臨床コミュニケーション入門
《第11回》
グループワーク
講義目的
臨床コミュニケーションにおける言語的コミュニケーションには限界があるのか? あるいは、言葉に表せない苦痛を人はどのように生き、どのように周りにの人に伝えているのか?などについて学びます。
講義内容
【テーマ】火傷をした女の子(最初の患者)と医学生とのコミュニケーション
【事例】
1960年代のはじめ,医学部の2年目と3年目に在籍していた私は,数人の患者に出会った.患者には,幼い者も老 いた者もいたが,その病いの経験は強烈なもので,病いがわれわれの人生に対していかに密接で多様な形の影響を 与えるかを示しており,私の関心を釘付けにした.
最初の患者は,7歳の痛々しい少女で,ほとんど全身におよび重篤な火傷を負っていた.彼女はうず巻く水の中に 浸かり,皮がむけ広がった傷口から火傷組織をピンセットでひきはがす治療浴に連日耐えなければならなかった. この経験は彼女にとって恐ろしくつらいものであった.少女は叫び声をあげ,うめき,医療チームの努力をかたく なにしりぞけて,もうこれ以上痛い目にあわせないように懇願した.
かけだしの臨床学生の私の役目は,少女の火傷を負っていないほうの手をにぎって,できるだけ元気づけなだめな がら,レジデントの外科医が,生命を失い化膿した皮膚組織を,うず巻く水浴槽のなかですばやく引きはがすこと ができるようにすることであった.浴槽の水はすぐに淡い紅色に変わり,やがて濃い血の色に変わった.どのよう に扱ったらよいかおぼつかないまま,初心者の私は,この小さな患者がひどい苦痛に日々直面する精神的ショック から気をそらすように,ぎこちなくこころみたのであった.彼女がつねに苦痛に向けていた関心を,少しでもそら すことができるものならば,たとえば彼女の家庭のことや,家族のこと,学校のことなど,何についてでも私は話 してみようとした.連日の恐ろしさに私はほとんど耐えられなかった.少女の叫び声,血液で汚れた水中にただよ う生命を失った繊維,皮膚をはぎとられた肉,出血が止まらない傷口,清潔にしたり,包帯をしたりすることをめ ぐる戦い.
そんなある日,やっと気持ちが通じるようになった,考えあぐね,自分の無知と無力に腹をたて,その小さな手を しっかりつつむこと以外に何をしたらよいのかもおぼつかず,彼女の容赦ない苦しみに絶望したすえに,私は,そ の少女にたずねていたのである.あなたはどのように苦しみに耐えているのか,こんなにひどく火傷をして,連日 連日ぞっとするような外科的処置を受けるのはどんな気持ちのものか話してもらえないか,と.彼女はかなり驚い た様子で,うめくのをやめ,変形のため表情を読み取ることも難しい顔でこちらをみつめ,それから,単刀直入な 言葉づかいで私に語った.話しているあいだ,彼女は私の手をいっそう強く握りしめ,叫ぶことも,外科医や看護 婦をしりぞけることもなかった.それからの日々,彼女の信頼は確かなものになり,自分がどんな経験をしている かという思いを私に伝えようとした.このリハビリテーション部門での私の実習が終了する頃には,この火傷を負 った幼い患者が創縁切除(上述の処置)に目に見えてよく耐えられるようになっていた.
しかし,私が少女に対してどんな影響を及ぼしたにしろ,彼女が私に与えた影響のほうがそれよりずっと大きかっ たのである.彼女は患者のケアにおける重要な教訓を私にもたらした.(略)
(クラインマン,A..『病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学』,誠信書房,1996年より)
【課題】
1 医学生クラインマンは,この場面を通して,ずっと火傷を負って苦しむ少女の手をにぎっているが,この手をにぎる という行為は,クラインマンにとって,あるいは少女にとって,どのような意味をもったコミュニケーションになってい ると考えるか?
2 「どのように苦しみに耐えているのか」とたずねられた少女が,クラインマンに自分の経験を伝えることは,クライ ンマンと少女自身にとってどのような経験になっていたのか?
【時間配分】
16:20〜16:35(15分) オリエンテーション
16:35〜17:20(45分) グループワーク
17:20〜17:50(30分) 各グループの発表と討論
【グループ編成】 できるだけ,別の研究科の人と組むこと。
【メモ】
注意:このページは西村ユミ先生の配付資料を参考に、池田光穂がその要約をしたものです。
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