はじめによんでください
臨床概念の再検討
Rethinking on the Japanese Concept and Usage of RINSHOO(Clinic)
1 はじめに:フィクションとしての臨床
「臨床」とは形而上学(meta-physics)と同様、人間がつくりだした抽象的な概念のひとつである。したがって臨床は、「作られ たもの」あるいは「成型されたもの」(ficuti?)という意味での正真正銘のフィクションである。作為による構成概念であるにもかかわらず、今日にお ける臨床(bedside, the clinical, social relations in action)という用語が、理論と実践の融合状態を明示する現実感(virtuality)を我々にもたらす点で、その正確な把握にはしばしば困難さが 伴う。臨床的実践(clinical practice)が行為者にとって理想的な知と技の癒合状態であると持て囃される時代には、その実践は自動的に善い効果をもたらすものと信じられるがゆ えに、徳目のレパートリーとしてリストアップされる。もし臨床という概念が人格的な魂を持つならば、その過大評価に対してその人格はまったく窒息する思い でいるだろう。
ここでの私の目的は、臨床概念の相対化ということにある。そして、その出発点は、臨床概念は人間のつくりだしたフィクションであり、概念 がもつ道具性という観点からはじまる。そして臨床[という概念]は、その概念を操作するどのような使用者にも開かれたものであることを再確認しよう。その ためには、私が出会った臨床という概念と、私じしんがその概念とどのように付き合ってきたか——ありていに言えば臨床概念との対話——というもっとも卑近 なところから始めたい。
2 臨床概念との出会い
2006年12月1日に大阪大学文学研究科臨床哲学教室に招待されて、私は1回だけの講義をおこなった。文学研究科の臨床哲学演習におい て、司会をおこなった教員のHさんは、私に2つの課題を与えてくださった。ひとつは、(1)臨床の概念を総論的に解説せよということ。もうひとつは、私た ちがコミュニケーションデザイン科目を通して、吹田と豊中のキャンパスでおこなっている授業の内容と、臨床哲学でおこなわれている内容とが重なる部分があ り、この間をとりむすぶと思われる〈臨床〉の概念を整理してほしい、ということであった。臨床哲学の講座は、1998年の改称後にこのような名称(大学院 の教室として「臨床」)が附されたというので、私が講義をした時には、教室の設立からはや8年が経過しようとしていた。
私は講義の前半に、自分自身が大学院の医学研究科に所属しながら医師ではないという事実と、医学研究科の中に、基礎と臨床という峻別があ り、基礎には病む人に直接関わるという倫理的自負があり、これとは逆に基礎には純学問的な取り組みからみると臨床には危険な雑多な性質があり、我々基礎こ そがピュア(純粋)で価値中立的な研究をやっているのだという別のタイプの実践的倫理のようなものがあるという社会的前提について話した。同じ、医学研究 を志すものが、〈臨床〉という概念をめぐって、その与えられた立場から真っ二つに対立していたのである。つまり臨床の領域には、それに関われる人とそうで ない人がいるということが、あたかも当然のように我々は理解していることから出発した。そして、そのような緊張感が今日においてもまったく失われているわ けではなく、それらを越境する動きがあると、その間の差異(=相違)が過度に強調されるという宿痾のような状況が続いていることを確認した。 私は、コミュニケーションデザイン・センター(CSCD)においても、また臨床哲学の講座(教室)においても、臨床という概念が非常に重要視されてお り、また、それについて今後とも考究をくわえることは、大変よろこばしいことであるという所感を述べた。ただし、私にとって、この臨床という概念は、あく まで〈方法論としての臨床〉であることが重要で、〈学問の内実としての臨床〉を確立してやろうということではない。臨床哲学の人たちと同様、臨床を、その 現場に行き、現場に寄り添い、現場において考えることが、〈臨床〉実践であると考えるからだ。 ——もっともそう考えると、臨床哲学でも、医療社会学でも、医療人類学でも、それをどの分野の人間がやるのかという学問実践の排他的独占のために、私は 〈方法論としての臨床〉を考えたくない。〈臨床という方法論〉はもっとオープンなものであるべきだと考える。ある立場を取ることと方法論の関係をより柔軟 に考えることで、ものの見方に対する排他的な立場から生まれる偏向をなるべく避けたい。臨床というアプローチは、我々の想像以上に深い方法論であると考え よう。
