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科学的事実の産出と研究者の実践について

――神経生理学研究室における事例から――

Cultural Production of Scientific Facts
Concepts of “Nature” in a Japanese Neurophysiological Laboratory

池田光穂

Keywords: neurophysiology, Nature, Culture, Society, laboratory studies, ethnography, Japan

In this paper, I examine Japanese experimental neuroscientists’ conceptualizations of “nature.” I also explore the continuity and discontinuity among three components of neuroscience: human beings, including experimental neuroscientists; vertebrate animals used in experiments; and data recording machines that are essential instruments used to bridge concepts of “nature” and “scientific fact.” This case study is based on fieldwork I conducted in a university laboratory of neurophysiology of visual perceptions in Japan. I engaged in participant observation in this laboratory from May 2005 to September 2010 and I interviewed neurophysiologists and related scientists.
The first section of this paper describes six historical phases of development of neurophysiological theories and methodologies. Then it summarizes Michel Lynch’s characterization of experimental animals as “ritual sacrifices” [LYNCH 1988]. Here I reject Lynch’s proposition because although the processes in ritual sacrifice and animal experiments are similar, one has to recognize that scientific experiments tend to fail while rituals usually proceed successfully according to their planned outcome. The scientists say that experiments using animals ought to “recover” when they confront the failing crisis.

The second section reviews previous ethnographic studies of science. In particular, I review Bruno Latour and Steve Woolger’s biochemical laboratory study[1989,1986] that develops Actor Network Theory and Paul Rabinow’s biotechnology laboratory study[1996] that combines actors’ narratives and the organization of one’s experience in a historical context in the laboratory. I explain how in the present study I adapted Rabinow’s research strategy. I proceed with the assumption that biological scientists commonly believe that scientific activities are objective and universal. I establish my purpose in this study to examine whether a certain local cultural tradition, in this case Japanese, can influence the practice of neuroscience.
In the third section, I examine how neuroscientists produce concepts of “nature.” I present ethnographic data describing how neuroscientists treat experimental animals in neurophysiological experiments. I show how scientific procedures cause the neuroscientist to transform their image and feelings about animals they use in experiments. Through scientific procedures, animals with individual character in the pre-experiment phase become objectified matter during and after the experiment. My analysis shows that the Japanese scientists I interviewed were not exactly aware of this transformation.

In the forth section, I explain how the Japanese scientists I interviewed generate “facts” from experimental data and interpret these data as the contents of “nature” and “scientific truth” according to established protocols by their tradition. In this case study, Japanese experimental neuroscientists tended to accept not only the Western dichotomy between nature and culture, but also another Japanese dichotomy of “tamed nature” and “wild nature” [KALLAND and ASQUITH 1997].
In the last section, I advocate that ethnographic studies of the biological sciences should clarify not only the local usages (i.e., ethno-recognitions) of scientists’ concepts of “nature,” but also how scientists relate their cultural experience to the “nature” concept, what I call the “co-production of scientific knowledge.”

In this case study, Japanese scientist’s concepts of “nature” and “truth,” distinct from ordinary conversation, are represented in the way they use the term “scientific fact.” They produce their scientific facts using animals, instruments and data. The social production of their concept of “nature” is represented in their scientific practices, including in their experiments, published articles in scientific journals and books, and teaching at universities. They accept the Western culturally-rooted dichotomy of nature and culture in an anthropological sense, and then they logically purify some elements of “discovery process” from the entities of hybridity between experimental animals and instruments. Their reality of producing “scientific facts” comes from their relationships with animals and instruments.

