開発原病
developo-genic disease, disease of development
解説:池田光穂
開発 が試みられたところで生態系の撹乱やライフスタイルの変化などに起因する疾病を「開発原 病」(developo-genic disease, disease of development)という。
以下は池田『実践の医療人類学』[2001]による記述をもとにしたものである。
◎周囲の環境破壊/変化による寄生虫疾患の増加
アフリカでは1958年のカリバ・ダム(中央アフリカ)を皮切りに、ボルタ(ガーナ)、アスワン・ハイ、 ナセル・ハイ(ともにエジプト)、カインジ(ナイジェリア)などの大型ダムが建設され、ダムは開発のシン ボルになった。しかし、これらのダム建設に伴いビルハルツ住血吸虫の中間宿主の巻貝が繁殖し流域住 民に住血吸虫症が大流行した(Miller 1973:15)。ビルハルツ住血吸虫症は寄生虫病のなかで最も早い速 度で広がったもののひとつである。エジプトでは、アスワン・ハイとナセル・ハイの2つのダム建設に よってまずナイル河上流域に住血吸虫症が広がり、やがて下流のナイルデルタに広がり短期間で流行の 波は地中海沿岸にまで到達した。これらの規模のダム建設では、約5万人規模の流域住民の移住が伴う が、それにより移住先における新環境への不適応や援助依存の問題など深刻な社会問題が引き起こされ た(Scudder 1973)。
◎人々の移動の規模の拡大による疾患の増加
道路開発による人びとの移動が促進されることで地方病が流行病に変化することもある。トリ パノソーマ感染症(睡眠病)を媒介するツェツェバエは湿地や川に繁殖する。経済開発のインフラ整備の ために新しい道路が開通して人の往来が激しくなった。西アフリカではバスや車で長距離を移動する人 たちが休憩のために、感染地域の川の近くで涼をとった。そのためにツェツェバエの吸血行動が変化し 旅行者を刺したり、ハエが長距離を移動したために、睡眠病は道路に沿いながら広い地域の流行病とな った(Hughes and Hunter 1970)。南インドでは、森林伐採の後の陽当たりがよくなった跡に繁殖する ダニがリケッチアを媒介し熱病が流行した。このような新種の流行病はその病気の同定や感染経路の発 見が容易には解明されないので、そのあいだ現地の人びとにさまざまな文化的な憶測や社会的混乱がお こることが指摘されている。
◎経済開発の成長の犠牲としての疾患増加
開発の犠牲は低開発国住民に限られない。“中進国”といわれるブラジルでは1960年代から70年代 にかけて「ブラジルの奇跡」と呼ばれた高度経済成長期に、経済成長とともに幼児死亡率もまた増加し た。低賃金と集約労働が労働時間の延長を促し、国民の消費水準が下がり子供に対する栄養物の消費も 抑制されたためである。経済景気は富の再配分を促し貧富の格差が開き、政府は経済開発への投資のた めに保健予算を削減した。結果的に社会的弱者である低所得者層の乳幼児が犠牲になったというわけで ある(Navarro 1984)。コロンビアのカウカ谷周辺において米国開発局、多国籍企業、世銀などが関与し た大規模な商品作物開発プロジェクトによって、伝統的なものから近代化した農法に転換した農民たち の子供たちの栄養条件が悪化し、およそ半数以上の子どもたちが栄養失調に陥ったという分析もある (Taussig 1978)。この地域は周辺の地域に比べて肥沃で生産性の高い地域なのであるが、農業条件の産 業化が必ずしも現地の人たちの衛生条件の改善に結びつかないことを示している。また経済開発だけな く医療や栄養改善のプロジェクトそのものが現地では思わぬことに転用されることもある。例えば栄養 改善のために導入された外来種のトウモロコシが、食事の改善ではなく現地で消費されるアルコール製 造に使われた(Kelly 1959:9-10)。
◎戦争における環境汚染・環境破壊:この項目は書きかけ中です
熱帯雨林における枯葉剤――密林に潜むゲリラの隠れ場を掃討する――散布。爆撃における生態系そのものの破壊。火炎放射器やナパーム弾による化学被害、火傷や環境破壊。比重が大きく――すなわち破壊力を増す――また特異な結晶構造のため――着弾時の変化により装甲を効率よく破壊する――ために利用されるようになった劣化ウラン[depleted uranium]弾の使用による放射能汚染[被爆毒性に関しては現在論争中]。(次の図書を参照。SIPRI[ストックホルム国際平和研究所])編『ベトナム戦争と生態系破壊』岸・伊藤訳、岩波書店、1979年:国際行動センター・劣化ウラン教育プロジェクト編『劣化ウラン弾:湾岸戦争で何が行われたか』新倉訳、日本評論社、1998年
◎開発原病に取り組む医療人類学者の姿勢
このような現象は開発の矛盾であったり、開発とトレードオフの関係にあるのだろうか。矛盾である と分析する健康の政治経済学派の医療人類学者ならば、それに代替する経済システムをもって問題の解 決を模索したであろう。また、開発とのトレードオフとみる技術官僚ならば、開発立案のなかで予想さ れる新種の開発原病を疫学的に防除する計画を組み込むことを解決への糸口とみるかも知れない。しか しながら、これらの発想に欠けているものは「開発される側」の当事者がどのように外部世界に組み込 まれてしまっているかということなのである(Nicher 1987)。
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