私は、それに先立つ2006年4月に臨床コミュニケーション入門という新しい授業科目をCSCDで運営する際に、職場の同僚に対して「臨 床」の概念を提示したことがある。現在はそれをブラシュアップして「臨床コミュニケーション」に以下のような解説を与えている(050531ccmu.html)。
「ある具体的な解決を目的としておこなわれる対人コミュニケーションのこと。
もっとも典型的な例は、医療現場における医療者と患者の間でみられる相互作用である。ここで言う医療者とは、かならずしも医師だけをさす わけではない。また、患者は、一般には病者とよばれ、広義には家族も含まれる。
しかし、臨床の現場におけるコミュニケーションに類する行為は、学校教育の場、心理カウンセリングの現場、法律相談、友人間の悩み事の解 決など、さまざまな局面でみられる。臨床コミュニケーションの教育が、医療者、カウンセラー、教育者などの専門家以外にも必要なことは、患者学のように、 相談する者と相談される者の間では、さまざまな技法の習得が期待されているからである。
また、相談される者である専門家もまた(その例として医師がガンになり入院することを想定したまえ)相談する者になるからである。
医療・福祉・コンサルテーションなどの業務は、具体的な専門知識と技量を有する人間と、問題を抱えその解決を求める人間のあいだのコミュ ニケーションを基調とする。治療・ケア・対応策を授けるといった具体的業務においては確実さと信頼性を確保するためには現場における対人的コミュニケー ションは不可欠であろう。またこの種のコミュニケーションは、つねにその成果を現場にフィードバックするものであり、現場から得られる知恵の習得・継承・ 発展は欠かせない。
人間が社会的生活をおこなうかぎり続いてゆく、具体的な結果を引き出すためにおこなう対人コミュニケーションのことを、私たちは「臨床コ ミュニケーション」(human care in practice)と呼ぼう。
臨床コミュニケーションの場は、つねに具体的な状況——〈社会的文脈〉と呼ぶ——のなかで起こる。より適切な臨床コミュニケーションを生 み出すためには、個々のコミュニケーションが、どのような社会的文脈と結びつくのかを検討し、具体的な場——それが私たちの言う〈臨床〉にほかならない ——で検討することが重要になる」。
2006年当時、CSCDの教員のあいだで種々議論した結果、臨床コミュニケーションは、結局のところこの引用文のように Human Care in Practice と訳されることになった。それゆえ私たちのこの翻訳語に対して人々はつぎのような疑念が浮かぶだろう。「ははん、ここでいう臨床という言葉は英語のクリ ニック[病床に臨むこと]に相当しないのだ」と。そのような読者の理解は正しいし、私は、そのように日本語の臨床なになにという、形容詞としての臨床を理 解してほしいと実際に願った。それゆえ同僚との合議において、クリニック抜きの臨床という語の翻訳に同意したのである。
このようなこだわりの原因はただひとつ。臨床哲学、臨床社会学、(病床に臨むという狭義の語法から逸脱した)臨床なになに学など、「病床 に臨む」という狭義の語法から逸脱した用語法そのものに不信感があるからである。にもかかわらずこれで問題が解決したわけではない。新しい翻訳語を与えて も、臨床= clinical という常識的結びつきを、臨床コミュニケーション= human care in practice =実践状況における人間的ケア という結びつきに解消させるものではない。
「病床に臨む」とはいったいどういう意味なのだろうか。病床に臨むということが、私たちが聞かされている臨床実践ということを明示的に本 当に繋がるのだろうか。病人の家族や友人は病床に臨んでも、誰も臨床実践をおこなっているとはいわないだろう。つまり、医療者——現在ならあらゆる医療関 係者もその周辺に存在する——という専門家が、病床に臨むことが臨床とされている。臨床の正しい定義、すなわちある用語や概念を自然で、普遍的で、歴史超 越的なものとして自明視すること、この概念が我々がもたらす作用をイデオロギーと我々は呼んでいる(イーグルトン 1999:130)。このような一連の不信感は、私の心の中で次第に肥大化し、正真正銘の臨床医学、臨床看護学における臨床概念すら、我々が造り出した虚 構(フィクション)ではないかと思うようになった。
