「暴力の効用」概念の衰退
21世紀の日本において子どもへの虐待致死報道はかまびすしい。誰しもが虐待を躾(しつけ)という教育だとは信じなくなった。
しかしほんの数年前、あるいは現在でも一部の教育思想のマイノリティにおいては、体罰の効用を信じていた時代があったのだ。
子どもへの体罰を虐待とみる見方の増加は、体罰がそれほど訓育にとって役立たなくなっという「実証的信念}から放棄されたというよりも、体罰が もたらす文化的イメージが急速に悪化したからだと思われる。もちろん、そのような心証を正当化する「科学的実証」をpost hoc に紡ぎ出す研究者のおかげによって。
以下の引用は、体罰の半世紀によるアメリカ合州国による変遷を簡潔に紹介している。
「ベンジャミン・スポックは1946年版の『スポック博士の育児書』のなかでこう書いた。「わたしは特別叩くことを勧めないが、長々と非難 するよりは害は少ないと思う。なぜなら、親にとっても子どもにとっても空気を一新するからだ」」(エクマン 2009:223)。
「ところが、1985年の版では、叩くことは「より大きくて強い人間が、正しいか正しくないかにかかわらず自分の主張を通す力をもってい る」ことを子どもたちに植え付けると述べている。そればかりか彼は、「叩くというアメリカの伝統」は合州国における暴力の氾濫に貢献している可能性がある とまでほのめかしている」(エクマン 2009:223)
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