真夜中ごろ
'Round
Midnight'
水俣が私に出会ったとき(部分) ——社会的関与と視覚表象—— 池田光穂
完璧な真夜中1
上村夫妻に投げかけられた言われなき侮蔑の声「あの写真でだいぶもうかったでしょう」という言辞は、とんでもない誤解であり水俣病事件の被害 者に対する延々と続いてきた差別的表現に属するものである。だが無知にもとづくこのような「一般市民」の偏見をたんに糾弾するだけではなく、原因追及をお こない、再発を防ぐ努力を行わなければ、今後同じことが繰り返されるだけである。われわれは現象の背景にある社会的意味について理解しようと努力しなけれ ばならない。ここで視覚表象が市場を流通する際に生じる、ある特定の商品の物象化とは別の局面で生まれるもうひとつの価値の産出——それは想像を絶する恐 怖を産出するので「表象のオカルト化」(occultization of representations)ないしは「恐怖の抽象化」(abstraction of fear)とここでは呼んでおこう——に注目してみよう。
二〇〇〇年五月にグアテマラ共和国のクチュマタン高原のトドス・サントスという先住民の町で日本人観光客とバスの運転手が住民によって殺害され た。この事件がなぜおこったのかは不明であり、当初報道されたような観光客が向けたカメラが直接原因ではないことが、後の検事調書によっても明らかになっ ている。したがって、以下の論述は、この事件の明確な説明ではなく、写真を撮ること・撮られること、ひいては「見ること」が引き起こす「責任」の抽象化に 関する考察である。
さて、まずこの事件を報じた日本の報道各社から当時の私はコメントを求められた。私は彼らに報道を理解する際の背景知識については解説したが、 私じしんが公式にコメントしたり番組に出ることを拒絶した。連絡をとってきた記者の多くは、私に対してグアテマラの先住民に起こりえる特殊事情(いわゆる エキゾチックな現地の文化)の解説者として私じしんを取り扱おうとしていたからである。ただしある新聞の論説委員は私が電話でコメントする内容——グアテ マラの先住民のみならず開発途上地域においてもこのようなことが「どこでも起こりうることがある可能性」の一つとしてこのケースを理解すべきだ——に同意 をしてくれた。彼は誠実に事前に校正を見せてくれ、私の具体的な修正に応じてくれたので、その作業はわれわれの協働作業の成果であると信じている。記事は 次のように始まる。
「中米グアテマラで、連休を楽しんでいた日本人観光客らが、暴徒化した地元の住民に殺傷された。なぜ不幸な事態になったのだろう。文化人類 学の池田光穂・熊本大学助教授(当時)に聞いた。/池田さんは、調査のため毎年のようにグアテマラに行く。事件のあったトドス・サントス・クチュマタンに は何度も長期滞在した。町の人のほとんどはインディヘナ(先住民族)。男性は色鮮やかな民族衣装をまとうが、これはグアテマラでも珍しいそうだ。/この 4、5年、先住民族の暮らしぶりを見られる観光地として知られるようになった。ホテルも5、6軒に増えた。事件現場では朝市が週に2回開かれ、ごった返 す。それを目当ての観光客が、バスで乗りつけ、写真を撮ったり土産を買ったりして引きあげていく。/人びとはおおむね平和的だ。事件の報に、池田さんは困 惑している。けれども素地はあったと思う。一つは政情、社会の不安。あちこちで騒ぎが起こる。巻き込まれた記者が殺されもした。一つは、白人や白人との混 血者に対する、先住民の警戒感。子どもをさらって臓器を売買するといったうわさを、池田さんも耳にした。/そして、一つがカメラである。「撮られてオレた ちが喜んでいると思うなよ。写真を売ってカネをもうけているんだろう」と池田さんは言われた。撮影を邪魔された人もいる。国境を越えたメキシコ側の村落に は「撮るな。撮って殺された者もいる」と警告文があった。/積もった不安と不満。だれかが向けたカメラがそれに火を付けた、と池田さんは推論する。興味本 位で撮られれば、人は愉快ではない。悪意はなくても、気持ちを無視したと受け取られるかもしれない。/すぐに「危険な地域」と決めつけないでほしい。相手 と、人間として向き合っているかどうかも考えてみてほしい。そんなふうに池田さんは語った[朝日新聞「天声人語」二〇〇〇年五月二日、文中/は改行、 ( )は引用者が補った]。
先に述べたようにこの暴動の原因はカメラではない。ここで「入浴する母子像」をめぐって前節でとりあげた問題とどのような関係をもちうるのか訝 (いぶか)るむきもあるだろう。特に後者について議論する際には、この文章では現地の人と観光客のギャップを被写体と撮影者のコミュニケーション不調ある いは敵意の関係として描いているので、ドキュメンタリー写真家が「被写体」となる人たちと長い時間をかけて信頼関係を築きながら写真を撮る状況とは異なる という反論も出てくるだろう。しかしながら、この事件を通して私がコラムにおいて伝えたかったのは現地の人とわれわれの関係が、被写体と撮影者の決して入 れ替え不可能な関係性の中にあり、その間の亀裂がしばしば写真をとるという社会的な関係性の中に圧縮したかたちで生まれるということであった。 文献
◆オンライン文献
熊本日日新聞「『智子を休ませてあげたい』故ユージン・スミス氏撮影『入浴する母子像』封印」(二〇〇〇年二月二八日朝刊)(http: //www.kumanichi.co.jp/minamata/nenpyou/m-kiji20000228.html)二〇〇五年一月一一日[最終 確認日]
【ご注意】
この論文の出典は、池田光穂、『水俣からの想像力:問い続ける水俣病』丸山定巳・田口宏昭・田中雄次編、熊本出版文化会館(担当箇所:「水俣が 私に出会ったとき:社会的関与と視覚表象」Pp.123-146 )、2005年3月です。引用される場合は原著に当たって確認されることをお勧めします。