このようないささか強迫的な疑念を方法論として洗練させれば、良識的なノミナリズム(唯名論)的立場から我々が使っている用語や、それに もとづく概念操作が、いかに論理的にはいい加減で、思いこみや誤解にもとづいていることを、いささかでも明らかにするツールになると思われる。
したがって、私の欲望は、世の中から臨床という言葉を絶滅させたいのではなく、臨床ということばの使われ方を分析することで、我々が臨床 という言葉でカバーする〈事柄〉を批判的に理解したいということなのだ。
3 クリニック=臨床という名称の由来
まず手始めに、クリニック=臨床=病床に臨むこと(『広辞苑』)、という翻訳の正当性について考えてみよう。
クリニック(clinic)は、ギリシャ語で寝床という意味のクリニコス(klinikos)と、頼ったり、もたれ掛かるという意味のク リナイン(klinein)に由来するという。もし、このクリニックという言葉がこの二重の意味を生まれた時からもっていたとすれば、その意味は深長であ る。つまり、クリックは病床ないしは病床の近くの空間であり——診療所のクリニックはその意味だ、またクリニックは今日でいうところの治療=救済=矯正 (cure)と配慮=介護(care)という実践行為を意味している。つまり、病人の本復をめざす場所や行為は、名実ともに臨床ということになる。
ついでに、病人たるペイシャントは、ラテン語の「苦しむ」や「忍耐」を意味するパティエンス(patience)、「ほとんど」という意 味のペエネ(paene)、「必要だ」という意味のペヌーリア(penuria)からくるという。
ミッシェル・フーコーの『臨床の誕生』The Birth of the Clinic, 1994,1973[1963] 英訳者(A.M. Sheridan Smith)の解説には、フランス語のla clinique には、以下の二重の意味があるという。(1)臨床医学、と(2)教育病院(teaching hospital)である。フランス語のニュアンスには、臨床には、知のまなざし(=学問的視座)と、教育の場(=訓練に不可欠な臨床経験)の2つの意味 がある。
さて、フーコーは、医学史家のアーウィン・アッカークネヒト(Erwin Heinz Ackerknecht, 1906-1988)らの指摘[1978]同様、18世紀末に登場し19世紀前半を席巻するフランスの臨床医学派の歴史的独自性に関心をもつ。
フーコーの『処罰と監視』と同様に、ある特定の時代における物の見方——それも集合的な行為実践ではなく個々人に現れる〈まなざし regard〉——が、別の時代の人間にとって異なるのかということを、同じテーマに対する2つの叙述を対比的に描くことを通して、つまりそれらの間に横 たわる断絶を提示することを通して、我々に説得しようとする。このような見方の断絶についての学問的アイディアは、フランスのガストン・バシュラールや ジョルジュ・カンギレムたちのやり方(「認識論的切断」)に由来するものである。科学史研究におけるトーマス・クーンのパラダイム論を想起する人も多いだ ろう。
他方、人間の物の見方が、その時代の社会における言語的活動(=言説作用)通して形成されるものであるという見方は、フーコーをしてこの 主義思想の創始者と言われるように、社会構成主義(social constructionism)の提唱とはじめての社会的影響力があった仕事というふうにも捉えることができるかもしれない。
アッカークネヒトによれば、パリ臨床学派(あるいはフランス臨床主義派)は、病気の分類への関心から徹底した臨床での観察主義と死後の病 理解剖を通して、病人を診るのではなく病気を見た医学者たちと言われている。ところが、フーコーによると、そのような観察が個人についての科学的構造を もった叙述を西洋(すくなくともフランスの学者たち)が持ちうるようになったという、アッカークネヒトとは反対の主張をしている。
とにかく、フーコーにとっては、臨床医学は西洋にとって独自の経験をもたらしたというのである。
