおかないような、悲しくも空しい、女としての終わりの時であった。医療が提供する「更年期」モデルは社会の、そして女性たち自身のネガティヴな中高年女性観を背景に成立したのである。「更年期」の医療言説は専ら男性による論文で構成されているが、その中では伝統的ジェンダーに基づく女性観が端的に表明されている。追ってそれらについての検討を加えたい。
病気にはさまざまな隠喩が張り付くことに注目し、文学作品などを通して結核と癌、それにエイズの象徴的意味を読み解いたのはスーザン・ソンタグである(ソンタグ、1977、1988)。ソンタグは人間にとって避けられない病いに対処するには、隠喩がらみの病気観を一掃することが「健康に病気になる」方法であるとしている。ソンタグに準じるとすれば、「更年期」とよばれる時期を最も健康にやり過ごすためには「更年期」の隠喩の正体を明らかにし、それらから解放されることが必要であろう。既述の通り「更年期」は独占、排他的に医療概念であり、「更年期」の医療言説は専ら男性によって語られた女の心と身体の状態から成り立っている。その医療言説の中から「更年期」の隠喩となっている代表的な記述をいくつか拾い出してみたい。
☆「更年期障害」の多くは自律神経の失調に起因するが、・・・人工流産の罪悪感がしばしばその遠因になる(志田、1957)。
☆ 更年期の女性が最も耐え難いのは、男子には無い更年期を女子のみが耐えなければならないという不公平であろう。女子の生理的障害は何と苦難に満ちたものであることか。月経が順調で、その存在が女性の若さやホルモンの充実の徴と自認してきた者にとっては、更年期は若さとの決別を意味し、老衰への第一歩として恐ろしく耐え難いものと感じられるに違いない(小林、1966)。
☆ 婦人がもつ自らの美貌の衰え、性愛面、リビドー面、その他一切の老化への不安はわれわれの想像を越えるものがあると思われる(小川、1966)。
☆更年期障害は・・・家庭婦人より職業を有する者の方に多く現れる傾向があり・・・職場における負荷を軽減すれば発症を抑制することができるものと考える。彼女らにおける負荷の軽減とは、現在の地位の放棄か部分的サボタージュにほかならない(唐沢、1969)。
☆ 女性にとって本能的な女性美は卵巣機能をおいては考えられないので、更年期には当然これにも衰えが見えだし、焦燥感を抱くようになる。そのほか更年期婦人では、家族(子供、主人、性問題、経済問題、子供たちの巣立ちと孤独感、嫁姑問題ほか)での心配事や成人病への不安なども起こりやすいので、心理的にも不安定になりがち・・・更年期は婦人の一生の他の時期に比べて身体的にも精神的にもきわめて不安定な特殊な時期といえる(森 他、1978)。
☆ 女性には「女性」と「母性」の二つの面があるが、・・・「母性」を失うことの意義は計り知れないくらい大きく、再び取り戻せなくなった時の衝撃もまたしかりである(唐沢、1980)。
☆ 独身婦人においては・・・将来結婚する機会に恵まれる可能性はきわめて少なく、そのために老後に対する不安感は大きい。これが更年期障害の誘因として無視できない・・・(唐沢、1980)。
☆ シングルの女性たちの中年心理として・・・閉経を迎え、自分が母親になることの可能性が全くなくなってしまうことに対する心理的な反応が起こる。自分の女性としての生物学的な可能性を、ついに実現しないまま人生を終わるという限界に直面したときに、これで本当によいのかという迷いが生じる(小此木、1984)。
上にあげたのは「更年期」医療に携わる医師たちの基本的な女性観を示す例の一部に過ぎないが、それらは共通して伝統的なジェンダー観に基づく女性への役割期待に裏付けられている。それらは以下のように要約することができる。
1)中高年期(更年期)は若さとの決別を意味し、老衰への入り口と感受されている。
2)女性にとって生殖能力を失うことは大きなダメージである。
3)女性は若さとパッケージされた美しさを喪失することに対して大いなる不安をもつ。
4)女性は妊娠中絶に対して罪悪感を抱いている。
5)結婚は女性の幸せの基本であり、独身女性の老後に対する不安は大きい。
6)家庭の主婦に比べ、職業をもつ女性の境涯はストレスに満ちたものである。
7)医療は女性の生活様式や生きがいについて、適切な指導力を保有している。
以上のような女性観には、家庭に閉じこめられてきた女性の不満や不安、職業に従事する女性をとりまく性差別的な環境への目配りは認められず、一方女性の中高年期に関する明るい側面、例えば月経の煩わしさや母役割から解放される歓び、外面上の若さや美貌とは別の女性の内面的成熟への評価、女性が個人として生きる人生での充実感などへの視点が欠けており、また家庭における家事、介護、嫁姑関係などの主婦役割を自明のものとしている。
医師たちの女性観に基づく「更年期」の隠喩は、女性の価値を若さと母性性のみに置く伝統的性別役割分業体制のエキスともいうべきもので、まさにソンタグの言う政治的意味あいをもつものと言えよう。「更年期」という装置は、貶められた中高年期女性を‘病い’として医療に取り込むことによって、ジェンダー変革の契機を封じ込め、伝統的構造の維持強化に寄与してきたことになる。
5.「更年期」の再定義に向けて
老化や死は避けられないものである。しかし、女性が閉経を迎えたからといって老衰を嘆くには人生は長くなりすぎた。社会の高齢化が中高年期の女性の行動を変え、その時期への意味付けをも変えつつある今日では、マス・メディアにみる医療言説にも「更年期」を肯定的に捉えることを促すものが出てきている。しかし、医療概念である「更年期」そのものが中高年女性を医療にからめ取り、積極的な行動への方向付けを阻む機能を果たすことはこれまでに述べてきた通りである。
