ボランティアが挑戦する社会のコミュニケーションデザイン
■ ボランティアが挑戦する社会のコミュニケーションデザイン06
国際ボランティアの社会経験が、帰国後のホスト社会にとっても無視しがたい影響力を持つようなることを「草の根のブーメラン効果」といった。 これはボランティア前(pre-)、ボランティア中(in-)、そしてボランティア後(post-)の期間を通して、学ぶ場所や状況、そして学ぶ対象は異 なるにもかかわらず、ボランティアには学んでいる状態が続いているということである。なにかについて考えることができる人は、なにかについて行動できる人 である。もしこの見解が真実であるとすると、国際ボランティアに関わり、関心のある人たちすべてが、この派遣についてみずからの意見をきちんと表明できる 権利があり、大学や大学院での学びは、その能力を陶冶する。国際ボランティアは、派遣される人のみならず、国内にいる人たちは何からの関係――例えば納税 者は納付を通してこの制度を財政的に支援している――をもっているわけだから究極的には、国籍を問わず日本社会に住んでいる人は日本国から派遣する国際ボ ランティアについて、それぞれ見識と経験に基づいて公的な討議に参加することができる。ボランティアは地球市民でもあるから、究極的にはボランティアにな ることと、その人の国籍とは何の関係もないはずだからである。
最後にボランティアがもつ反省能力と、それを社会に還元することについて考えてみよう。我が国の国際ボランティア、とりわけ青年海外協力隊の 歴史を振り返ると、輝かしい栄光と同じだけの数と質の問題があることがわかる。
たとえば現地側政府の要請による協力隊派遣のシステムは、現地側の要請(リクエスト)により派遣のためのボランティアの徴募が開始されるとい う建前で、長くそのように説明されてきた。しかし、実際は現地にある国際協力機構あるいは青年海外協力隊の事務局が日本大使館を経由して現地の官庁や関連 機関との折衝の末に決定し要請書がかかれる事実がある。ここでの問題は、実際はそうでないにも関わらず、現地側の要請に対して日本政府がボランティア派遣 をおこなうという虚像を公的な手続きとしている点にある。
たしかに書類はそのような形式で書かれることが期待されている。しかしながら、あらゆる外交政策と同様に実際の派遣は現地政府と日本国の折衝 (=駆け引き)の結果の産物によるものである。ボランティアの勤務に対する報酬は現地政府が支払う「原則」になっているが、現地政府の財政状況などを「考 慮」して日本政府が「実際」には支払うという、建前における原則尊重、現実における柔軟な「対応」――別の観点からみると首尾一貫性のなさ――をおこなっ ていることである。ボランティアの多くは、このような「奇妙」な日本政府の建前と本音の齟齬(ルビ:そご)について異口同音に話すが、現実の職場での適応 のほうに気を取られ――異文化・異言語社会の中で一人前の社会人として専門的知識や技能を縦横無尽に使いこなすことを想像したまえ――このような正常な批 判的意識を表明する機会はボランティア仲間の会話のなかにとどまっている。協力隊事務所の上司(スーパーバイザー)に相談すれば、お定まりの「君の言うこ とは正しいが、これは政府間の[形式的な]取り決めなので、辛抱(=眼をつぶって)してください」と説諭されてしまうしまつである。
このような問題は政府からみれば本質的ではなく軽微であるかもしれないが、合理的な手続きの中に生きたい人間にとっては改善の余地のある問題 である。実際には話すことも憚られる上位の機関の外交上の醜聞(スキャンダル)は掃いて捨てるほどある。国際ボランティアの中には、このことに嫌気がさし て政府系の国際協力にはその後一切関わりたくないと表明する同志がたくさんいる。日本社会でも現地社会でもそうかもしれないが、草の根のレベルで生活する 市井(ルビ:しせい)の人たちのほうに健全な倫理や道徳が数多くある。あたり前だが、ボランティアが他山の石よろしく制度の悪に対して対抗的に育む、この ような高潔な倫理観を今の日本社会を住みやすく快適にするために使うことはできないだろうか。これは日本社会におけるOVと社会との対話と交渉についての 新たなコミュニケーションデザインを要請し、それを構築することにつながる。
国際ボランティアの人たちに、この種の健全な倫理観が芽生えたり、その後の人生になかに何か反省的知識が得られたりしたとすれば、帰国後の日 本社会が、彼/彼女らを再び受け入れた時に、その良質の部分を再帰的に還元(フィードバック)しなければ、それは税金の無駄というものにあたるだろう。ボ ランティアが現地社会で学んだことは、その人本人のなかでさまざまな影響を与え、有利にも不利にも働くことがあることは事実である。そのことへの検討が 今、真剣に求められているのである。
文献
池田光穂(一九九八)「保健活動――制度的海外ボランティアの過去・現在・未来」川田順造ほか編『人類の未来と開発』一〇七―一一四頁、岩波書 店。
池田光穂(二〇〇一)『実践の医療人類学―中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開』世界思想社。
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