「臨床医学的経験とは、西洋の歴史の上で、具体的な個体が、初めて合理的な言語にむかって開かれたことを意味するのであって、人間対自己、 及びことば(ランガージュ)対ものという関係における重要な事件である。ところが、この臨床医学的経験は、たちまち次のように誤解されてしまった。すなわ ち、なんの観念も介在することなく、一つのまなざしが一つの顔と対面すること、あるいは眼の一べつ(クードーユ)がもの言わぬからだと対面すること、と考 えられてしまったのである。この種の接触は、あらゆる論述(ディスクール)以前のものであり、言語(ランガージュ)という邪魔者のないものであって、この 接触によって、二人の生きた個人が、一つの情況の中に《とじこめられる》とされる。しかもその情況は二人にとって共通なものであるが、相互的なものである わけではない」(神谷訳 pp.9)。
英訳
Clinical experience − that opening up of the concrete individual, for the first time in Western history, to the language of rationality, that major event in the relationship of man to himself and of language to things − was soon taken as a simple, un conceptualizad confrontation of a gaze and a face, or a glance and a silent body; a sort of contact prior to all discourse, free of the burdens of language, by which two living individuals are ‘trapped’ in a common, but non- reciprocal sistation (pp.xiv-xv).
たしかに、これは臨床医学ないしは、フーコーが取り扱っているパリ臨床学派に対する一種の買いかぶりであり、歴史上の認識論的切断を前提 にした歌舞伎的な大見得にもみえる。我々はすでに確立したフーコーの偉大さに目をとられて、彼が指摘する臨床医学的経験における病気の個人化をあたかも歴 史の一大事件のように錯認してしまうことになるかもしれない——フーコーは個人に向かう臨床医学が科学的医学と同時に市場経済的な自由主義医療への節合へ と道を拓くという点も[引用文につづく文章において]正しく指摘しているのだが。
しかしながらアッカークネヒトによれば、このパリ臨床学派は、今日のような「研究室の医学」という経験がもたない、さまざまな奇妙な実践 と経験の集積体であり、我々の日常経験から遠いところにあるものである。また、その医学思想の来歴も、むしろ啓蒙主義の哲学とフランス革命後の政治的ダイ ナミズムとの関連で理解されなければならないものである。
4 臨床概念の特異な性格:パリ〈臨床〉学派
アッカークネヒトがパリ臨床学派を描いた時に、さまざまな特徴を(我々の議論の展開にとって有効だと思われるところを)テーゼ化してみよ う。
(1)病院の医学
パリ臨床学派は、現代の「研究室の医学」でも古代の「ベッドサイド(つまり名実ともに臨床)の医学」でもなく、「病院の医学」であった。 ただし、それは前者の間の過渡期のものでもないし、当時のヨーロッパの他の国に当てはまるものでもない。
(2)哲学思想が生み出した医学
パリ臨床学派は、自分たちがおこなった革新性についてはほとんど気がついておらず、ヒポクラテス的伝統をただ復活させたにすぎないと思っ ていた。他方で彼らの医学運動の萌芽には、啓蒙主義の新しい哲学(とくに感覚論)というものがあった。このことから敷衍すると、今日における(形ばかりに せよ)ヒポクラテスへの医学的忠誠のスタイルは、臨床学派たちが知らないあいだに生み出した、〈復古主義という形態をとった刷新的革命〉の産物である可能 性をもつ。
(3)臨床観察中心主義
