ディスコミュニケーションに関する理論(3)
「破壊性と創造性」
西川 勝
【ある会話】
母親と14歳の娘との間の会話
母:(14歳の娘に)おまえは悪い子だよ。
娘:いいえ、私はそんなじゃないわ。
母:いいえ、おまえはそうなんだよ。
娘:ジャックおじさんはそうは思ってらっしゃらないわ。
母:彼は、私が愛しているようにはおまえを愛していないよ。母親だけが娘の真実をほんとうに知っているんだし、また私のようにおまえを愛しているものだけが、そのことがなんであろうと、おまえ自身の真実を話してやれるのだよ。もしおまえが私を信じないのなら、おまえ自身よく鏡を見たらどうなの。そうしたら私が真実を言っているのがわかるわよ。
【もう一つの会話】
母親と14歳の娘との間の会話
母:(14歳の娘に)おまえはかわいいね。
娘:いいえ、私はそんなじゃないわ。
母:いいえ、おまえはそうなのよ。
娘:ジャックおじさんはそうは思ってらっしゃらないわ。
母:彼は、私が愛しているようにはおまえを愛していないのよ。母親だけが娘の真実をほんとうに知っているのだし、またおまえ自身の真実を話してやれるのですよ。もしおまえが私を信じないのなら、おまえ自身よく鏡を見たらどうなの。そしたらおまえは、私が真実を言っているのがわかるわよ。
※R.D.レイン著、坂本良男・笠原嘉訳、『家族の政治学』(みすず書房、1979)、185-186ページより引用
【参考に】
※植島啓司・伊藤俊治、『ディスコミュニケーション』(リブロポート、1988)、
12-13ページより
この会話は永遠に反復が可能であり、その結果、娘はある種の病理的な状況に追い込まれるのである(「そうだ、やはりお母さんは正しい、私は悪い子なんだ」)。つまり、従来のコミュニケーション・システムは、その根底にある種の以上、逸脱、病的と思われるものを含んでいるのだ。
R.D.レインは、この会話の「悪い」を「かわいい」に変えることを提案する。そうすると、おどろくべきことに、これはわれわれが日常交わしているごく平凡な会話に変貌してしまう。
我々のコミュニケーションとは、原理的に歯、単一の情報を表現を変えて繰り返すだけなのである。そうしたトートロジカルな交換を繰り返すと、いずれ病理的な事象、またはその「代理物」が登場することになる。従来のコミュニケーション・システムはそうした犠牲の上に成り立っているものなのである。それは、鏡という外部にみずからの似姿を描きだすことに、その洗練化に、終始してきた。だが、われわれはこれからは、その鏡の裏側にひそむ怪物を相手にしようとしているのである。そして、それをわれわれは「ディスコミュニケーション」と名づけたのである。
【検討課題】
「ある会話」と「もう一つの会話」の、構造は同一である。この点に留意して、二つの会話の関係を、破壊性と創造性の観点から考えてみよう。
クレジット:
「ディスコミュニケーションの理論と実践」第6回 2007年5月24日 ディスコミュニケーションに関する理論(2)「破壊性と創造性」……西川勝
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