更年期は本来 change of life を意味し「生活を改める時期」と解することもできる。医療概念として生まれた語であるために閉経と結びつけられてきたが、新たにより広義に意味付けを行うとすれば、諸々の社会的役割から解放される時期、例えばユングやレビンソンが提唱する‘個性化’のための時期という捉え方も可能であろう。そうなれば更年期は男女両性に適用可能な概念となるし、そこでは閉経や「更年期障害」は更年期に起こる諸々の事象の一部にすぎなくなる。
今後ジェンダーの変革が更に進み、伝統的体制の中で培われてきた制度としての‘女’(萩野、1990)が変容を遂げれば、女性の中高年期の意味も変わり、「更年期」の存立はその根拠を失うのではないだろうか。
まとめと展望
「更年期」は「更年期障害」を内包した医療概念である。
「更年期」がわが国に出現したのは、1950年代になってからである。つまり、その頃から中高年女性の医療への取り込みが始まった。その後医療による「更年期」の言説活動は年を追って盛んになり、その結果「更年期」患者も増加していった。
「更年期」は、ホルモンの定量など科学技術の進歩によってつくり出された‘病い’であると同時に、家父長的体質をもつ医療によって構築された概念であり、伝統的な女性観、つまり女性の社会的役割は母性性と女性性にあるとする旧いジェンダーの上に成立している。換言すれば、「更年期」自体が近代という時代がもつ女性観を基盤としたジェンダーの一側面とみることができよう。
現在では「更年期障害」は閉経前後のエストロゲン分泌量急減に起因すると考えられており、その治療法は主としてエストロゲン補充療法となってきている。エストロゲン量の不足を‘病い’と捉えるこの「更年期障害」観によると、閉経以後の女性全てが「更年期」医療の対象となり、女性は‘生まれながらの患者(natural patient)’として医療専門家の支配下に置かれることになる。もはやこのモデルは「更年期」の成立を支えてきた隠喩を必要とせず、個々の女性の生き方(伝統的であろうと非伝統的であろうと)に関わりなく全ての女性を医療の対象とし得る。しかも、部分的ながら中高年女性を「更年期」という‘病い’に取り込むことによって、ジェンダー変革の契機を封じ込める機能も果たすであろう。
若い世代を中心に女性たちの生き方が変貌を遂げつつある今日、医療に欠けているジェンダー論の視点から「更年期」の捉え直し議論を行うことによって、中高年期における女性の在りかたも現在とは異なったものに展開する可能性が開かれている。筆者が本稿で表明したかったことは、「更年期」が医療問題としてのみ扱われてきたことへの異議申し立てである。
ここでは「更年期」医療の言説活動を分析対象としてその構築過程を検討してきたが、次稿では患者である女性の側からの「更年期」構築への関与を検討することとしたい。
参考文献
1.資料とした医学文献:
『産婦人科の世界』1949、Vol.1(創刊号) 〜1995、Vol.47 (引用文献リスト 割愛)
九嶋 勝司『更年期のはなし』同文書院、 1974
2.それ以外の参考文献
Bell, Susan.E.,Changing Ideas: The mediーcalization of menopause, Soc. Sci. Med., Vol.24, No.6, pp.535-542,1987.
バードウィック、ジュディス著、今井 欣悦 他訳『女性心理ー性的・社会的葛藤の分析』原書店、1974
Coney, Sandra,The Menopause Industory: How Medical Establishment Exploits Women, Hunter House, 1994.
Conrad, Peter & Schneidar, Joseph, Lookーing at levels of medicalization: A comment of Stro-ng's critique of thesis of medicーal imperialism, Soc. Sci. Med.,Vol.14A,pp75-79,1980.
萩野美穂「女の解剖学ー近代身体の成立ー」、萩野美穂編著『制度としての〈女〉ー性・産・家族の比較社会史ー』平凡社、1990.
Kaufert, Patricia A. & Gilbert Penny, Women, Menopause and Medicalization, Cultーure, Medicine and Psychiatry 10, D. ReidelPublishing Company, 1986.
キッセ、J.I.,スペクター、M.B.、村上直之訳「社会問題の構築ーラベリング理論を越えてー」マルジュ社、1992
レビンソン、ダニエル J.『人生の四季』講談社、1980
円より子『主婦症候群』筑摩書房、1988
McCrea, Frances B.,The Politics of Menーopause: The“Discovery of Deficiency Disーease”,Social Problems, Vol.31,No.1,1983.
目黒依子『主婦ブルース』筑摩書房、1980
美馬達哉「第3章 病院」黒田浩一郎編『現代医療の社会学』世界思想社、1995
波平恵美子「病気と治療の文化人類学」海鳴社、1984
ソンタグ、スーザン、富山太佳夫訳『隠喩としての病い』『エイズとその隠喩』みすず書房、1992
佐藤純一「第1章 医学」黒田浩一郎編『現代医療の社会学』世界思想社、1995
田原範子「第8章 精神医療」黒田浩一郎編上掲書
徳岡秀夫『社会病理の分析視角』東京大学出版会、1987
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