それが、どうした?ソー・ホァット?
so what?
熊本地方裁判所(1972年10月11日:写真・毎日新聞)http: //mainichi.jp/graph/minamata/0916nosari/011.html
水俣が私に出会ったとき(部分) ——社会的関与と視覚表象—— 池田光穂
それが、どうした?1
大学の授業ではビデオやDVD教材を使うのは大流行である。おまけにコンピュータ支援による包括的な授業教育(e-learning)の流行 によって、これまでキャンパスにおいてお経のように自説を展開してきた(助)教授や、十分な根拠に基づかない思いつきの講義が、今日では学生たちの厳しい 批判に晒されるようになり、適切な視聴覚教材の活用は、大学教育ではその必要性がいよいよ高まりつつある。そして、これは大学教育の改善の趣旨とは多少ず れるのだが、退屈な教師の話よりも、より「気散じ」の態度でもかまわない、まさに身体感覚により積極的に訴えかける映像の提示が、何よりも大学生たちに受 ける時代となった。
確かに公害や災害の犠牲者の〈語り〉の神通力を学生たちが受けとめる感受性は落ちてきた、という声は教師の間でよく聞かれる。広島や水俣での 「語り部」に耳を傾けるセッションにおける、生徒たちの私語が問題になる時代である。また「語り部」本人に来ていただくよう手配してみても、学生たちに予 めオリエンテーションをつけておかないと、彼らは教師ほど、このことを「有り難がらない」。授業にゲストスピーカーを連れてくるには、事前に予備知識を授 け、その語りが生まれてくる社会的背景を事前に教えておかねばならない。そして授業をより好ましくするためには、学生たちに学習グループに作らせ事前の質 問まで用意させておかなければならなくなった。もっとも、これらは現代では付加的な労働が教師の側に必要なのだという悲哀を語っているのではなく、これま での生徒や学生はそのような予備知識という常識を持ち合わせていないという事実についてわれわれは知っておくべきだと主張しているのだ。そして、現在では 事前の準備が必要になったという、「公害学習の常識」の風化や形骸化について私は嘆いているのである。だから、これは世代間のコミュニケーションの様式 (モード)の違いと、それらの間の円滑な意思疎通という課題につらなる具体的な提案をしているのだ。
授業において——それも薄氷を踏みながら実現されているこの「平和の時代」においてはとくに——反公害闘争や戦争の経験や、それを非文字情報の 助けを借りずに現代のわれわれの生活の中で伝えることは、大変に困難を伴う作業である。そこで土本典昭監督の一連の記録映画やテレビ番組のさまざまな報道 特集などの録画が、授業ための強力な飛び道具として登場することになる。 新聞記事においても、熊本日日新聞の記者や全国紙の地方版担当の記者は、さすが地元ならではの地道で興味深い報道を手がけている人が多い。水俣病事件報 道においても良質のものが多く、大学の授業を計画する者には不可欠な教材も数多くある。
このような映像や言語による記録は、まさにヴァーチャルリアリティならぬ、ヴァーチャルな経験をあたかも学生に植え付けるようである。記録映像 や文字ドキュメントの披露の後に「私たちの住む熊本でこんなことがあったのですか? その運動のパワーに圧倒されます!!」と感想を寄せる学生も多い。百 聞は一見にしかずという格言を思い出すとはこのことである。というか、教える教師——この場合は私じしん——の側においても、それらの映像を(授業の準備 やこれまでの授業の実地経験に基づいて)より詳しく見ている経験を積み、学生より馬齢を重ねた分、多少なりとも蘊蓄が語れるだけにしかすぎない。つまり教 師と学生の差は質的なものではなく、単なる量的な差に他ならない。それどころか、再び不遜な表現になるが、一番「ドラマチックな場面」に遭遇する経験は教 師においてもなかなか現れないのだから、何度も映画を見て実際に学生と同様ヴァーチャルな体験をより数多く積みかさねているだけなのだ。だが、このような 積みかさねは、私(あるいは私よりもずっと若い教師)に対して何か水俣病事件により深く関わり知ってしまったような気分にさせる。そして三度目の不遜な表 現だが、原田正純「先生」が水俣病の過酷な現実を見た体験を通して責任を感じ「られ」たかのように、なにか水俣を語る権利を(僅かながらでも)自分が獲得 したような気分にかられるのである。かくして歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、そして二度目は茶番として……。
文献
◆オンライン文献
熊本日日新聞「『智子を休ませてあげたい』故ユージン・スミス氏撮影『入浴する母子像』封印」(二〇〇〇年二月二八日朝刊)(http: //www.kumanichi.co.jp/minamata/nenpyou/m-kiji20000228.html)二〇〇五年一月一一日[最終 確認日]
【ご注意】
この論文の出典は、池田光穂、『水俣からの想像力:問い続ける水俣病』丸山定巳・田口宏昭・田中雄次編、熊本出版文化会館(担当箇所:「水俣が 私に出会ったとき:社会的関与と視覚表象」Pp.123-146 )、2005年3月です。引用される場合は原著に当たって確認されることをお勧めします。