日本語要旨

 本稿は、我が国の大学における神経生理学研究室の 構成員たちが考え、取り扱う「自然」の概念と、人間と実験動物ならびに実験測定器具との連続性と非連続 性について考察する。

 検討される内容は、2005年5月から2010年 9月まで私が調査した、視覚情報の脳内での神経学的処理機構について実験動物を使って研究する実験室で の出来事の観察と関係者へのインタビューを基にしている。彼らの「自然」の概念は、一方では(1)科学的事実という用語によって置き換えられており、また 他方では(2)探究されるべき「自然」は実験動物と測定機器とのハイブリッドな構成体の中に焦点化される。日本の自然科学者が行う、科学実験やフィールド 調査研究、学会発表や論文の公刊というさまざまな実践の総体が、「自然」概念の社会的産出に他ならず、この現象を解明することが文化人類学研究において重 要な課題となる。自然科学者らは、自然と文化という二元論的を現代社会では認めたうえで、それらが相互に浸透しその混成的状況のなかで仕事をおこなう。そ してその混成的状態の中から自然と人工物という要素をより分け、秩序ある「自然」概念として整理する。このリアリティ生成こそが、神経生理学者たちが自然 という科学的事実を抽出する際に、実験動物と測定機器とのハイブリッドな構成体を不可避的に必要とすることに関係する。

 これまでの民族誌研究では、調査対象の数だけ現地 文化の隠喩として「自然」の現地概念をそのつど抽出し、表象する傾向があった。彼らの「科学的事実」の 探究に関連づけられる様々な日常的実践のほうに自然科学の民族誌研究を焦点化し、彼らの「科学的事実」探究に繋がる諸活動の社会的産物としての「自然」へ の分析に向かう重要性について述べた。

キーワード:神経生理学,自然,文化,社会,実験室,民族誌,日本
目 次
I.はじめに
II.科学と実験室の民族誌
III.「自然」の概念を産出する
IV.動物という「自然」の論証過程
V.結論

I.はじめに

 この論文では、我が国の大学における、ある神経生理学研究室の構成員たちが考えを抱き取り扱う「自然」 と、人間と実験動物ならびに実験器具(というモノ)との連続性と非連続性について考察する。検討される内容は、2005年5月から2010年9月まで調査 した、視覚情報の脳内での神経学的処理機構について実験動物を使って研究する実験室での出来事の観察と関係者へのインタビュー を基にしている。日本の自然科学者が行う、科学実験やフィールド調査研究、学会発表や論文の公刊というさまざまな実践の総体こそが、私の言う「自然」概念 の社会的産出に他ならず、この現象を解明することが文化人類学研究において重要な課題となることを私はこの論文において主張する。

 本論文の対象たる、視覚情報処理に関する神経生理 学の研究は、感覚生理学や脳科学研究領域のなかでも歴史が長く、またその研究成果の蓄積が豊かな領域で ある。それゆえ方法論上の日々の刷新や実験データの統計解析などの手法が洗練されており、詳細で膨大な研究蓄積がある。視覚の神経生理学の何世紀にもわた るパラダイムの変遷を我々が学説史的に位置づけることを試みようとするなら、それを次の6つの事相に便宜的に分けて考えてみるとよいだろう。

 (1)光学や博物学研究に由来しニュートンやデカ ルト、ガリレオ、ケプラーなどが光と視覚に興味を持って問題を扱った近代科学へのパラダイム変換期、 (2)近代解剖学と電気生理(マクロな電位から微小電極による膜電位および活動電位記録)という具体的な神経科学の手法が芽生え、神経科学の基本的な知識 が視覚系研究からもたらされた時期、(3)神経細胞間の結合強度が刺激によって変化するシナプス可塑性を説明する学習則の考案者ヘッブ(D.O. Hebb)と後の可塑性研究やパーセプトロンなどの人工知能研究への継承。ここまでが歴史的あるいは基礎となる最初の3つの事相である。