彼らは診断学においては全身全霊を傾け、臨床的観察ならびに死後の解剖とその観察に専念したが、病人当人への関心はほとんどなく、またそ れ以前の医学的治療法(下剤と瀉血)とさほど変わりはなく、また治療に関してはそれほど情熱を傾けた形跡はない。また、彼らの医学的スローガンは、「病人 をみるのではく、病気をみよ」ということであった。にもかかわらず、その観察的思考が生んだ死亡統計を彼らが自らとった結果、彼らの時代には死亡率が下 がった(つまり医療の効果があった)という経験的事実が他方である。——つまり観察への執念が病人を[死亡率の改善を通して]ネグレクトしなかったとは言 えそうだ。
(4)廃止という意図が保存と刷新を生む
パリ臨床学派は、フランス革命の落とし子であり、ラディカルな医療制度改革の中で、それまでの古い病院を廃止しようとした運動があった。 しかし、その運動は、逆に、国家が整備された病院をもち、それらを中央集権的に管理し、かつ医師を育てる研究教育機関にするために、結果的に病院改革運動 になってしまったという皮肉な結果をもたらした。
(5)単系遷移ではなく競合的共存
パリ臨床学派による「病院の医学」は、度重なる王政復古と共和制の回復などの政治的な変動と、流行病の大流行によって、その内部でのヘゲ モニーがさまざまなより小さい学閥や権威者へと遷移していき、最終的には、パスツールやベルナールの「研究室の医学」にその権威を譲り渡すことになった。 しかしながら、他方で、フランスの19世紀は、ベッドサイドの医学、病院の医学、研究室の医学へと移行するものではなく、それらの3つの医学が同時に存在 していた。つまり同じ医学体系なかで、学派が競合する一種の多元的情況が生起した。
5 臨床概念の未来
アッカークネヒトやフーコーのような人たちがフランスの18世紀末に登場したこのような奇妙な〈臨床〉概念の誕生について力説しているに も関わらず、そして、現代の医学がアッカークネヒトが言う「研究室の医学」に完全に遷移したと思われるようになっても、〈臨床〉の概念の先取権と独占権を もっているのは、現代医学である。
それは、社会的逸脱を統制する機関として、病床をそなえた病院が厳然と存在しているからである。
臨床哲学、臨床社会学、心理臨床学、臨床神学、臨床人類学などなど、さまざまな学問が〈臨床〉という形容詞の中に、人間の営みのさまざま な概念を込めようとも、このような用語の占有に冠するヘゲモニーの布置は変化しようとする気配はない。
〈臨床〉ブランドの排他的独占を維持しようとする人たちは、現代医療の病床にもとづく〈臨床〉が本物の臨床であることを主張し続けるだろ う。
もし、そのような状況が変化するとするならば、そのプロセスには次のようなシナリオが想定されるだろう。
(1)現代医療の中心的権力を担う人たちが、臨床という現実の現場と、〈臨床〉という概念の議論に、他の領域の人たちを招いて、自分たちの 臨床の概念をより適切なものにブラシュアップしようとすること。
2)現代医療の中心的権力を担う人たちが、もはや〈臨床〉の概念を占有することに対して魅力を感じなくなって、外部の人たちに使われること を頓着しなくなる。
(3)現代社会そのものが〈臨床〉を、現代医療の中心的権力を担う人たちにその管理を付託することをやめるようになり、現代医療そのもの が、臨床抜きに生存を維持できるようになること。
すくなくとも、これらがどのような状況のなかでおこるかは、予想しにくく現在の状況もまた流動的である。しかしながらパリ臨床学派が19 世紀後半には、フランス国内で急速にその魅力を失ってゆき、新しい医療概念とそれにもとづく実践が登場したように、現代の我々が熱病のように、その未来の 展開に可能性を抱くという空虚な多幸性が、やがて理由もなく冷めてしまうこともまったくありえないとは言えない。
それまでの間は、〈臨床〉の概念は、ポジティヴな意味を生産している限り、臨床について、誰が語るのかについての議論は、当分の間ホット に続くであろう。しかし、それが過去の経験において、いったいどのような意味をもったのかについて反省を持たない限りは、先人の轍を歩み続け、その先に大 いなる挫折があることもまた事実なのである。
6 メタ臨床(臨床後)
ざっとまあ、このような内容を第1回研究会(2008年2月3日)の席上で申し上げたら、研究班のSY教授からは、鷲田[清一氏の]〈臨 床〉哲学がもたらした臨床概念の革新的部分を私の視点はそれを見事に外しているものであるというご批判を。また同じくSJ教授からは、臨床という用語は 「単なる制度的な言葉」であり「医学哲学的に言えば臨床というものの意味は、……人間を対象として介入する諸学問」が臨床であるという正鵠を得たコメント をいただいた。
