グローバル化する近代医療と民族医学の再検討
――研究史における私的メモワール――
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4.コスモポリタン医療
コスモポリタンという形容詞は、医療人類学では、医学や医療という名詞に冠されて、西洋近代医療のことを指す言葉として流通している。コスモ ポリタン医学あるいはコスモポリタン医療(cosmopolitan medicine)がそれである。この用語法では、2つのニュアンスを見いだすことができる。まず最初に、(1)医療者の間では西洋近代医療はすでに十分 な世界覇権を確立したものであるという意識の共有だ。このことは、西洋近代医療が現実には様々な理論と技術の混成体であり、時間的にも全く異なった概念や 治療法が次々と生み出されてきたにも関わらず、一枚岩の理念と実践をもつ医療システムであるという社会的合意が確立していることを示唆している。他方、こ の医療は、コスモポリタンを普遍的な政治不信として定義した三木清の用語法になぞらえて、(2)政治的に中立な立場、つまりイデオロギーから自由である医 療を暗示している。これがもうひとつの意味である。
医療と医療者がコスモポリタンになる理由のひとつは、その治療の有効性と普遍性への揺るぎない信仰にある。もちろん西洋社会の内部からも正統 派医学に対する反発はあった。19世紀初頭のドイツのホメオパシーに代表される対抗概念としての代替医療。20世紀の後半に登場する、反精神医学 (e.g. レインとエスターソン 1972)、反近代医療(e.g. イリッチ 1979)などの主知主義的反発。公衆衛生的観点からの抗生物質の有効性への批判(e.g. マキューン 1992)を通して、近代医療の治療有効性を再考する学派の登場など。これらの思潮が繰り返し歴史の舞台に登場するにも関わらず、西洋近代医 療の有効性への信仰が揺るいだ時期はじつは極めて少ない。
西洋近代医療が、コスモポリタンとして認められうる証拠は少なからずある。まず、世界の多くの近代国家において公的に採用され、それに準じた 医学教育がなされていること。さらに、全世界での西洋近代医療の実施形態は、多様性があるにも関わらず基本的には同質であると考えられていること。繰り返 すが、現実には西洋近代医療――類比としての〈遺伝型〉――の要素がパッチワークされているにもかかわらず、それは西洋近代医療のあり方――類比としての 〈表現型〉――の多様性とは見なされていない。多様性の違いは、ただ単に(高い/低いという表現を用いた)医療の水準の違いで表されている。この表現は、 経済人類学の実体主義派(substantibist)が強調して止まない〈経済〉システムの多様性を形式主義者(formalist)が忘却して、半 ダースほどの経済指標の高低で表現するやり方と同じだ。医療者になるには、医療の水準の〈低い〉ほうから〈高い〉地域の教育機関に留学や研修に出かける。 また〈高い〉水準の医療者が〈低い〉水準の地域に対して援助をおこなったり、医学生を教育実習するために派遣される。コスモポリタン医療の内部には不均衡 や不平等があるにもかかわらず、この医療システムで教育をうけた医療者は、世界中どこでも有効な治療者として機能することが期待されている。その典型的な 例は飛行機の客室乗務員による次のようなアナウンスだ:「どなたかこの機内に医師の方はいらっしゃいませんか?」
コスモポリタンとしての西洋近代医療が、国境を越えた医療的実践として、正当化されるのは、戦場や災害現場における赤十字、赤新月などの団体 による緊急医療支援活動やODAやNGOによる国際医療協力の現場においてである。あるいは、第二次大戦後のナチスの人体実験を教訓にして提言されたヘル シンキ宣言や核兵器の廃絶を訴える医学者たちの社会運動にも、そのような特質が現れている。コスモポリタン医療は、その利用現場における倫理の確立におい ても制度化されてきたのである。コスモポリタンとしての医師は、しばしばヒューマニストとしての医師像と重なる。コスモポリタンの医師は患者を治療すると 同時に、病いの原因をつくる社会の病理をも治療するのである。私は、このような行為原則と理念を、19世紀ドイツ自由主義的ブルジョアジーの論客であった 医学者の名前を冠して「ウィルヒョウ・ドクトリン」と名付けたことがある(池田 2001:298)。冷戦期には、第三世界の医師や医学生が国際共産主義 運動やゲリラ戦争に参入していったが、この実践的医療者のアイドルになったのはノーマン・ベチューン(1890-1939)やチェ・ゲバラ(1928- 67)であった。
しかし、国際政治の現場でイデオロギー的に中立な立場を表明しようが――人間の生き方としてのコスモポリタンとは異なり――制度としてのコス モポリタン医療が権力そのものを呪ったり、そこから完全に自由になれる訳でもない。SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome、重症急性呼吸器症候群)対策をおこなう中国政府や北京市の衛生当局へのWHOの行使した国際的圧力にみられるように、医療の人道的概念 を武器に国際政治を現実には行なっているし、その行使もまた特殊なものとは言えない。他方、コスモポリタン医療を、世界中で誰にでもアクセス可能で平等な 医療として考えることも限界がある。フランツ・ファノン(1984)によれば、普遍性をもつ西洋近代医療も、植民地解放闘争の文脈において統治者が被植民 者に行使すれば、治療のシステムは容易に拷問のシステムに変わりうる。これらの批判は、コスモポリタン医療の行使を、社会的文脈から切り離して政治的に中 立化(=免疫化)して捉えることができないことを表している(cf. 池田 2001:325-7)。
コスモポリタン医療をめぐるさまざまなエピソードから明らかになったことは、次の3点である。(1)コスモポリタンとしての医師像にみられる 政治的理想主義ないしはラディカリズム。これはシノペのディオゲネスが二千数百年前に〈生き方〉をもって提示した神話的原型とさほど違いはない。そして (2)形容詞としてのコスモポリタンが冠された西洋近代医療の存在形態としての〈世界性〉や〈普遍性〉、あるいはそのように見える現在の社会的性格の標 識。これは、それ自体では自己反省機能をもたず、ただ現在を席巻している支配的なイデオロギーの一つにしかすぎない。そして、最後に(3)この両者の間の 驚くべき落差である。〈生き方〉と〈普遍性の標識〉という対比は、このエッセーの冒頭で述べた人類学者の〈実践的関与〉と〈人類学理論〉の対比に相当す る。この両者の間の落差、とくに前者に対する後者が「堕落」したように見えるのはなぜか。我々はコスモポリタンという形容詞の使い方をただ単に誤っただけ なのだろうか。つまり、西洋近代医療がグローバル化した社会状況の中で自らのヘゲモニーを確立したとき、それを(どこにも故郷を持たないという〈普遍性〉 を真似て)コスモポリタンと呼んでいるにすぎないのだろうか。歴史的相対主義以外の別の回路を通して、西洋近代医療のコスモポリタン性を解明する必要があ りそうだ。
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