 そしてここからは、現代の神経生理学者の活動によ り深く関わる諸事相である。(4)は神経生理学者の世界的広がりを示す多様な領域である。つまり (4a)クフラー(S.W. Kuffler)が報告したネコ網膜神経節の受容野の発見と神経伝達物質とネットワーク形成、さらにそれに関連する細胞の形態学的特徴に関する報告、網膜 からの最初の神経投射(=神経経路に添う情報の伝達)を受ける脳の視床下部の部位である外側膝状体(LGN)の神経経路の情報処理に関する研究、(4b) ビショップ(Peter O. Bishop)らが切り開いたオーストラリア学派や、クロイツフェルト(O.D. Creutzfeldt)らが切り開いたドイツ学派あるいは英国やフランスなどヨーロッパおよび日本における研究、(5)LGNからさらに投射を受け視覚 情報の最終処理を受け持つ大脳皮質第1次視覚野(V1あるいは17野)に関するヒューベル(D.H. Hubel)とウィーゼル(T.N. Wiesel)が行なった膨大な生理学と形態学的研究[e.g. HUBEL and WIESEL 2005]とそれに触発された第1次視覚野研究ルネサンス、(6)さまざまなイメージング技術(PET, MEG, fMRI, NIRS)を利用した脳内の画像マッピングの機能解析、遺伝子組み換えにより特定の細胞の種類の投射経路のトレースをする技術、二光子顕微鏡による生体内 (in vivo)の視覚生理実験、である。これらの(4)から(6)相の研究が、時系列を重複しながら現在にいたるまで進展しており、それらが相互に関連性を持 ちながらも同時進行的に起こっていると私はみている 。これが本研究の歴史的舞台に相当する。

 この研究分野の特徴として、ラット、ネコ、そして 霊長類マカク属を使った夥しい数の動物を「犠牲」 にして行われてきたことがあげられる[LYNCH 1988]。先の第5相が誕生した時代に、画像マッピング手法という動物を使う実験に代替する手法が登場したが、完全には神経生理学の伝統的手法に代替で きないために、視覚の神経生理学研究の多くは今日においても実験動物の「犠牲」を抜きにしてはその学術的成果が望めない。しかしながら神経科学者は、特定 の臓器や組織から化学物質を取り出し分析する生化学者のように大量の実験動物を「犠牲」にするわけではない。むしろ、犠牲にされる動物の数は相対的に少な く、動物に対して最新の麻酔技術を駆使して非常に丁寧に「配慮」とも言える最新の注意を払って実験が行われる[池田 2011:265-267]。実験動物は、遺伝的あるいは育種学的に管理されているために価格が高く貴重な研究資源でもある。とりわけ視覚の神経生理学研 究には、デリケートな神経情報の生理学データを、計測機械を使って慎重に採集するために、実験動物がストレスに弱いことを生理学者は非常に気にしている。 ストレスで実験データがとれないばかりか死に至ることがあるからである。いわゆる「なまもの」である実験動物の飼育と管理には深い注意が払われるが、それ らは経験知に根差し、計画的で知的に洗練された実験技法とは好対照のものになっている。

 一般の人たち――その極端なものとして動物実験反 対論者たち――が抱く想像や予断とは異なり、私の観察によると、神経生理学者は実験動物を、目的理性を 持たぬマーテリア[木田 2010:94-95]――実験データを取るための生物機械としての材料=質料(ヒューレ)――としては取り扱わない。むしろ意外なことに、やがて実験に 供されるそれぞれの動物に人格的個性を認める傾向がある。このことは私が動物飼育舎に彼らと同行し、それぞれの動物について説明を聞いたときに確認したも のである。にもかかわらず彼らがいったん実験状況に入ると、動物は脊椎動物亜門哺乳類が共有する神経細胞の普遍的性質があるものとして理解され、神経生理 学上の脳の反応データに、個体差を認めることは一切しない。情報処理の神経回路には進化学的に説明可能な論理を有しながらも、実験者の影響を完全に排除で きる客観的で動物本体としては個体差の無いものとして扱われる。

