病むことの意味
臨床コミュニケーション II
2008年度 第2学期
担当:西川 勝
2008/11/06 臨床コミュニケーション 第6回 「病むことの意味」 担当:西川勝
【住宅顕信(すみたく・けんしん)】
住宅顕信(本名春美)。まずその短い生涯を簡単にたどってみる。昭和三十六年三月二十一日岡山市生まれ。中学卒業後調理師学校卒業。市内の飲食店店員などの勤めを経て昭和五十四年岡山市市役所に業務員として奉職。傍ら仏教書に親しみ通信教育を受け、昭和五十八年七月京都西本願寺で出家得度した。十月結婚。翌年二月急性骨髄性白血病のため入院。新妻は妊娠していたが離婚。誕生した長男春樹を引き取り、病室での育児が始まった。そんな生活の中で句作を始め五十九年十月『層雲』に入門。投句を始めた。層雲社事務所の池田実吉氏の熱心な指導を受ける。六十年十二月句集『試作帳』を出版。六十一年藤本幸一氏の『海市』に参加。その編集同人として活躍した。六十二年二月七日没。
(住宅顕信『句集 未完成』彌生書房、昭和六十三年、池畑秀一氏の後記より)
【住宅顕信の句】
試作帳
退屈な病室の窓に雨をいただく
カガミの中のむくんだ顔なでてみる
点滴と白い月がぶらさがっている夜
だまって夜の天井をみている
寝れぬ夜の顔あらっている
看護婦らの声光あう朝の廻診
今日がはじまる検温器のふたとる
泣くだけ泣いて気の済んだ泣き顔
降りはじめた雨が夜の心音
洗面器の中のゆがんだ顔すくいあげる
どうにもならぬことを考えていて夜が深まる
血の乏しい身体の朝のぬいてゆかれる血
夢にさえ付き添いの妹のエプロン
病んで遠い日のせみの声
こわした身体で夏を生きる
歩きたい廊下にさわやかな夏の陽のさす
坐ることができて昼の雨となる
こうして病いが玉子をむく指先
枕の耳が廻診のくつ音を知っている
氷枕にうずめた顔に今日が過ぎていく
消灯の放送があってそれからの月が明るい
秋が来たことをまず聴診器の冷たさ
気の抜けたサイダーが僕の人生
面会謝絶の戸を開けて冬がやってくる
バイバイは幼いボクの掌の裏表
お茶をついでもらう私がいっぱいになる
試作帳その後
脈をはかる手が冷たい明日を思う
カーテンぐらいは自分でと病んでいる
朝から待っている雲がその顔になる
立ち上がればよろめく星空
病んで少なくなった友へ賀状を書く
鬼とは私のことか豆がまかれる
春にはと思う心に早い桜
陽にあたれば歩けそうな脚なでてみる
レントゲンに淋しい胸のうちのぞかれた
若さとはこんな淋しい春なのか
電話口に来てバイバイが言える子になった
何もできない身体で親不孝している
見上げればこんなに広い空がある
許されたシャワーが朝の虹となる
やせた身体ひとつたんねんにふいてやる
かあちゃんが言えて母のない子よ
初夏を大きくバッタがとんだ
日傘の影うすく恋をしている
誰もいない壁に近く坐る
待ちくたびれた傘が立っている
抱き上げてやれない子の高さに坐る
朝はブラインドの影にしばられていた
顔さすっている淋しい手がある
子につんぼと言われていたのか
月明かり、青い咳する
ずぶぬれて犬ころ
夜が淋しくて誰かが笑いはじめた
【あるエピソード】
顕信が『海市』に送った句は、一幸氏の手により、添削されたものも多い。例えば、
抱き上げてやれない子の高さに坐る(顕信元句『未完成』収録)
という句は、一幸氏の手によって
抱き上げたい坐れば同じ高さの父ぞ(『海市』掲載句)
と変えられている。その方がより句の価値が高まる、と一幸氏は考えたのである。このことを知らせてきた一幸氏の書簡を手に、病室で顕信が珍しく激怒したことを鮮明に記憶している。 (『住宅顕信 句集 未完成』、春陽堂、平成十五年、池畑秀一氏の解説文より)
【グループワークの課題】
顕信の句を読んで、「病むことの意味」を顕信の立場から考えてみる。 エピソードにある顕信の激怒は何が理由なのだろうか。
【さらに学びたい人に、ほんの少し】
●『仰臥漫録』、正岡子規、岩波文庫
激しい病苦の中にいて、自分の欲望をまっすぐに見つめて記録しようとする子規の情熱には、「病むことの意味」を自らが選び取ろうとする力を感じる。
●『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』、頼藤和寛、文春新書
著者は大阪大学医学部卒。「認識の鬼」となって、自らのガン体験について思索する。
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● 臨床コミュニケーション2(2008年第2学期 大阪大学大学院)