身体を媒介にする
Interpreting the experience of bodily sensations
西村ユミ(Yumi NISHIMURA)
クレジット:20091015 臨床コミュニケーション II(3) 担当:西村ユミ
身体を媒介にする
■本授業の課題
医療人類学者アーサー・クラインマンが著わした『病いの語り』では、慢性疼痛症候群の患者の一人として、ハワード・ハリス[通称ハウイ]という男性が紹介されます。本書では、「痛みをかかえる患者たちの生活を検討し、病いの(文化的、個人的、状況的)意味が痛みに及ぼす、そして痛みが病いの意味に及ぼす相互の影響について考える」ことを目論んでいますが、授業では、痛みを経験している当事者の「振る舞い」(表現としての身体)に注目して、「身体を媒介にする」対人コミュニケーションのあり方を考えます。
(課題1)ハウイの状態を読み、あるいは他者が演じるのを見て、見る側の身体にはどのような変化(感覚、動き、感情等々)が起っていますか。
(課題2)他者のある状態を見る、あるいは出会うことと、見る側(自分自身)の身体の変化との関係について考えて下さい。
■時間配分
16:20〜16:40 導入
16:40〜17:20 グループワーク(1G:5〜6名)
司会者( )、発表者( )
自己紹介をしてから、議論を開始して下さい。
17:20〜17:45 発表、まとめ
■ハウイの状態
「身長60フィート7インチ(約2メートル)、広い肩幅、いかつい顔の50代後半のこの男性は、薄茶色の薄くなった髪、神経の高ぶった緑の瞳で、こわばった姿勢のまま自信のない小股の足取りで歩いていた。ハウイは、自分の能力低下を言葉を使わず、ほとんど身振り手振りで伝えている。どこに行くときでも、ハウイは片手に、腰椎を保護するための白いクッションを持参する。もう一方の手は、頑丈な家具の背に触れられていて、まるで彼の背筋が崩れて突然倒れそうになったとき、どれが頼りになる支えかを確かめたいかのようである。座るときは、その手で近くの椅子の背をなでるようにするが、これは見る者に、彼が椅子の背と自分の背骨の丈夫さを比べているような観を与える。 ハウイは座るとき、両足を30センチほど開き、腰と上半身を固定させたまま、まっすぐに腰をおろす。数分ごとに彼は顔をしかめ、20分か30分おきにこわばって立ち上がり、さきほど一番丈夫そうだと思った椅子の背をしっかりつかみながら、背骨を左右に静かに動かすのである。ときどき彼が痛みの発作に耐えている間、しかめた顔にできたしわは深くなり、口はほとんど完全な卵形になるほど開き、目に涙が溢れる。(略)数秒後、彼は手で腰椎部に注意深く触れ、静かに筋肉をもみはじめる。はまざしにはいつも警戒の色がただよっている。(略) 「背骨が折れて、ひどい痛みのうちに倒れ込むというそんな感じがするんです。背骨が粉々になってもとに戻らないかもしれないし、痛みも耐えられるものじゃないでしょう。」
[アーサー・クラインマン著、江口重幸・五木田紳・上野豪志訳『病いの語り:慢性の病いをめぐる臨床人類学』誠信書房、1996年、p.76-77]より
〈メモ〉
■さらに学びたい人のために
□菅原和孝『感情の猿=人』弘文堂、2002年
本書の序章に、「経験の直接性から」というタイトルをつけて語りはじめるのは、次のエピソードである。菅原の指導者の河合が偶然、ボールペンの先を猿に向けてしまったとき、その猿が突然肩をいからせ、口を丸くあけて河合をにらみつけ、「ゴゴッ」と吠えた。河合はそのとき、あわてて身をひき「そんなにおこるなよぉ」と言った。菅原は言う。このエピソードが印象深いのは、「他者の〈表情〉のなかにそれ(おこるという経験)を察知するばかりでなく、わたしの「なか」に生じる〈感じ〉として、それを知っている」このことに気づかされたからである。本書は、「個々のふるまいを行為として理解し応接する可能性」、さらに「他者のふるまいのなかに感情を発見する」私たちの「身体性」「応答可能性」を記述していく。「身体を媒介する」ことについて、分かりやすく紹介された本である。
□メルロ=ポンティ著『知覚の現象学1、2』みすず書房、1967/1974年
上述の菅原は、本書で記述される知覚論(身体論)を手がかりとしている。
(c) Yumi Nishimura. Copyright, 2009