奇妙な果実
Strange Fruit
水俣が私に出会ったとき(部分);社会的関与と視覚表象
奇妙な果実2
遠く離れた体験は、形而上学的美学の観想の対象——つまりピエタ像のように普遍的な価値の崇拝の大衆的対象——となりやすいと同時に、アウラ 性を失い紋切り型の表現言語として流通する安っぽい表象になりやすい危険性を伴っている(6)。モデルのいないイラストレーションなら紙くずとして消費さ れることもいたしかたないが、現存する映像表象の当事者(もう一方の当事者であるスミス夫妻はレンズのこちら側にいて、つまりわれわれと同じ側にいてわれ われには見えない)にとってはその賞賛もまた放棄も直接、身体経験に訴えかける——つまりアウラ性に訴えかける——微妙な問題を産出する。
→(6)文中の「気散じ」ならびに「アウラ」はすべてベンヤミン[一九九五]による表象芸術の比較社会論の議論に負うている。スミスの写真 は、耽美的表現を追求するあまりコンテクストが醸し出すアウラ性を、写真の鑑賞者が得る手がかりを失うという的確な批判をティスロン[一九九九:六八−六 九頁]は展開している。
この写真をめぐる顛末は、より日常的でありまた我々が親しんでいる生活体験に根ざした物語に回収されている。先ほどの熊本日日新聞は、この写 真に撮られた本人や家族たちが、これ以上の公開を望まなかったことを伝えている。
「撮影から六年後の昭和五十二年。智子さんは父母の名を一度も呼ぶことなく、二十一歳の若さで亡くなった。夫婦は「公害をなくすため」という思 いから、有名になっていく写真を見守り、それにつれて増えたメディアの取材にも応じてきた。同時に、写真が出回れば出回るほど、別の思いも深まっていっ た。/父親の好男さんは写真を見れば今でも「きつかったろうな」と語りかけたくなるという。あの時、撮影には時間がかかり、智子さんはぐったりなった。裸 の体に着物を着せてやりたい。姉の姿が公表され続けていることを、下の子供たちはどう思っているだろうか。周囲から耳に入った「あの写真でだいぶもうかっ たでしょう」という心ない誤解には、耐えがたい思いをした。ビラに使われれば雨に打たれ、踏み付けられることもあるだろう…。/夫婦はただ、写真を大事に 扱ってほしかった。写真は単なる写真ではなく、生身の智子さんそのものだった。「もうここらで、智子を休ませてあげられないか」[熊本日日新聞 online 文中/は改行]。
そして一九九八年六月に撮影者(ユージンは七五年に死去していたのでアイリーンが著作権者になっていた)と被写体であった上村夫妻(智子は文中 に指摘のあるように七七年に死去)が運命の再会を遂げる。記事は同じく次のように続く。
「人を介して上村さん夫婦の思いを聞いたアイリーンさんは、夫婦に会った。そして「写真を夫妻にお返しする」という決断をし、十月三十日付で承 諾書を送った。これは今後、写真に関する決定権が夫婦に帰属し、アイリーンさんが新たな出版、使用を行わないことを意味する。すでに写真を収蔵している美 術館などにも、展示に配慮を求めた。/写した側が一方的に写真を発表し続けることに、アイリーンさんもわだかまりを感じていた。それは、時間の経過や水俣 を離れたことで、上村さん家族との一体感が薄れたころから、起こってきた感情だった。…(略)…/『写された側の人権を尊重したい』アイリーン・スミスさ ん/『一般的に写真は、写した側に著作権が帰属しますが、写された側には肖像権があり、人権、気持ちが尊重されなければならないと私は考えています』。ア イリーンさんは承諾書で、決断に至った理由をそう述べている」[熊本日日新聞 online 文中/は改行]。
「入浴する母子像」は遺影やスナップ写真のような、公的あるいはプライベートな場面での想起のための映像でもなく、また社会運動の記念碑でもな かった。少なくとも家族にとってはこの一枚の(複製は夥しい数の)写真は、なにかを映し出した表象ではなく身体そのものであった。他者の身体である以上、 我々は礼節をもって処遇しなければならない。つまり二人の女性の身体は、長い流浪の旅を経て、自分たちの故郷にやっと戻ることができたのだ。ただし、これ はプライバシーという人権に関する問題である以上に、表象の社会的流通がもたらした当事者の身体経験、それも慢性的に苛まれる苦痛とその治療にまつわる問 題であると私は考えたい。 アイリーンの決断は、見ることが多くの人たちに社会的関与を生みだす極めて希有な一枚の聖画としての〈複製写真〉——それもベンヤミン主義者の主張を裏 切って相当なアウラ性を生みだす——が、撮影された当時には十分に認識されていなかった当事者の身体経験にさまざまな影響を与えた、つまり視覚表象が個人 の身体感覚に影響を与えるという一種の社会的関与について、ほかならぬ彼女が自覚したからこそなされたのだ。したがってアイリーンの決断は、私にとって、 原田正純の謎懸けである「見てしまった責任」という問題についての一つの解法を提示しているように私には思える。忘却という行為もそして封印するという行 為もまた公共的で社会的なものだからである(7)。
→(7)岩波書店版のユージン・スミス写真集[一九九九]は、アイリーンと上村夫妻の合意以降に公刊されたが、「封印」の約束は実現されな いままである。このことについて出版社に対して道徳的非難を私は展開する勇気を持ち合わせていない。私にとっての母子像は、今日においても水俣病事件を繰 り返し考えるための観想の対象(「聖画」)であり続けているからだ。もちろんそれは註(6)で指摘したように、社会的コンテクストのアウラ性を消失させて しまう危険性を私にもたらそうとしているとしてもである。
→→(6)文中の「気散じ」ならびに「アウラ」はすべてベンヤミン[一九九五]による表象芸術の比較社会論の議論に負うている。スミスの写 真は、耽美的表現を追求するあまりコンテクストが醸し出すアウラ性を、写真の鑑賞者が得る手がかりを失うという的確な批判をティスロン[一九九九:六八− 六九頁]は展開している。 文献
文献
◆オンライン文献
熊本日日新聞「『智子を休ませてあげたい』故ユージン・スミス氏撮影『入浴する母子像』封印」(二〇〇〇年二月二八日朝刊)(http: //www.kumanichi.co.jp/minamata/nenpyou/m-kiji20000228.html)二〇〇五年一月一一日[最終 確認日]
Southern trees bear strange fruit
Blood on the leaves and blood at the root
Black bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees
【ご注意】
この論文の出典は、池田光穂、『水俣からの想像力:問い続ける水俣病』丸山定巳・田口宏昭・田中雄次編、熊本出版文化会館(担当箇所:「水俣が 私に出会ったとき:社会的関与と視覚表象」Pp.123-146 )、2005年3月です。引用される場合は原著に当たって確認されることをお勧めします。
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099