アジアの〈こころ〉と〈からだ〉
アジア医療人類学者シンジケート(AMAS)連続講演会
クレジット:アジアの〈こころ〉と〈からだ〉—医療人類学からのアプローチ—
国際交流基金(ジャパンファウンデーション)文化芸術交流・アジア理解講座・・2007年度第3期「アジアの 〈こころ〉と〈からだ〉:医療人類学からのアプローチ」(http: //www.jpf.go.jp/j/culture_j/topics/asiarikai/index.html 掲示は一時的で将来アーカイブスに 移行されるでしょう)
毎週火日 全10回(2008年1月15日〜3月18日)
ジャパンファウンデーション国際会議場
●コーディネーターからのメッセージ(池田 光穂・奥野 克巳)
アジアには、土着の精霊や神などとの交信という信仰形態が、さまざまなかたちで行われ現在まで続いています。ヒンドゥー教、仏教、キリスト 教、イスラム教、儒教、神道などの諸宗教がうまれ伝播し、それらがじつに複雑に入り組んで定着分布しています。また西洋の列強による植民地統治はヨーロッ パ型の制度や思想をもたらしましたが、西洋医療の導入も例外ではありません。アジアにはハイテク産業の中心地が多くありますが、同時にさまざまな伝統医療 の宝庫でもあり「癒しのツーリズム」も盛んです。
アジアの人びとの〈こころ〉と〈からだ〉は、そういった歴史と文化のダイナミズムを経て、多様性をもちながらも豊かにかつ複雑に形成されてき ました。この講座は、アジアの〈こころ〉と〈からだ〉を医療人類学の観点から考えます。呪術、死やシャーマニズム、民族医療の再生や老いの問題にはじま り、近代アジア社会の出産や美容整形など急務の課題にも迫ろうとします。医療という文化を分析するという目的をもちつつ、身体観や疾病観の変化などに触れ ながら、日本社会との比較も視野に入れ、アジアの〈こころ〉と〈からだ〉を皆さんとともに読みといてゆきます。
第1回 1月15日(火)
ボルネオの葬儀、日本の葬儀
奥野 克巳(おくの・かつみ)
この講義では、アジアにおいて、死滅する〈からだ〉に対して〈こころ〉をもつ人間が、文化的な装置を介して、どのように向き合ってきた(いる) のかを取り上げて、わたしたち日本人の死と葬儀のありように接近してみようと思います。いったい、ヒトは、なぜ葬儀をとりおこなうのでしょうか。ボルネオ 島の人びとの複雑な葬儀は、いまから一世紀以上も前から、そのような問いに対する重要な分析モデルを提供してきました。近代化やキリスト教化によって、ボ ルネオの葬儀は、いくつかの面でいま、変化しつつあります。それに対して、日本社会では、「葬式仏教」と揶揄されたような、かつての仏教と葬儀の間のかた い結びつきは、現在、急速に解体されつつあります。現代日本では、葬儀は、多くの場合、葬祭業者が中心となって、とりおこなわれています。この講義では、 ボルネオ島の葬儀とその変化を手がかりとしながら、変わりつつある日本の葬儀と今後のゆくえについて、考えてみたいと思います。
■参考文献
・奥野克巳「死と葬儀」奥野克巳・花渕馨也共編著『文化人類学のレッスン:フィールドからの出発』(学陽書房、2005)
第2回 1月22日(火)
インドの不妊:〈産むこと〉をめぐるジェンダーと文化のポリティクス
松尾 瑞穂(まつお・みずほ)
子どもを産むということは、単なる生物学的な現象ではなく、きわめて文化的な営為です。インドのマヌ法典では、「妻が8年間不妊だった場合は離 婚できる」と定められていましたが、現在でもインド社会では子どもができないということは、特に女性にとって大きなスティグマとなっています。そのため、 子どもがいない村の女性たちは、女神信仰や祖先祭祀、呪術、代替医療などの様々な文化資源を用いて不妊に対処してきました。一方、都市部では高度な先端医 療技術と、代理母や提供卵子が比較的安価に手に入り、今日では諸外国から不妊症患者がやってくるメディカル・ツーリズムが盛んになりつつあります。なかに は、寡婦や貧困層を中心に、ビジネスとして代理母を請け負う村も出てきました。いまや〈産むこと〉は、グローバル化や医療化、商業化のなかで大きな変容を 遂げており、ローカルな文化との葛藤も生じています。本講義では、代理母問題を始めとする日本の状況とも比較しつつ、不妊を事例として、〈産むこと〉がど のような文化的・社会的要因によって成り立っているのかを考えます。
第3回 1月29日(火)
韓国と日本の美容整形:関係の中の身体
川添 裕子(かわぞえ・ひろこ)
