グローバル化する近代医療と民族医学の再検討
――研究史における私的メモワール――
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5.普遍化する方法としての帝国主義
医療と医療者のコスモポリタン化に貢献した可能性はいくつかあるが、その要因のひとつが帝国医療(imperial medicine)である。
近代西洋医療がなぜ19世紀後半から急速に全世界に普及し、コスモポリタンとしての地位を獲得するようになったのだろうか(池田 2002: 313-4)。帝国医療の歴史研究者によれば、それは帝国統治の道具(tool)として近代医療がフルスロットルで作動したからだと説明される。このよう な説明は、軍陣医学(military medicine)の先駆けの時期に勃発したクリミア戦争(1853-56)の傷病兵の死亡率をフローレンス・ナイチンゲールが著しく改善したという逸話 が、今日では神話に属する物語(スモール 2003)にすぎないなど、さまざまな反証事例(negative instance)から、十分に適切なものとは言えない。ちなみにクリミア戦争の兵士の傷病率/死亡率は、近代戦争における軍陣医学の科学的指標として標 準化されたものの一つである(cf. 陸軍軍医学校 1988[1936]:250-252)。
大阪帝国大学医学部、新カリキュラム(国家国防医学)――「学科課程改革委員会案趣旨」昭和16年3月6日より(出典:野村拓「阪大「医学概論」創設時の資料」『医学史研究』90号、Pp.1-6、2008年)
帝国医療は、西洋近代医療の有効性により支配の道具になったというよりも、帝国が西洋近代医療に託した統治術(art of governance)の発達と普及の結果、人々をして、その有効性を信じさせる道具であったのだ。少なくとも、帝国医療の有効性に関する研究は端緒につ いたばかりであり、現在のところ、その効力――しばしば公衆衛生的指標によって測定される――についての議論において、決定的な結果が出ているわけではな い。国家総力戦と同様、遂行中の戦争がどのような帰結をもたらすかは誰にも解らない。そしてまた帝国医療システムが歴史的に示した有効性と科学的手続きに よる個別要素の〈有効性〉の確証を得ることは難しいだろう。
ところで帝国医療とはいったいどのような医療のことを指すのだろう。帝国医療の用語法の観点からここで整理してみよう。
近代医療や熱帯医療には教科書があり、教育内容にはディシプリンがある。しかし、帝国医療や植民地医療(colonial medicine)には教科書はない(cf. 飯島 2000)。また教育内容においても独自のディシプリンは存在しないように思われる。ディシプリンとは、ここでは原理にもとづいた訓練と理論の混成 集合体のことを指す。近代医療と帝国医療の違いは、まず単純にそう言えるのではないだろうか。前者、つまり近代医療や熱帯医療は実体化された医療であり、 後者つまり帝国医療や植民地医療は抽象化された分析概念である。帝国医療は、ある政治空間のなかに居場所をみつけた医療であり、統治性という技術体系との 隠喩的連関から払拭できない医療のことである(フーコー 2000:258-260)。
したがって、近代社会の統治術概念から導き出された植民地の医療システムとしての「帝国医療」を研究するとは、なによりもそれが使われる歴 史・社会的文脈の中に位置づけて具体的に議論しなければならないことになる。脇村孝平(2002)らの歴史家たちが、この用語を鍵概念にして解き明かそう としているのは、英国のインドを中心とする帝国統治のシステムが、中心地で論じられていたイデオロギー以上に、臣民(subject)への身体や集団への 管理の具体的諸相に着目することにあった。
他方、人類学研究において、生産的議論を導く装置として帝国医療の概念を流用することは可能であろうか。その際には、歴史家たちが提唱してい た概念にもともと含まれていた歴史ならびに社会的文脈から自由になれる代償として、帝国医療を近代医療や熱帯医療と同一視したり、それらの相互の「医療」 に含まれる諸々の特徴を相互に交換可能な要素として拡大解釈するという危険をあえて犯さねばならないかも知れない(奥野 印刷中)。
あるいは、もはや歴史的には終焉したと宣言されている事柄に、人類学者は未だに異議を申し立てているのかも知れない。かつての新帝国主義論や 新植民地主義(neo-colonialism)による世界経済批判のように、帝国医療や植民地医療は終わっていないと人類学者は自分のフィールドでの経 験をもとに、敢えて主張しているのかも知れない(ルクレール 1976;太田 2003)。
そのような理論の無制限な拡張および用語法の政治的先鋭化という危険を承知で、今しばらく知的冒険を試みることが許されるならば、我々は帝国 医療がもつ主要な特徴をさまざまな諸事例から抽出・検討し、ある歴史・社会的文脈の中でその医療システムが帝国医療として作動可能になる社会的条件を明ら かにしなければならない。歴史学における「帝国医療」という専門用語と区別して、このような医療システムのモデルを「帝国医療システム」というふうに呼 び、帝国医療という用語と緩やかに使い分けておく。
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