完璧な真夜中
水俣が私に出会ったとき(部分) ——社会的関与と視覚表象—— 池田光穂
完璧な真夜中2
先に紹介した農孝生の「入浴する母子像」の記事は、じつは上村夫妻とアイリーン・スミスの肖像をめぐる一九九八年当時の合意を伝えるものでは なく、むしろ上村夫妻と彼女との合意がなされたその二年後に開催された水俣病事件研究会での議論を伝えるものだった。その報道の中心部分は、記事に末尾に やっと次のような形で現れる。
「今年(二〇〇〇年)一月、大阪であった水俣病事件研究会。写真家の桑原史成さんがこの承諾書をテーマに、著作権と肖像権の観点から議論を提起 した。/桑原さんは『著作権と肖像権は薄い氷の表と裏。今後は写真を撮ることはできても(被写体への配慮から)発表することは難しくなる。今世紀はドキュ メンタリーにとって黄金の時代だったが、来世紀は厳しい時代になる。アイリーンには苦渋の選択だったと思う』と述べた。/これを受け、会場にいたアイリー ンさんは『切ない気持ちなど全くなく、上村さんと合意してやったこと。これから写真を撮れなくなるという問題ははらんでくるが、あの時の思いがあれば、今 でも同じ写真が撮れると私は確信している。あの写真は、私たちと智子ちゃん、お母さんの合作だった』と発言。写真家の芥川仁さんも『アイリーンの判断を僕 も支持する。撮られる側との間にそういう関係性のあることが、逆にこれからの時代も僕らが取材できる可能性である』と述べた」[熊本日日新聞 online、文中/は改行、( )は引用者が補った]。
「ドキュメンタリーの黄金時代」が過去になった今日において桑原が悲観的な見解を述べているのに対して、アイリーンと芥川がコメントする未だ新 しい時代の被写体と撮影者の新しい関係についての言及が、どことなく明るい調子をおびているのはなぜだろうか。この前者と後者の違いは、同じものを追求す る撮影者の現在の気分の違いなのか、それともドキュメンタリー表象にこめる両者の意見の相違に根ざすのだろうか。 桑原の悲嘆は、じつは文化人類学者である私たちにとってはまったく無縁のものではない。地球上から「未開社会」や「未開民族」が無くなりつつある時代に 確立したこの分野では、民族誌あるいは民俗誌(8)といわれる報告のなかに滅び行く民族の姿を正確に記録にとどめておこうとする文化人類学や民俗学者の姿 を認めることは困難ではない。もちろん後の時代——それは一九六〇年代末から今日にいたる長期的な「現在」まで続く——になり、民族誌記述の公共性はどこ にあるのかという議論が浮上した時に、現地の人たちが知的所有権や自己を主張する権利する状況が、古き良き未開人的エートスが消失することに対する嘆きの 調子を帯びて報告されるようになってきたからである。
→(8)民族誌あるいは民俗誌はともに ethnography の翻訳語で、人びとの集団(民族)に関する部外者あるいは部外者の観点から記録されたものという意味である。
もしそうであれば、この悲嘆は消失するものを前にした「昔はよかった」などという語りに回収されるべきものではなく、新しい社会状況における 新しいジャーナリズムや新しい民族誌を生みだすための起爆剤としての創造的憂鬱でなければならない。ただし、これはアイリーンや芥川が可能性を見いだそう としているものと同じであろうか。私にはこれらの見解のなかには写真表象があたかも「入浴する母子像」のように社会的に流通する過程のなかで表象の消費者 が思わぬ道徳的産物を産出する、つまり〈表象の社会性〉の教訓から学ぶよりも、永遠に続く映像表象の普遍的美学を優先しそれを期待しているかのように思え る。だがいったい誰が永遠を期待せずに次に来る人たちに希望を伝えることができるのだろうか。 文献
◆オンライン文献
熊本日日新聞「『智子を休ませてあげたい』故ユージン・スミス氏撮影『入浴する母子像』封印」(二〇〇〇年二月二八日朝刊)(http: //www.kumanichi.co.jp/minamata/nenpyou/m-kiji20000228.html)二〇〇五年一月一一日[最終 確認日]
【ご注意】
この論文の出典は、池田光穂、『水俣からの想像力:問い続ける水俣病』丸山定巳・田口宏昭・田中雄次編、熊本出版文化会館(担当箇所:「水俣が 私に出会ったとき:社会的関与と視覚表象」Pp.123-146 )、2005年3月です。引用される場合は原著に当たって確認されることをお勧めします。