美容整形は今や世界的規模で広がっています。日本では「プチ整形」やアンチエージング(抗加齢)の登場で、注目度が高まってきました。お隣の韓 国でも美容整形は話題となっています。メディアでは「韓国の女性の多くが整形している」と伝えられることもあります。本当にそうなのでしょうか、日本は違 うのでしょうか。今回は、美容整形について韓国と日本でのフィールドワークをもとにお話します。異文化(/他者)と自文化(/自己)を切り分けて語るので はなく、地続きなものとして考えてみましょう。その時美容整形は、人種差別や割礼や障害、さらには歯列矯正や老いの問題にも繋がることがみえてくると思い ます。美容整形からみる社会、人、そして自分自身はどのようなものでしょうか。一緒に考えてみませんか。
■参考文献
・川添裕子「美容外科手術と『外見』」(仮想医療人類学通信 http://133.1.255.37/‾mikeda/kawaz9806.html、2001)
第4回 2月5日(火)
老いの諸相:アジア太平洋の老人の生き方
福井 栄二郎(ふくい・えいじろう)
現在、日本の高齢者は2600万人を超え、全人口の20パーセント、つまり5人にひとりは高齢者という状況になりました。また平均寿命(平成 17年)は、男性78.53歳、女性85.49歳になり、50年前と比べると15年ほども延びています。つまり、老年期というのは、いまや静かに暮らす 「余生」なのではなく、人生の重要な一部分を占めるようになったと考えられます。
もちろん、誰もが健康に幸せに、そして積極的に老年期を暮らしたいと考えています。政府も高齢者と若年者が共に協力し合う「共生社会」を謳って います。しかし、その内実には具体性がなく、どうすれば積極的に生きられるのかわからない高齢者の方が大勢います。また貯蓄の多寡、家族との居住形態、健 康状態、配偶者の有無など、高齢者というのは、置かれた状況によって随分と過ごし方が違ってくるのも事実です。
本講義では、アジア・太平洋諸国の高齢者の生き方を通じて、積極的で幸せな老年期を過ごすヒントを考えてみたいと思います。
第5回 2月12日(火)
中国少数民族ウイグル族のシャーマニズムとエスニシティ
西原 明史(にしはら・あきふみ)
この講義では、中国少数民族の一つ、ウイグル族の伝統的な治療儀式について紹介し、一体なぜ病気が治るのかについて様々な仮説を提唱していきま す。この治療を執り行うのは「バクシ」と呼ばれる霊的治療者です。いわゆるシャーマンに相当する彼らは、一見不可思議で奇妙な方法で治療を施していきま す。彼らが語る治療観とは別に、その具体的な行為から見出せる意味を読み解き、治癒に至るメカニズムを想像してみたいと思います。
因みに、ウイグル族は人口800万を超え、その大半が中国西北部の新疆ウイグル自治区に居住しています。言語、歴史、宗教そして顔立ちなど、全 てがいわゆる漢民族とは異なり、その結果同化を求める中国社会とも様々な軋轢を抱えています。しかし、そんな中でも彼らは巧みに民族関係を築き、自分たち の誇りを守ろうとしています。そんな戦略の一端を「バクシ」の治療にも見ることができます。時間があれば、是非そのあたりについてもお話しさせていただけ ればと思います。
■参考文献
・片山隆裕(編著) 『アジアの文化人類学』(ナカニシヤ出版、1999)
第6回 2月19日(火)
呪術の論理からみた〈こころ〉と〈からだ〉:日本とパプアニューギニアとの比較
吉田 匡興(よしだ・まさおき)
日本の古典や伝承を紐解くと、呪いなどの神秘的な手段によって、憎い相手を病気にしたり、殺したり、さらには何らかの不幸に陥れることができる という信仰に出くわします。呪いの信仰は、特定の個人に悪意を抱く人物が、何らかの手段や力によって、憎い相手の身体や精神を操作できるとする論理に基づ いており、個人のからだやこころをそれ自体孤立したものとしてではなく、それを取り巻く他者や諸存在との関係の中に位置づける様々なやり方の一つだと考え られます。
私は、パプアニューギニアの一村落でフィールドワークを通じて、呪いについて調査しました。講義の前半部では、その村における呪いの信仰のあり 方との比較を通じて、日本の呪いの信仰の基底にあるからだとこころの捉え方の特徴を明らかにすることを目指します。講義の後半部では、前半部で明らかにし た、個人を取り巻く世界の広がりの中にからだとこころを位置づける想像力の働き方と対照させつつ、現代的な身体観の再考を試みたいと考えています。
第7回 2月26日(火)
宮古島シャーマニズム複合と精神医療
下地 明友(しもじ・あきとも)
精神医療にもグローバリゼーションの波が及んでいます。今回は、シャーマニズム的風土の宮古島における精神医療の〈現在〉を紹介しながら、ある べきメンタルヘルスの可能性を探求します。グローバル化とローカル化の衝突・対立・融合の現場の〈生の技法〉をめぐりながら、医療人類学と精神医学の〈対 話〉に、受講者とともに、耳を傾けてみたいと思います。その際、「エスノグラフィー」的アプローチ、「サファリング・コミュニテイ(苦悩の共同体)」など の概念群を紹介しつつ読み解いていきます。「傷ついた物語の語り手」、「病いの認識と癒しのシステム」の多重性についても触れながら、病いの「現実」(リ アリテイ)の多様な読みの可能性を開いていきたいと思います。さらに物語論(ナラテイヴ)や苦悩論(サファリング)、身体論(病める身体の多重性)を、受 講者とともに考えていきたいと思います。
