現地社会で学ぶこと
■ 現地社会で学ぶこと05
意地悪く言うと、国際ボランティアというのは低開発国に派遣される「特殊な労働者—兼—観光客」である。ボランティア活動について関心がある若者 やOV(オールド・ボランティア)たち前で私がこのことを講演すると、会場はいつも爆笑の渦に巻き込まれる。怒りや沈黙ではなく笑いということが「当たら ずしも遠からず」という印象を聴衆に与えているのだ。客観的でかつ自己批判的な見解をもつことができているという点で、私はきわめて健全な精神に由来する ものであると信じる。
だが実際に観光客というのが悪いのかというとそうではない。観光客は地元にお金を落とすし、観光を通して現地の文化や社会についての情報は世界を 循環する。それがまた観光地の名声をあげる。途上国の開発目標のなかに観光開発というものがあり、インフラ投資の面だけではなく、現地の雇用創出や社会の 平和構築にも寄与する。物見遊山で無責任でという従来の観光のイメージはあるが、現在ではそれらを是正した責任ある観光(Responsible Tourism)や環境保全の意味を学ぶエコ・ツーリズム(ecotourism)とものがある。国際ボランティアは長期にわたり現地社会に融け込むこと で、短期観光客には経験できない深い現地学習を可能性にすることも指摘したとおりである。観光客がおこなう積極的な学習という現象を見失うと、国際ボラン ティアの活動経験の解釈もまた浅いものになってしまう。
ボランティアというのはいずれ地元(ないしは日本国のどこか)に帰還する。もちろん国際結婚をして現地社会にそのまま根付くとか、第三の別の国に 移住することもあるが、多くの人たちは出身国(=ホスト社会)に帰国する。こういう人たちの社会経験というのは、帰国後ないしは移住後の社会にとっても無 視しがたい影響力を持つようになる。私はそのような社会的効果を「草の根のブーメラン効果」といっている(池田 1998)。
学ぶことを相対化することは重要である。国際ボランティアは時に「協力という幻想」に真摯に向き合い、そのことを自覚する必要がある。「協力」と いう言葉や実践にも毒というものがあるからだ。G8などの大きなサミットがあったときには、その会場の近くに押しかけて直接行動を通して抗議する人たちが いる。そういう人たちの主張には、先進国での政治的決定や自称「国際間のルールづくり」というものが開発途上国の経済や社会に打撃を与えているので、先進 国の指導者は途上国の市民の生活についてもっと配慮すべきだという道徳的な批判が含まれている。このような抗議をする先進国の人たちは、同時に途上国の人 たち——主に社会運動家——とさまざまなネットワークを持ちつつ、その抗議集会などに招待しメッセージ・スピーチを直接聴衆に伝える。
国際的な地球温暖化防止会議などをはじめとして、国際会議などは草の根の市民の声を無視して動かすことはできないが、このような市民の活動をリー ドしている人たちのあいだには、元・国際ボランティアの人が多く含まれる。彼/彼女たちは、かつて制度的な枠組みのなかで現地社会と繋がった経験を、今度 は草の根活動をとおして、非制度的な枠組みのなかで新たな国際ボランティアとしてその活動を別のかたちで継続しているのである。そういう精神性(スピリッ ト)が直接行動に結び付くこと。それがいいのか悪いのかはまだ議論の余地があるが、このような人たちは、ある意味でそれぞれのコミュニティに根ざしながら も同時に地球市民(コスモポリタン)であると言うことができる。
「ボランティアを終えたら大学院に行こう」と私は冒頭で読者に呼びかけた。国際ボランティアは、派遣される前、派遣中、そして派遣後においても、さまざまな思いをめぐらし学習している存在である。大学や大学院に行くことは、このことを自覚化、明確化することにつながる。
もちろん現実は厳しい。ボランティアをやっている間は必死で考える時間がなかった。帰国したら日本社会に適応、再就職ということで、生きるのが精 いっぱい。これらは解決が求められる社会問題である。また何とか地元でボランティア精神を絶やさずに細々と活動を続けている。そのような人たちがインタ ビューしてみると多く存在することがわかる。もしそうだとすれば、大学院に進学して自分の海外経験を真剣に反省する「考え直す機会」をもつことを私は強く すすめたい——そのためにはボランティア経験者の再入学のための十分な奨学基金の整備が不可欠である。
文献
池田光穂(一九九八)「保健活動——制度的海外ボランティアの過去・現在・未来」川田順造ほか編『人類の未来と開発』一〇七—一一四頁、岩波書店。
池田光穂(二〇〇一)『実践の医療人類学—中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開』世界思想社。
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