ニッケル&ダイムドのテーゼ
Thesis of the Nickel and Dimed
解説:池田光穂
バーバラ・エーレンライク『ニッケル・アンド・ダイムド』東洋経済社刊、2006年(原著は2001年)は、なかなかえぐい本ではあるが、著者の倫理的主張は明らかである。
つまり、ネオリベラル経済の中で働くワーキング・プアーは、さまざまな意味でその犠牲的働きに見合った賃金を得ていない。これは彼らの自己責任では決してない。したがって、ワーキング・プアーにも、政府はきちんと福祉ケアを施すべきであるという論理である。
この主張を、彼女の著作の題名にもとづき「ニッケル・アンド・ダイムド」あるいは「ニッケル&ダイムド」のテーゼと名付けておこう。
ちなみにニッケル(nickel)とはアメリカ合州国の通貨で5セント(6円弱)であり、ダイム(dime)とは10セント(約11円)のことで、nickel-and-dime には、吝嗇(ケチ)やしみったれたという形容詞の意味と、少しのことで人を苦しませる(僅かな金額のことで困らせる)という他動詞の意味がある。したがって、ニッケル&ダイムドと受け身の分詞になっているので、その意味は「低賃金で苦しんでいる人たち」というふうになる。
政府がきちんと福祉政策をおこなうべきであり、国民はその福祉政策にもとづくサービスを受ける権利があるという文化的土壌に生きている我々でも、生活保護や母子家庭への保護に対しては、その受給者に対してスティグマを貼りつける傾向が強いが、米国では、その度合いは我々日本人の想像を超えて強いものだと認識しないと、エーレンライクの主張の[アメリカ合州国内における]独自性は理解できないだろう。
ニッケル&ダイムドの著者の主張をこのようなテーゼ(命題)の形にしておくことは重要である。というのは、我が国(つまり日本)においても、アメリカ型のネオリベラリズムがどんどん進展してゆくと、ニッケル・アンド・ダイムドの世界が、我々の近未来と言えないこともなく、また福祉の享受に対する国民の世論も変わりうる可能性があるからだ。
また、他の先進国や開発途上国において、このテーゼをその地域に通用する主張かどうかをチェックすることは、その社会の人々の労働と労働価値観と、そして国家が提供する福祉の関係について、さまざまな視座を与えてくれるからだ。