現場とことば
現場力と実践知 第9回
西川 勝
2008/12/09 現場力と実践知 第9回「現場とことば(1)」担当:西川勝
【はじめに】
西川が担当する「現場とことば」は、次の予定で進めます。
12月9日「現場とことば(1)」:「現場のことば」の実際について、洗い出す作業を通じて、現場特有のことばの特徴とその背景にある状況を考えます。
12月16日「現場とことば(2)」:「現場のことば」の将来像について考えます。現在、流通している現場のことばの問題点や課題について考察し、現場を豊かにし、可能性を開いていくことばのあり方を議論します。
【現場のことば】
人はさまざまな現場に生きています。現場について、一言で簡単に定義することはできませんが、まず自分にとっての現場とは何かを考えてみると、どうでしょうか。ぼくは「看護の現場」「介護の現場」という言い方をよくしていました。「現場の人間です」という自己紹介も多かったと思います。今ならば、「教育研究の現場」なのでしょう。主にイメージされるのは職業として働く現場でした。もう少し、イメージをふくらませると、ぼくが学んでいる臨床哲学のいう「対話の現場」や「思索の現場」にも「現場」ということばが及んできます。また、もっと緩やかに考えると、「家庭という現場」「昼寝の現場」などということばも思いつきます。こうなると、「現場」には何でもありという感じで、人が生きているその場所なり、その行為のあり方は、そのひとが直接に関係して、その状況に巻き込まれているならば、すべて「現場」と呼べるような気がします。
しかし、さまざまな現場といっても、そこで話されたり書かれたりすることばについて目を転じると、明らかに境界が浮かび上がってはこないでしょうか。
たとえば、看護の現場では「清拭(せいしき)」ということばを日常的に用います。清拭は身体を温かいタオルなどを使って拭くという意味です。入浴ができない患者の「保清(ほせい)」のために行う看護技術のひとつです。保清というのは、清潔な状態を保つという意味です。患者にとっての「清潔」の意味や、清拭の理論的根拠と実践技術について、看護教育で体系的に学びます。確認のために、医学書院の『看護大辞典』で「清拭」を調べてみます。
清拭は、「入浴できない患者に対して行う身体の清潔。皮膚の機能を円滑に保ち、血液循環をよくし、爽快感を与える。全身清拭と部分清拭がある」と説明され、方法やケアのポイントが具体的に詳しく述べられています。看護技術の本ならば、さらに詳細な記述があります。このようにして、看護師が「清拭」ということばで抱く考えは、「身体を温かいタオルで拭く」という以上の意味内容をもっていきます。ベテランになればなるほど、その意味内容は複雑になっていくのです。最近は「清拭」といわずに「bed bath」と英語で言ったりします。いずれにしても「拭く」といった和語ではなく、外来語風の表現を用いて、一般の人とは一線を画する表現を好みます。「清拭」は日本語ですが、看護職以外の人が日常で用いることの少ないことばです。これは看護の専門用語なのでしょうか。介護が職業化し専門性を高めている現在、介護福祉の現場でも「清拭」ということばが以前に比べて多く流通してきています。さらに、家庭向けの介護読本にも「清拭」ということばが登場してきています。
「清拭」を、小学館の「精選版 日本国語大辞典」で引いてみました。この辞書は、そのことばが載っている文献を、できるだけ古い用法から並べているので有名です。「清拭」は、「ふいてきよめること。特に、寝たままの病人の体をタオルなどでふいて清潔にすること」と説明されています。用例としては、1965年に幸田文が書いた『闘』の一文、「入浴を許されないものは、指示に従って清拭をうける」があげられています。この辞典では看護関係の文献は無視されたのでしょう。もっと以前から看護の世界では「清拭」ということばを使っていたはずです。専門用語ないしは業界用語が一般化する背景になったのは、医療看護の社会化が考えられるのかもしれません。
現場のことばは、専門用語、業界用語、通言、隠語、符牒、ジャーゴン(jargon)だけではないでしょう。ことばは単語だけではなく、ことばづかいにもあらわれるはずです。ただ、現場にいるものにとっては、それがあまりに自明で自然のものとして感じられるために、その現場特有のことばづかいを自覚することが難しいのかもしれません。
現場特有のことばが生まれる背景にあるものは何でしょうか。ことばを通して「現場」を考えてみたいというのが、この授業の目的です。
【グループワークの課題】
参加者それぞれが、自分の現場特有のことばについて紹介する。そのことばの、どこが通じにくいのか、どのような誤解が生じるのか、について、他の参加者が考える。また、なぜそのような現場のことばが用いられるのかの理由についてみんなで議論する。発表では、「現場特有のことばの特徴とその背景にある状況」について、それぞれ3つ以内のキーワードを使ってまとめてください。
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