日本という問題系
Japan Problem in Modern Medicine
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6.日本という問題系
さて、帝国医療や植民地医療は分析概念としてよく言及されるようになってきたが、かつては近代生物医療(modern bio-medicine)による帝国支配や植民地支配への非難や罵倒という価値判断をたっぷり含んだ政治用語であった。他方、近代医療は西欧の由緒正し き医療であり、それを利用する民族や人種を超えて利用可能なコスモポリタンな医療と見なされている。熱帯医療(tropical medicine)は、帝国や植民地統治のエージェントが関与したという点では手垢にまみれているが、研究対象と達成すべき目標――熱帯病の征圧――が社 会的合意を得られやすかったゆえに、旧植民地からの非難を受けることはこれまで少なかったと言える。しかし、現在においてもなお、熱帯医学/熱帯医療の研 究の随所に、熱帯起源の病気と現地の社会を「未開な文化的慣習」「遅れた社会制度」「怠惰な住民」といった植民地言説に無反省に関連づけることをしばしば 目撃することがある。
そういう中に、我々の医療はどのように位置づけられるのであろうか。日本の医療は、独自な文化慣習や行動様式によって今なおその進歩を妨げら れているのだろうか。日本の旧態依然とした医療制度によって日本人は健康の達成を妨げられたのだろうか。日本の帝国医療における日本人とは、それを実施す る主体であろうか、それとも帝国医療の対象だったのだろうか。そしてまた、私が日本ないしは日本人という用語を連発する時、それらはどのような空間を指 し、どのような種類の人間のことを言っているのだろうか。
私の結論を先に指摘しておこう。
後発帝国主義国であった日本は、欧米の帝国主義的近代の様々な社会的諸装置をパッチワーク的に導入しながら、同時に強い人種拝外主義によっ て、独自でユニークな帝国医療システムを作り上げた。その中で医療制度もまた創意工夫され独自の発展を遂げてゆく。しかしながら、制度や理念の変化に社会 の側は追いついていかず、医療はつねに未来に向かう健康達成のプロジェクト(cf. 高橋 1969)であるという幻想を人々に懐かせたまま、第二次大戦の終結を迎える。これが日本の帝国医療が「未完の」プロジェクトであったと私が信ずる 点である。このプロジェクトは、西欧の近代化プログラムの模倣であり、普遍的な方法を現地社会に適合させようとする時におきる、現地側からの反応に基づい て、独自の展開をとげていった。
西洋近代医療の普及過程にみられる、我が国のユニークな特性を3つ指摘しておこう。つまり、まず最初に(1)医療の西洋近代化の過程は、かつ て言われてきたようなシステムの全面入れ替えではなく、試行錯誤を踏まえた漸進的な変化であった。そのため、漢方のような医療システムも完全に駆逐される ことなく、むしろ医療の多元化をおしすすめることに貢献したということ。つぎに(2)統治技術としての西洋近代医療は最初から成功を収めていたという認識 は、医療者たちの間には、それほどなかったということ。そして(3)医療化を推進させる根拠としては、医療を通して国民および帝国の臣民を壮健にする目的 よりも、医療をより科学化することに強い動機が置かれていたということ。
これらのプロジェクトの理念は、国家医療(national state medicine)から帝国医療に展開するときにも、それらの展開パターンを引き継ぎ、そして帝国医療そのものの枠組みが消滅しても、つまり大日本帝国が 実質上消滅しても、戦後一貫して継承されていったというのが私の見解である。
Copyright Mitzubishi Chimbao Tzai, 2005