はじめによんでください
「相談」を創ること
西村ユミ
20100706 臨床コミュニケーション1(12) 担当:西村ユミ 「相談」を創ること
■授業の課題
発症前診断という医療技術は、ある病気に対しては一定の予防や治療に貢献しはじめている。他方で、診断はできるが予防法や治療法のない病気も多く、それを前もって診断することについては賛否両論である。診断の希望者に対しては、医師や心理職、看護職などによる「遺伝カウンセリング」(遺伝カウンセリング学会ホームページ http://www.jsgc.jp/)が行われ、遺伝に関わる悩みや不安の相談を受けたり、遺伝診療についての相談に応じるなどの対応がなされている。
下記の例は、発症前診断を受けるかどうかを悩む健一さん(仮名)の語りの一部である。健一さんは検査ができることを知ったために、自分が病気であるか否かを「知らないでいる不安」と「知ってしまう恐怖」を語っていますが、 皆さんが健一さんの親しい友人(親族でない)として相談を受けた際に、どのように応じるかを話し合って下さい。また、そのように応じる理由についても考えて下さい。
■時間配分
16:20〜16:40 導入
16:40〜17:20 グループワーク(1G:5〜6名)
17:20〜17:45 発表、まとめ
■登場人物
兄:健一さん(27歳)、弟:祐二さん(26歳)(仮名)
母親がD病という神経難病を患っている家系。D病は、脊髄小脳変性症と呼ばれる病気の一種で、遺伝性疾患である(遺伝性でないものもある)。母親には、歩き方がおかしい、首がぐらつく、怒りっぽくなったなどの症状がみられる。子どものうちに発症する人もいれば、成人してから発症する人もいる。(10万人に5〜10人)
D家系の兄弟のうち、まず兄の健一さんが発症前診断(遺伝子検査)を希望して来院した(カウンセリングを受けた)。きっかけは妻の妊娠だった。 その後、弟の祐二さんも来院する。
【聴き取りより】
Q1 その病気が遺伝性の病気であるということをどのようにして知りましたか?
A1 2年ほど前、母親の確定診断をした病院で、母親の主治医から聞いた。父親・弟とともに説明を聞いた際、病名を告げられた。同時に「遺伝性がある」とも言われた。わたしは医師から「結婚をしているのか? 子どもはいるのか?」とたずねられ、遺伝する病気だからそんなことを聞くのだとうろうかと不安に思ったが、結婚はしているが子どもはまだいないことを伝えると、医師はそれ以上何も話そうとせず、黙ってしまった。医師に対してその場で質問することもしなかった。(略)
Q2 その病気に対して発症前診断ができることをどのようにして知りましたか?
A2 母親の病名が確定したあとで、おじ(母親の弟)といとこ(母親の弟の子ども2人)のうちのひとりが、同じ病気で発症していることを父親から聞いた。母親の病名は父親を介しておじ夫婦にも伝えられた。おじの妻(おば)は、母親の診断が確定したことを知ると、わたしたち夫婦に対して「病気のことをもっと知りたいか? 知りたければあらためて子ども(いとこ)の主治医に聞いてくる」と言った。わざわざ「病気のこともっと詳しく知りたいか?」と聞くということは、知ってしまったらショックを受けるようなおそろしい病気なのかとも思った(妻が)、それでも知らないままでいるよりはいいと思い、いとこの主治医に聞いてきてほしいとおばに頼んだ。そして、おばから、50パーセントの確率で遺伝すること、治療法がないこと、いつ発症するかわからない・・・などの病気の特徴に加え、遺伝子を調べれば発症前診断ができることなどを聞いた。おばからは「遺伝子の検査を受けてみたら」とすすめられた。いずれも母親の病名を知った直後のことだった。
Q3 発症前診断を受けてみようと考えた動機は何ですか?