 動物は実験状況におかれ、死後データとして客体化 された後は、純粋な(ブラックボックスとしての)生物機械を反映するものとして捉えられている。マイケ ル・リンチはハロルド・ガーフィンケルの指導のもとで、フランス社会学の供儀論を用いて儀礼的実践が、動物身体から科学的な客体へと通過儀礼のように変化 すると指摘した。そして実験動物の処理を宗教的な「供犠」と同じ用語の「犠牲(sacrifice)」と呼ぶことと矛盾しないという[LYNCH 1988]。これが可能になるのはリンチによると、実験データの性質(nature)を、普遍的自然としての「意味のあるデータ」と人工物 (artifact)としての「意味のないデータ」(ノイズ)を峻別する経験上の基準があると実験者たちが信じており、実験データの客観性を保証する論証 的手続きがそれによって開始されるからである[LYNCH 1985]。はたして、そのようなリンチのいう象徴論的な過程は、電気生理学も駆使する神経解剖(形態)学の研究室にも当てはまるだろうか。しかしながら 私が得た観察によると、それは当たっていない。リンチが依拠した、モースとユベール[1983:15]の供犠動物は犠牲になることを通して「神」(ここで は真理と置き換え可能)と人間の媒介物 になるわけだが、しかしながら現実の実験動物は媒介として殺されること自体に特段の目的を持つわけではない。実験の目的は動物の殺害にあるのではなく〈科 学的事実〉の入手――モースとユベール[1983:17]の言葉だと「道徳的人格」たる儀礼執行者かそれが関心をもつ対象を「変化せしめる」こと――にあ り、その手続きの最終的な帰結が動物の殺害という帰結を生むにすぎないからだ。

 私がそう断言する理由は、実験者たちが実験中に失 敗しそうになった時に、彼らの対処行動から感じたものである。客観的なデータが得られそうにないとき、 リンチでは供犠の祭司に擬せられる実験者は、せっせとそれを「生きている良好な状態=正常」に引き戻そうと努力するからだ。彼らは客観的根拠があるはずの 失敗の理由を探し出すことよりも、実験を「正常に戻す」ことを優先させて、端から観れば、まったくアバウトな試行錯誤(=文化的実践)に基づいてこの種の 失敗を克服しようと努力する。そもそも供犠は定められた実践行為であり、実験動物(=供犠動物)を実験(=儀礼)の途中で生き返らせるような面倒なことは しない。動物実験はデータ産出に目的があるために異常が発生したらプロトコルは柔軟に変更されて動物の生命反応が正常に戻るまで中断されるからだ。供犠儀 礼と動物実験は表面的な類似、あるいは偶然の一致である。リンチは実験に供犠を過剰な意図をもって恣意的に解釈している。動物実験とは、それ自体が目的で はなく(実験者たちが考える)真理の産出のための手段であり、リンチ自身の語彙を使えば「誤解の産物(misinterpretations)」や「幻影 (illusion)」という人工物(artifacts)を取り除く絶え間のない過程を実験者自身が試みているからである[e.g. LYNCH 1985:74-76, 115-116]。

 以上が、本論文の見取り図と目論見である。私は本 論文の研究対象になっているD教授が主宰する神経生理学研究室のさまざまな行事に参加しているが、主た る調査の内容はすでに1冊の報告書と1本の論文で報告している[池田 2008, 2011]。後者の入手しやすい民族誌論文[2011]では、科学という営為に関与する人類学研究の位置づけ、神経生理学教室の構成と半世紀以上に遡れる 歴史、調査者と被調査者の関係の描写、動物を使った科学の検証手続き、および実験者と実験動物のハイブリッド状況における「配慮(ケア)」について報告、 検討している。