第8回 3月4日(火)
病いは人間関係のバロメータ:ラオスの少数民族カントゥの病気治療 西本 太 健康状態が人間関係に左右されるという日常的な実感は、カントゥの人びとにも共通のものですが、その表現や対処の仕方には大きな特徴がみられます。突然の 災難に見舞われたり、病気が医学的に処置しても治らなかったりすると、祖霊が病因として浮上することがあります。姿こそ見えませんが、死者はつねに生者の そばにいて、かれらが道「ヒート」を踏み外しそうになると、病気を引き起こすことによって、生者の抱える人間関係の問題を気付かせようとするといわれるの です。そこで、生者は儀礼をおこなって道を修復しようとします。ときに祖霊のサインは、結婚に対する若い男女のためらいや同居家族の不和と解釈され、結婚 や世帯の分割・統合といった社会関係の再編を帰結することもあります。今回はカントゥの祖霊祭祀と病気治療を事例に、人間の健康の共同的な側面について考 えたいと思います。
■参考文献
・ラオス文化研究所編『ラオス概説』(めこん、2003)
第9回 3月11日(火)
今、アジアの女性たちはどのように産んでいるのだろうか
松岡 悦子(まつおか・えつこ)
急速に近代化を遂げつつあるアジアの国々で、女性たちはどのように出産しているのでしょうか。日本でも高度経済成長以前、つまり1960年代以 前には、女性たちは自宅で家族に見守られて出産していました。ところが高度経済成長と並行するかのように産み場所は病院に移り、女性は家族から切り離され て出産するようになりました。今アジアの国々では、かつて日本で1960年代に生じたのと似たようなことが、もっと急速に劇的に起こりつつあります。たと えば、アジアの都市部の病院における帝王切開率は驚くべき高さです。それに比べて農村部では、医療が不十分とされるにもかかわらず、女性たちはすんなりと 楽に出産しています。そして農村部では、マタニティーブルーズのことばなどまったく知られていないのに、都市部の女性たちの間では、出産後のストレスのこ とが話題になっています。社会の近代化は出産をどのように変えていくのでしょうか。それは、女性たちにとってどのような意味をもつのでしょうか。
・松岡悦子編『産む・産まない・産めない——女性のからだと生き方読本』(講談社現代新書、2007)
第10回 3月18日(火)
アジアの医療人類学入門
池田 光穂(いけだ・みつほ)
この講義は、みなさんが受講されてきたアジアの〈こころ〉と〈からだ〉をめぐる連続レクチャーをふり返るとともに、医療人類学という学問からそ れらの知識を分析してみる実習をおこないます。20世紀の後半に生まれた医療人類学が人間科学にもたらした最大の功績は、人類にとって医療とは多様な顔を もつ実践の集合体であり、西洋近代医療はそのひとつの姿にすぎない、ということです。アジア地域には、その社会、その人々、その病気と健康の数だけの〈対 応物としての医療〉があります。しかし、おびただしい多様性に直面しても絶望は無用です。それぞれの医療ついて、いくつかの着眼点(誰が、いつどのような タイミングで、どのように治療という実践をはじめるか、なにをもって治ったと考えるのか、人々の生活環境や日常生活の哲学など)を挙げて比較検討し、共通 点と相違点を整理すれば〈文化のパターン〉と、人々の〈こころ〉と〈からだ〉の見取り図が見えてくるはずです。日頃使わない思考実験をして、講師も受講生 も目から鱗を落とすことが、医療人類学を学ぶことの最大の面白みだからです。
当日上映スライド資料はこちら「アジアの医療人類学入門 」
■参考文献
・池田光穂・奥野克巳『医療人類学のレッスン』(学陽書房、2007)
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◆ アジア医療人類学者シンジケート(AMAS)とは?
アジア地域の医療人類学者ならびにアジア地域で活動するすべての社会の医療人類学者たちの研究と実践のネットワークです。研究や調査にまつ わるさまざまな政治的ならびにイデオロギー的な利害の衝突を越えて、平和的精神と合意をめざす対話によって、医療人類学研究をすべての人たちに開かれたも のとし、医療人類学研究の成果をより多くの人たちと平等に共有します。
Katsumi OKUNO
Mizuho MATSUO
Hiroko KAWAZOE
Eijiro FUKUI
Akifumi NISHIHARA
Masaoki YOSHIDA
Akitomo SHIMOJI
Futoshi NISHIMOTO
Etsuko MATSUOKA
Mitzuho IKEDA
医療人類学入門(池田光穂提供)