はじめに読んでくだ さい(池田光穂)
佐藤郁哉(1992)
フィールドワーク論
【佐藤郁哉, 1992のフィールドワーク論】
最近、増補版(2006)が出たらしいが、チェックしていない! しばし待たれい!
まず章立てをチェックしてみよう。コロン(:)の後の数字はページ数(初版第5刷)。
ふうむ。私は章立て評論家ではないが、これだけでもかなりの情報量がある。なるほど、多くの学生ならびに教師に愛されてきたわけであ る。以下にコメントを付してみよう。
*)全体の特徴として、まず、副タイ トルが多く付されていることがわかる。これは、内容を表象する標語として的確に表現されている。章や節ののタイトルの指標性が高いということが第一点。と いうことは、この本を大まかにマスターしたあとは、この章立てを眺めているだけでも、その内容を再演しやすいということだ。つまり、教科書に使いやすいよ うな章立てのネーミングがなされていることである。逆に言うとこんな薄い本でここまで説明するのはくどいという感じもするが、それは玄人の浅はかな考え で、あくまでも全体をとらえるための、初学者あるいは学習者には、とてもよくできたものである。
**)はじめに:「フィールドワークに向く人、向かない人」が あるが、こんな言い方は問題があると思ったら、それ自体が皮肉(=批評)を構成しているではないか! フィールドワークにもっとも向かない人は、「フィー ルドワーク至上主義者」ないしは「フィールドワーク帝国主義者」という。どこかのミンゾクガク者やどこかの××学派の人に付けてやりたい良薬じゃ。
***)ハードウェアとソフトウェアの説明は、 フィールドワークに何か機械がないとできないと感じさせる点では失敗でも成功でもある。確かに、フィールドワークは脚で稼ぐが、同時にデータを整理するに は、それなりの機械が必要であることを認識させてくれるからだ。文化系科学とか言われるが、フィールドワークを基調にする学問分野は実質的に実験系と言っ ても過言ではない。
****)倫理のところがマナーとエチケット に矮小化?されちょるぞぇ。倫理はローマ数字の1文字分つまり章として欲しかった。たぶん21世紀ヴァージョンはそうなっているだろうし、そうなるべきな のだ。
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