環境汚染の責任を誰が負うべきか?
Who should be held responsible for environmental pollution?
池田光穂
環境汚染の責任を誰が負うべきか?
このような問いの答えは、めちゃくちゃ単純なように思える。
汚染をもたらした責任のある人だからだ。
では誰に責任があるのか?
汚染をおこした人(環境に対する加害者と呼ぶことにしよう)や法人(企業や政府あるいは自治体)だろう。
また、法人を責任をもって管理監督する人だろう。
しかし、タバコを吸って受動喫煙をもたらした場合、タバコの消費者は責任が問われるのか?あるいは、自動車を使ったり、たき火をしたりして、酸 素を消費し、有害なガスを排出する人にも責任が問われるのか?
責任があるという論理を立てることは簡単だが、誰にどれだけの責任があるのかを明確に言うことは一般的法則としては言えず、個々のケースで合意 にもとづく裁定が下される必要がある。
しかし、責任の範囲についての一般的な合意(論理にもとづく価値基準の一致)がなければ、類似の汚染が繰り返すだけである。
公害企業の社会的責任論にしても、いまは当たり前の常識になったが、半世紀前であれば、そういうことも起こり得るという程度の主張にすぎなかっ たようだ。
さらに水俣病事件のその後の展開を追えば明白なように、環境汚染とそれが社会の人々にもたらすものは、極めて複雑であるし、また汚染のメカニズ ムもまた明らかになったことにより、その責任の解釈もまた変化してきた。
事後的な環境汚染の除去などの費用負担は、現在では「汚染者負担原則」 (Polluter-Pays Principle, PPP)と言われるが、これはOECDが1972年に採択したものに由来する。
したがって、公害も同様、受動喫煙の咎は、日本たばこ株式会社(JT)とその大株主の日本政府が負うべきなのである。
複合型ストック汚染(宮本憲一 2006):
土壌汚染やアスベスト問題など、ストックタイプのものに労災などの要因が含まれたもの。
システム公害(宮本 2006):
自動車の排気ガス汚染のように、製造企業やユーザーの片方あるいは両方の責任を問うても意味がなく、社会経済のシステムそのものについて考 えなければならないもの。つまり、法的規制のもとで低公害車を作りつづける自動車企業を一方的な悪者にすることができず、むしろ、自動車への依存度を高め るユーザーや消費者、ひいては、その社会経済構造の問題でもある。
リンク
文献
-宮本憲一 2006『持続可能な社会に向かって』岩波書店
-除本理史(よけもと・まさふみ)2008『環境被害の責任と費用負担』有斐閣
-ウィキペディア「汚染者負担原則」(当該項目を参照)