II.科学と実験室の民族誌

 「思考する生活」への民族誌的アプローチの困難さ[ギアーツ 1999:285-286]と同様「研究する意識」への民族誌的アプローチも困難な道のりだということは、誰もが容易に予測することができる。近代概念に 対する厳しいリビジョニストであるブルーノ・ラトゥール[2008:14]によると、これまでの一連の実験室の民族誌なるものは「自然、知識、モノを扱っ ているのではなく、モノが社会共同体や主体に接合してゆく有り様を研究」しているという。そればかりか、彼は「近代科学と社会の繋がり」を研究するには民 族誌的アプローチは、むしろ逆に民族誌家の「活動の自由が確保」できなくなる弊害があると主張する[ラトゥール2008:14]。そこから彼は一方には人 類学者自身のアプローチとして対称性(シメトリー)の観点を、他方では近代科学が準備する「実験室」に対する見方を変更することを提案する。ここで言う対 称性とは、科学の認識論と社会が行う技術的制御との相互作用のことである。近代人は、自然の客観的な成り立ちが存在し(それ自体が「政治的虚構」である) 「社会」から受ける汚染を減じるために実験室の世界に、研究者が社会から自由になり「事実」をつまびらかにできる活動があると信じているからである[キュ セ 2010:81,322]。しかし他方で、自然の摂理(=知識)を明らかにすることこそが、フランシス・ベーコンの言う知識の表象たる「力」となって、逆 に社会の人々の存在を拘束する。それゆえこの事実を明らかにする作用と、その事実により拘束されることが対称性の証とされる。だがラトゥールの説明もここ まで来るとそれほど注目すべき指摘とは言えなくなり、これまでの科学史研究がつまびらかにしてきた知と権力の歴史相対主義的な指摘とそれほど変わるもので はなくなる。今の我々に必要なことは、ここで振出しに戻って「自然」の概念構成を抽出してきたと言われる科学と実験室の民族誌の研究がどのように産まれた かという歴史を検討し、漏れ落ちていることを検証することである[cf. LATOUR and WOOLGAR 1986]。

 クーン『科学革命の構造』[1962]の公刊とそ れが引き起こした論争以前の科学研究は、大きく分けて、科学哲学・思想史という内在的アプローチ (internal approach)と、科学史に着想を借りた形式論的な科学社会学という外在的アプローチ(external approach)に分けられていた。それらは、科学研究がどのようなプロセスを経て科学理論として確立するのかという歴史認識論の立場にたち、理論の客 観的真理を措定したうえで、歴史的事実を真理奪取の論理形式のパターンとして解釈するという枠組みに止まっていた。それらの科学観においては、科学者集団 は社会との関係をもちながらも、独立した集団を形成しその集団の成員がもつエートスによって維持されているという中範囲で妥当な議論も命脈が保たれていた [MERTON 1970[1938]; 有本1987:16]。クーンのパラダイム論の意義は、カール・ポパー[1971, 1972]のいう反証主義(falsificationism)が科学史上の大きな刷新について歴史経験として説明できないことを示したことにある。成熟 した科学には、研究上の行動をかたちづくる理論とそれを支える技術の体系があるが、それをパラダイムという。科学者はパラダイム規範にもとづいたパズル解 きを行なうため、観測される変則事例つまりポパーのいう反証の可能性をもった事例が出てきても、パラダイムという認識論的障壁により、誤ったデータあるい はバグ(ノイズ)と判断してしまう。このような変則がパラダイム体系の維持ができなくなるほど拡大したときに科学革命すなわちパラダイムの転換 がおこる。

 クーンの主張に対する、ポパー派の科学哲学の論争 が呼び起こした、その後の科学論の課題にはおもに次の4点があげられる[高田 1999:441; チャルマーズ 1985; ブラウン 1985]。(1)観測と観察の理論負荷性(theory-ladenness):純粋無垢(=ありのまま)な観察事実というものはなく、観察される事実 はなんらかの理論的前提の影響を受けざるを得ない。(2)競合理論の間での理論選択の不確実性:ある理論が採用されたとしても別の理論の有効性が完全に失 われるわけでない。(3)共約不可能性:論争中あるいは科学革命の移行において理論間に共通するものが少なく、また両者の理論を相互に説明することが困難 である。(4)発見の文脈と正当化の文脈の関係の峻別、あるいは真理の相対性:「実験室の真理」と「学会の真理」の間には齟齬がある。ポパーとクーンの立 場の違いは、その間で大きな論争がおこったために対比的に描かれることが多いが、ともに理論の進化(変化)や革命(断絶・切断)があるという点では、科学 を相対主義的「変化物」として捉えており、いわば形而上学的反実証主義の系譜に属するものである[GALISON 1997]。クーンは、パラダイムという科学者集団における固有の認識(コスモロジー)の共有というアイディアの維持と再生産について重要な貢献を行なっ た。しかし、その相対論的な見方は1950年代の社会哲学に大きな影響を与えたエヴァンズ=プリチャードやウィンチなどの動きとともに、科学という社会的 営為を把握する際にも認識論的相対主義の見方の重要性を再び研究者たちに思い起こさせた[WILSON 1970]。

