あなたには愛というものがわからない
you don't know what love is...
水俣が私に出会ったとき(部分) ——社会的関与と視覚表象—— 池田光穂
あなたには愛というものがわからない2
その真偽をめぐってさまざまな物議を醸した彼女の自叙伝『レディはブルースを歌う』(邦訳『奇妙な果実』)の中で、彼女は自分の父親を殺したのは肺 炎ではなく、人種差別が起こったダラスという町そのものだと主張している。この歌を唄うたびに父親の死に様が瞼に浮かぶのだと彼女は言う。もしこの言をわ れわれが信じるならば、彼女の歌はリンチで無惨にも死んだ黒人の状況を唄うプロテスト・ソング以上に、具体的な顔をもった故人の霊魂を呼び起こす招魂歌で あったと言えるだろう。
私の議論は、水俣病事件に関しては「ずぶの素人」——メルロ=ポンティの表現に倣い私は異邦人的傍観者だと言おう——が、この一連の社会現象につい て理解していることを行きつ戻りつ語ることである。私が焦点を当てたいのは、あることに関する記述や描写が、それらが表現する時空間や受取手の経験や心的 状況によって全く異なったものとして解釈されるという事実についてである。右のエピソードでは、クラレンスの死と「奇妙な果実」がビリーの心の中では結び つくのに、彼女の歌をジャズ史上におけるプロテスト・ソングとして位置づける後の時代の音楽の聴取者は彼女が感じていたこととまったく別の想起をおこなっ ているという二つの事実の乖離がそれである(2)。
→ (2)文化現象においてある行為者と別の行為者が同じイデオロギーのもとで同じ実践状況に巻き込まれていても、全く別の思念に囚われていることはしばしば ある。この文化現象における行為者間の同床異夢というテーマに私は関心をもち、別のところでハンセン病の国家政策「癩伝染宣伝隊」に従事した小島正子の現 代的意味についての管見を披瀝した時に、この種の思念の不一致について考えた[池田 二〇〇四]。
黒人の音楽家であった彼女の父親クラレンスがテキサス州ダラスでどのような末期を迎えたのかという彼女の想像力がアランの詩的表現をとおして情念の ごとく噴出した。他方で『レディはブルースを歌う』がビリーの正伝として流通し、「奇妙な果実」がジャズという黒人音楽(Black Music)において不朽の名曲——あまりに著名でかつ本人が他の音楽家によるカバー・ヴァージョン好まなかったためにカバー曲のほとんどは彼女の死後に なって登場する——として確立したために、歌そのものが黒人のプロテスト・ソングとして位置づけられることになった。だが、ビリーがアランの詩に出会い、 それを楽曲として世に送りだそうとした時に、彼女の父親のアメリカ南部における不幸な末期の具体的なイメージがあったことは忘れてはならないだろう。暴虐 と不正義という事実にもとづいて文脈化される以前には、抵抗を生みだす怒りとは、一般的で抽象的なものではなく、個別的でかつ具体的なものに基づいている ものだ。一般的で抽象的なものはしばしば人の眼を眩ます。
文献
朝日新聞社論説室「カメラ 五・二」『天声人語 二〇〇〇年一月−六月』一八八—一八九頁、東京:朝日新聞社、二〇〇四年
池田光穂「病気と人生:もうひとつの文化人類学」『文明のクロスロード Museum Kyushu』第20巻3号(通巻77号)、二七−三一頁、二〇〇四年
ソンタグ、スーザン『写真論』近藤耕人訳、東京:晶文社、一九七九年
ティスロン、セルジュ「象徴的イメージとはなにか」モーラとヒル編、六六−七二頁、一九九九年
バタイユ、ジョルジュ『エロスの涙』森本和夫訳、東京:筑摩書房、二〇〇一年
原田正純『水俣が映す世界』東京:日本評論社、一九八九年
ベンヤミン、ヴァルター「複製技術時代の芸術」『ベンヤミン・コレクション1:近代の意味』浅井健二郎編訳・久保哲司訳、五八二−六四〇頁、東京:筑摩書房、一九九五年
マーゴリック、デーヴィッド『ビリー・ホリデイと《奇妙な果実》:"二〇世紀最高の歌"の物語』東京:大月書店、二〇〇三年
モーラ、ジルとジョン・T・ヒル編『ユージン・スミス写真集:一九三四−一九七五』ユージン・スミス写真、原信田実訳、東京:岩波書店、一九九九年
Smith, W. Eugene and Aileen M. Smith. Minamata. New York : Holt, Rinehart, and Winston, 1975
◆オンライン文献
熊本日日新聞「『智子を休ませてあげたい』故ユージン・スミス氏撮影『入浴する母子像』封印」(二〇〇〇年二月二八日朝刊)(http: //www.kumanichi.co.jp/minamata/nenpyou/m-kiji20000228.html)二〇〇五年一月一一日[最終 確認日]
【ご注意】
この論文の出典は、池田光穂、『水俣からの想像力:問い続ける水俣病』丸山定巳・田口宏昭・田中雄次編、熊本出版文化会館(担当箇所:「水俣が私に出会ったとき:社会的関与と視覚表象」Pp.123-146 )、2005年3月です。引用される場合は原著に当たって確認されることをお勧めします。