グローバル化する近代医療と民族医学の再検討
――研究史における私的メモワール――
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7.未完的継続の諸特性:コスモポリタンの探求
いましばらく、この帝国医療システムの3つの特性の現在までの継承性について、言葉を重ねてゆこう。
(1)近代日本の医療は、明治維新以降、激烈にシステム変換したと言われるが、これは国家が採用する公的な医療システムにおいてである。実際に は近代医療を採用する以前から蘭方医療(オランダ経由の近代医学)が存在し、天然痘対策の種痘にはこの医療システムが有効に機能した。また、公的医療から 排除された漢方医も直接根絶対象となったわけでもない。漢方医の教育が公教育によってなされなかったゆえに、後継者のリクルートができず、影響力の基盤で あるマンパワーが枯渇していったのである。社会における医療システムの移行という観点から見れば、近代医療への移行は緩やかに進行したと考えられる。これ は、今日における多元的医療状況の原因であり、クライアントも治療資源の選択には仮定法的態度がひろくみられるという医療行為からも示唆することができ る。
(2)国家の統治技術としての近代医療の適用が、もっとも激烈におこなわれたのは、「避病院」(伝染病隔離)や「癲狂院」(精神病者の拘禁)へ の収容政策であり、当初は患者や家族による抵抗に出会う。しかしながら、共同体は国家政策のエージェント機能の末端としてその役割を十全に担い、全国で広 範囲に行われた散発的な反抗――たとえばコレラ騒動における外国人排斥や医療者さらには[現在ではハンセン病と言う]癩病者へのリンチ事件など――が最終 的に集合的な行為としての医療批判運動に発展しなかったし、そのどの反抗もまた制度を機能不全にまで陥らせるには至らなかった。これらの住民の偶発的な反 発に対して、国家は警察権力をもって鎮圧しただけで、統治システム改善のための教訓とはせず、また法的な整備も行わなかった。この種の国家的伝統は、今日 における病者差別や国家賠償制度の不備という事態に色濃く継承反映されている。例えば、水俣病認定やハンセン病者への国家賠償責任などは、当事者からみれ ば未だ係争中の問題であることでも明らかである。
(3)近代医療はつねに輸入されつつその中身は欧米の水準に追いつくべきものであるという一貫した国家政策は、結果的に医療者のイメージを、草 の根レベルの実践家ではなく研究をおこなう科学者として定着させた。そのため国家の医療政策は、医科学を常に向上させる政策に傾き続け、医療を福祉サービ スのエージェントとして転換することができなかったのである。世界の近代国家の中でも近代医療が定着したにもかかわらず、日本では常に人々に根強い近代医 療不信と医療化被害に見舞われた社会となった。
■クレジット:
Copyright Mitzubishi Chimbao Tzai, 2005