はじめによんでください
「身体配列」に気づく
西村ユミ
臨床コミュニケーション1(4)20100510 担当:西村ユミ 「身体配列」に気づく
<講義内容および目標>
(1)身体配列――複数の身体どうしのあいだに成立している、ある程度の持続性をおびた関わりかたに気づく
(2)その手がかりの1つとしての「身体」のはたらきに気づく。
<前回の授業より>
・課題
(1)これまでに皆さん自身が行ってきたり、また聞いてきたプレゼンテーションのうち、特に印象深かったものについて、その例を取り上げ、どういう点がすばらしかったのか、または悪かったのかについて議論しなさい。
(2)よいプレゼンと悪いプレゼンについて、それぞれ数項目をあげて発表しなさい。
(2)まとめ(池田メモより)
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よい→話し方、テンポ、声の大きさ、言葉の抑揚、環境の整備、距離、向きなど。
整理がよくされているもの、わかりやすさ、全体図。どこが重要か念を押す、小休憩。
相手のことをよく考えている、受け身にしない。
導入が上手、一般的で皆が知るものから始める、段階的、質問を出して聴衆を参加させる。ワークや映像を入れる。実体験をもたせる。
聞く人のレベルにあわせる、専門用語を使わない。聴衆の専門/非専門で分ける。
スライドがわかりやすい、図や絵。詰め込みすぎない。
キーワード、独自性、ツール。
例:学校説明会「愛情までが伝わる」
悪い→読み方が単調、訴えかけてこない。だらだら、読むだけ。抑揚わるし、聴衆を見ない。
図やグラフの説明が多すぎ/少なすぎ。文字ばかり、見づらい。
終わりが見えない、いつ終わるのか? 目次などを入れる改善が必要。
声が小さい、パワポが早い。
聴衆のレベルに合ってない。興味がもてない。
自己中。準備不足、話す内容の未整理。相手の立場を考えぬもの。 (聞き手を見ているとうまくいってないことが分かる。)
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<分かることについての問い>
・(聞き手)語り手のテンポや抑揚などは、何を手がかりに分かっているのか?
・(聞き手)訴えかけてくる(こない)こと、伝わることは?
・(語り手)聞き手のレベルや興味、うまくいっている/いっていないは?
<スケジュール>
16:20〜16:40 オリエンテーション、資料説明
16:40〜16:50 グループを決める(4〜5名)
16:50〜17:20 グループワーク(約30分)
17:20〜17:45 発表とコメント
<グループワークの課題>
(1)コミュニケーションがうまくいかなかった経験とそれへの対処について、経験を交換する。
(2)詳しく思い出せた数例について、そのときの経験者自身の身体感覚や身振り、他者との距離(感)等々について、丁寧に辿りなおしてみる。
(3)「うまくいかない(ディスコミュニケーション)」経験をしているときの自分の「身体」感覚、身振り等々についてまとめる。
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〔参考までに〕
・・・私は他者を行動として知覚する。たとえば私は、他者の悲しみなり怒りなりを、苦しみや怒りの<内的>経験などから何一つ借りてこなくとも、彼の振る舞いや表情、手つきのうちに知覚するものだが、それは悲しみや怒りが、身体と意識とに分けることのできない世界内存在の変様であり、私に与えられる私自身の行為において現われるのとまったく同様に、その現象的身体において見てとられる他者の行為においても現われるものだからである。 (メルロ=ポンティ『知覚の現象学2』みすず書房、p.222より)
ひとが身体であることを経験し、身体をじゅうぶんに認識するただひとつの方法は、「それを生きること」である。身体はその意味では、たんなる私の所有物ではない。私と身体とは、生きるという次元ではひとつのものであるからだ。ここではむしろ、「私は私の身体である」。・・・ひとはじぶんの身体であるにもかかわらず、その身体のありかた、具体的なはたらきかたについて、ふつうは、じゅうぶんに知ってはいない。大気を吸いこみ、呼気を吐き出す肺の機能について、養分を分解し採りいれる消化器官のはたらきをめぐって、老廃物を分解し排出する内臓の動きにかんして、ひとは通常なにも意識していない。ひとがその存在と機能に気づくのは、むしろ、それがなにほどか不全となり、あるいは失われたときであるにすぎない。正常に機能している身体の生において立ちはたらいているのは人称的な「私」ではなく、むしろそれに先立つもの、前人称的な次元、しいていえば「ひと」の水準なのである。」 (熊野純彦『哲学のエッセイ・メルロ=ポンティ――哲学者は詩人でありうるか?』NHK出版、p.72より)
当日の池田(教員)による板書
身体感覚の板書 西村 2010年4月27日
2_いグループ
・事例4つ、声小さく聞こえにくい、自分と場:研究プランの違い(助教と院生):思春期の子供とのコミュニケーションの失敗:声の小さい教授と学生とのコミュニケーション::
・その時の身体感覚:こわばり、緊張、言葉がつまる、身体が熱くなる、「心が痛い」
4_ほグループ Kさん
・事例をあげて対処法を報告:相手のことを考えずに、相手を傷つける、うまくコミュニケーションできない。言葉を通して、逆に気にしすぎないようように、バランスが重要、あるいは笑うようにしたり、感情が入らないように……。外国人とのコミュニケーション→異なるツールを使う、使えるツールをつかう。うまくいくとき:熱くなる、気持ちが身振りのなかに投影される。
【温度についての叙述】
7_もグループ
・大人数その場かぎり、と、一対一の関係に二分して考える。:ディスコミの原因:距離が出てしまう、距離感を感じる。打開のほうほう:挙手、オーバーリアクションなどの身体的動き。体温が熱くなる。距離を縮めようとせずに逆にとる。目線の管理、間に先輩をおくなど、距離や方略をとる。
うったえ力:ペアまではできる、その後うまくいかない→必死さで克服、目力をつけることで、乗り越えた。
【感覚を埋めることでディスコミ、目力によって】
5_グループ
・うまくいかなかった、対処法、身体感覚の順で議論。4つの事例、第一歩がうまくいかない、他人と自分の物理的距離感を、無言のプレッシャー(電車の座席での接近)、後輩先輩の関係_後輩が人見知りの時の心の推測:対処法→一度距離をとる、相手の個性だからやりすごす。相手の行動観察し相手を知り、こちらから声かけなどする。身体感覚:緊張する、直視できない、頭が真っ白、身振りがでかく/小さくなる。うったえ力:5つ、ジェスチャー、目線、雰囲気、気配、目線と身体の合わせ方。
【西村コメント】
行動、無意識、自覚できていないこと→他者とのコミュニケーションの手がかり、他者のことがらを自分の振るまいとして「理解」してしまう。見たときにわかってしまう。他者の理解を内包しつつ振る舞いをそのまましてしまう。
メルロ=ポンティの解説:他者を行動として知覚してしまう。だからわかってしまう。人がその状態をわかってしまうのは、異常になったときにはじめてわかってしまう。コミュニケーションも同様で、なにもないときにはわかりにくく、ディスコミの時に、自分の身体感覚が明らかになる。
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Copyright Yumi Nishimura, 2010