コミュニティに基礎をおく参加型研究(CBPR)に みられる「権力委譲 power-demise」のプロセス
Power-demise process in Community-Based Participatory Research, CBPR
実践形態 |
革命/反革命における住民政策 |
コミュニティ参加の保健政策 |
コミュニティに基礎をおく研究 |
知識の権原 |
革命「理論」/政治的教説 |
専門家 |
専門家とコミュニティ(住民、標的集団)の共同実践 |
権力の源泉 |
教説にもとづいた協同性、軍事力、農機具、農薬や化学肥料、医薬品、インフラストラクチャー |
協同性、医薬品、インフラストラクチャー |
利害を共有グループの協同性、財源、政治交渉 |
専門家の位置づけ |
教説の供給源であると同時に、理論=実践家、教師 |
実践家(応用科学者)、教師 |
共同運営者、相互学習者(反省的実践家) |
標的集団の位置づけ |
革命的/近代的主体として成型される前段階、無自覚主体、教化対象 |
中立的主体、無自覚主体、教化対象 |
専門家と同じ資格をもつ主体、(専門家の)パートナー |
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CBPRの可能性と限界に関する今後の検討ポイント
1.コミュニティ(as a unit of identity)とはなにかという定義をめぐる議論は今後も続くだろう。
2.プログラムの持続可能性や新規再現性(renewal)についての理論ならびに実証研究は、その研究外からも検討されなければならない 課題になるだろう。
3.パートナーシップにおける平等原則そのものの持続可能性は、個々のプログラムの内部だけでは検証不能である。また「平等原則」の細部の ニュアンスは、歴史的・文化的に変化する可能性を秘めているのではないか。
4.「相互学習」という理想状況の維持と、保健維持に関する「知と権力」の現実には大きな隔たりがあることは、誰もが自覚している。
5.成員の参加度(アイデンティティ度?)により、活動に不均衡が生まれることは必定(→実践共同体に関する研究との学問的節合は急務)
6.専門家と標的集団との協同性のもとでうまれる知識や[後に採択される]実践原理、またアウトカム評価には、不断の討議プロセスは不可欠 である。これを持続可能性の「源泉」とみるのか、それとも持続性を阻害する「時間および手続き的ロス」とみるのかは議論の分かれることであり、持続可能性 を良好な「永続革命」とみるのか、コミュニティの意思とは無関係な「プログラムの延命」という一種のイデオロギー論争に終わってしまわないか。つまり「持 続可能性」というのはそれほど有り難い教説なのか?
7.あるCBPRが成功することが、他の新規のCBPRを産みつづけることで、CBPRの社会的評価が実体以上の価値をもつ(CBPR フィーバーないしは評判のインフレーション)。あるいは、あるCBPRの失敗が、CBPRの運動論の無効性であると一般化されてしまい、低水準のままに終 わる可能性はないだろうか。
8.専門家の宿命として、専門的知識を一般化しそれらを「知識にもとづいた社会」(Knowledge-Based Society, KBS)の中で流通させることで、専門家自身の商品価値を高めるというルールから逃れることができない。優秀な専門家は個々のプログラムにコミットメント する機会が増えて、より多くのコミュニティと深く関わることになる。その結果、個々のプログラムに投下できるエフォートは低下し、その結果、専門家として の能力が十分に発揮することができないジレンマに陥ってしまう(喩え:個人商店が大企業化すると、本来の商品がもっていた手作り感は無くせざるをえなくな る)。
9.CBPRには社会運動という形態を認めることが可能である。社会運動としてCBPRは、素人にはアクセスできない専門知識行使の〈司 祭〉としての専門家の「神秘的力」に関する社会的評判を下げるだろう。専門知識を「商品」として交易することで生計を立てる専門家に、そのような脱領域的 実践を誘発させることが本当にできるのだろうか?
クレジット:池田光穂、第5回サイエンスショップ(臨床研究の可能性)合同研究会資料、2008年10月4日
文献・リンク
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