A3 遺伝性であっても確率が50パーセントという具体的なことは何も知らなかったので、おばから聞かされたときはかなりショックだった。同時に、そんなに高い確率で伝わるなら、やはり発症前診断を受けてみようかとも思った。その一方で、病気の遺伝子をもっているということがわかってしまうのは怖いとも思い、すぐに発症前診断を受ける気にはならなかった。子どもを作る前までには必ず調べようと夫婦で話し合っていたが、なかなか踏み切れないままでいた。その状態で1年が経過した。そうこうするうちに妻が予定外で妊娠したため、・・・T病院を受診して医師に相談し、そこで遺伝外来を紹介された。子どもに病気を背負わせるわけにはいかない、そのためにはまず自分のことをはっきりさせておかなければと思ったのがきっかけだ。
Q6 もし発症前診断の結果「陽性」と判断されれば、将来その病気になることをあらかじめ知ってしまうわけですが、その点に関してはどのように考えましたか?
A6 子どもに病気を出したくないと思った。結婚する前だったら、検査を受けて「陽性」であれば結婚しなかったかもしれない。母親やおじ、そしていとこを見ているので、子どもが同じ病気になったらかわいそうだと思った。「陽性」であったら、子どもはあきらめようと思っていた。
検査のことを知っているのに、何も調べないで生むのは無責任ではないかと思った(妻)。リスクが50パーセントの子どもを、それとわかっていてこの世に送り出すわけにはいかないと思った。
・・・発症するまでは、一生懸命働いてお金を貯めなければ、発症したら妻に養ってもらうことになるかもしれない、まだ家のローンも残っている。生命保険にも入れないかもしれないので、地道にお金を貯めようと思っている。ある程度お金が貯まったら、夫婦で好きなことをやって暮らすのもいいかもと話した。すごく深刻な気分になるときと、妙にのんきに何とかなるさという気持ちになるときと、両方ある。発症前診断ができることを知らないでいたのならともかく、できることを知ってしまった以上、知らないでいたときの状態にはもどれない。(一部改変)
(加筆;課題)どうしたらいいだろう。
[追加資料]
■兄弟のその後
資料(玉井、2006)によると、健一さんは「陰性」だった。その結果を得たあと、弟の祐二さんも遺伝カウンセリングを受けに外来にやって来た。やはり発症前診断を受けたいと言う。祐二さんは未婚で、動機は「自分の将来について考えたい」ということだった。結果は「陽性」だった。
健一さん:「陽性」であれば、あらためて出生前診断を希望していたかもしれないが、あまり具体的には考えていなかった。自分の結果がどう出るかを考えるだけで精一杯だったことで、出生前診断のことを具体的に考えられないでいるうちに、自然流産ということになってしまった。流産していなければどうしていたかは、今考えてもよくわからない。
■発症前診断を受けない選択をした人もいる
…彼女(遺伝カウンセリング受診者)の父と姉は遺伝性の神経難病で、すでに他界していた。姉が亡くなったとき、「こんな病気じゃ、恥ずかしくてお葬式も出せない」と自分が思ったことを、今は許せないと唇をかむ。血のつながった姉の死を、どうしてそんなふうにしか受け止められなかったんだろう、と彼女は考え、紆余曲折を経て発症前診断を受けることにした。
彼女は遺伝外来に通いはじめた当初、こうやって相談にのってくれる人が見つかったのだから、発症前診断の結果を聞いてもいいかなと一度は思ったという。夫は、結果を聞くことを彼女にすすめていた。しかしその後、「中途半端な自分に自信をもってもいいかなと思う」と語りはじめた。彼女は、結果を聞かないという選択をしたわけではない。結果を聞くか聞かないか、どちらかに決めなければならないという土俵そのものからいったん降りる選択をしたのである。
→「相談」を受けること、相手の立場に立つことが、何をすることであるのかを考えてみて下さい。
引用・参考文献
玉井真理子『遺伝医療とこころのケア』NHKブックス、2006
信州大学医学部遺伝診療部 http://genetopia.md.shinshu-u.ac.jp/genetopia/basic/basic2.htm
Copyright Yumi Nishimura, 2010