お二人のご指摘は、私の議論が抜け落ちた視点をともに正しく指摘されておられる。須藤教授の話は、受苦的存在である人間を受け止め与えら れた環境のなかで当事者とそれに関与する者たちが織りなす実践の現場として臨床を考える立場——これをかりに臨床実践の主体派(subjectivist for human care in practice)と名付けておこう——からみれば、私の描写する臨床は、主体的関与という視座が欠けた歴史相対主義にほかならない。また、佐藤教授の議 論は、現在の臨床という状況を冷静に分析するためには、臨床概念の変遷という余計な歴史的介在物を経由する必要もなく、オッカムの剃刀のごとく、現在の臨 床概念の使われ方にみられる必要かつ最小限の定義から議論をはじめるべきという提言だと私は受け止めたい。
ただ私の回りくどい検討は、臨床という用語に込める人々の意味(イメージ)は、歴史的社会的に普遍的なものでなく、状況によっては正反対 の意味を持ちうることもあるという教訓を通して、サイエンスショップもまた相対化される必要があるというを言わんがために持ち出したと考えていただきた い。すでに述べたように、臨床ということばの使われ方を分析することで、我々が臨床という言葉でカバーする〈事柄〉を批判的に理解したいからだ。
臨床哲学や臨床社会学のような動きは、それらの学問がもつ主客の二分法からの脱却であり、「人間を対象として介入する諸学問」のリストの なかに哲学や社会学が列せられることを望んでいる。それは学問内部の改革運動であると同時に、社会における当該の学問の外部評価像のリニュアールを志向し ている。現在、これらの学問の社会的インパクトがトーンダウンしているのは、それらが現象論的には学問のラベルの張り替えに過ぎないのに、それを学問内部 (つまりパラダイム)の救済のために利用するという実利を求めたということに過ぎなかったというのは言い過ぎか。
にもかかわらず先人たちによる臨床概念の価値転換は重要な意味をもつ。それは、古典的臨床概念からみれば破格の濫用であるが、それゆえ 「人間を対象として介入する諸学問」領域にさまざまな学問が参入できることを可能にしたからである。これは[未だ十分に達成されているわけではない]諸学 問の民主化——すなわちあらゆる学問はそれを研究するに価するが、またその学問の発言権も同様に平等に保証しようという社会的動き——に貢献することにつ ながる。あるいは学問に臨床の名を冠することは、その学問に従事する者(=学者)をしてパフォーマティブな行為を遂行することを意味する。第4章のSY教 授の論文は、そのことの精神と世界観を余すことなく表現している。
臨床概念はこのような動きにより、ベッドサイドを占有する病人(=当事者)とそれに関与する者どもをして、教育病院という内側の空間を、 どこかの綻びから今度は外部へと展開してしまった。すなわち臨床の実践概念を過度に一般化したために、社会そのものが臨床実践が必要な現場に変えてしまっ たのである。ここでは、普通の市民——市民は普通のものであるのでこの表現は誇張法(hyperbole)である——ですら個々の問題状況に立ち向かう際 には臨床家になってしまう。あるいは社会の臨床化あるいは臨床のデモクラシー化は、専門家の実践と市民の実践の間に峻別をつけないという道を切り開く。臨 床哲学に多くの良識派の医療と保健の専門家が共感したのは、ここに由来するのではないだろうか。しかしながら、これはその語が過去に持っていたような意味 での臨床ではもはやない。そのような社会的空間はむしろメタ臨床(=臨床後, meta-clinical)と呼べる事態である。
しかしながらこのようなメタ臨床の考え方がより多くの人に合意を得られているかというと必ずしもそうでない。とくに医療の専門職の分化が 高度に進んだ現在、臨床を生計の場とする専門家が臨床に携わる専門性や独占性を容易に市民に明け渡すようには思えない。メタ臨床状況における、社会の臨床 化あるいは臨床のデモクラシー化をめざす動きと、職業の倫理性を確保しつつ臨床の専門性を維持する動きは、今後さまざまな併存状況(紛争・交渉・共存・連 携)の中で展開してゆくであろう。
文献
Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099