服喪の感情はどこから?
「服喪は個人的感情の自然の表出とは言えない。……無情な喪失によって傷つけられた私的感情の働きが服喪なのではない。それは集団に科せられた 義務である。人は悲しいから泣くのではなく、泣くことを余儀なくされるから泣くのである。それはその人が強いられる儀礼的態度と言える。だがその大部分 は、その人の感情的状態とは独立した別のものなのだ」。
→「人は悲しいから泣くのではなく、泣くことを余儀なくされるから泣くのである」の箇所の部分のオリジナルは、ウィリアム・ジェイムズに由来す
ると思われる
(船津衛訳、1981:484、ただし文章は適宜変えています)。
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099