 このような科学的進歩概念の相対化とそれと関連す る科学者集団もつ「意識」に着目する流れは、研究者の関心を、科学研究者の著作や論文のみならず、実験 ノートや私信などへと移し、さらには科学者自身がどのように実験データから知識を構成していったのかという――「あまりにもカント的」な名称の――知識社 会学の細部への関心を生むにいたった[ギアーツ 1999:267]。その結果、科学者自身が生きた社会との関係、すなわち科学の社会史という研究下位領域の再活性化の契機にもなった[マルケイ 1985; 松本 1998]。もっとも有力なものがエジンバラ大学の科学研究グループ(ブルア、バーンズ、シェイピンら)のストロング・プログラムである。ストロング・プ ログラムでは、科学知識の信念や知識に関する社会的条件(因果性)、その時代におこった真偽、正否、合理/非合理の説明を価値判断ぬきに行う(不偏性)、 それらの対立する要素の説明が同じ論理のなかで対称的に説明できる(対称性)、および説明がみずからの正しさを証明できる(自己反射性)という原則におい て科学の説明を試みようとした[ブルア 1986; バーンズ 1989]。ストロング・プログラムに代表される――科学論ではこれにバース学派が加わる――科学知識の社会学(Sociology of Scientific Knowledge, SSK)は、科学の社会現象を認識論的相対化によって理解しようとした立場である。さらにその認識論的な相対化ゆえに、あらゆる知識表象がその現場の知識 生産のプロセスと無媒介的に認識論的に自由に操作されるという危険性を孕んでいた。そのもっとも悲劇的破綻の例はアラン・ソーカルの『ソーシャル・テキス ト』誌への意図的でっち上げ論文の投稿に始まるサイエンス・ウォーズであったと言える[GROSS and LIVITT 1994;キュセ 2010:IX-X, 319-323]。

 科学研究への関心は歴史的発見から科学者自身が実 験室で行う日常的実践へと移動した。それは科学の発見のような歴史的事実の再構成では得られないよう な、より詳細で正確な情報が手に入るからであった。その背景には、会話分析やエスノメソドロジー、エスノサイエンスなど隣接経験科学(社会学や人類学)の 研究分析手法の発達があったこともその流行に拍車をかけた[ブラニガン 1984; ギルバートとマルケイ 1990]。科学の民族誌学研究の代表にあげられるのは、ラトゥールとウールガー『実験室の生活』[LATOUR and WOOLGAR 1986]、クノール=セティナ『知識の製作』[KNORR-CETINA 1981]、先にも触れたリンチ『実験室における技と人工物』[LYNCH 1985]、ラビノウ『PCRの誕生』(1998[1996])などである。今日では科学の人類学研究は、知識の権力性[e.g. NADER 1996; GOODMAN et al. 2003]に焦点があてられたものが多いが、この実験室から社会性への関心の移行は、後述するようにアクターネットワーク理論進展による(よい、そして悪 い)影響であることは明らかである。

 ラトゥールとウールガー『実験室の生活』 [1986]は、共著者のラトゥールが1975年カリフォルニアのソーク研究所で、ロジェ・ギルマンの研究室で 甲状腺刺激放出ホルモン(TRH)――当時は放出因子(TRF)と呼ばれていた――の構造決定に関する研究のプロセスを調査したものである。この著作の重 要な指摘は2点ある。まず、実験科学者の活動の多くは文献を集め、それを読み、論文を書くという文書作業に多くの時間を割く点である。そのために彼らは測 定装置を維持し、そこから得られるデータをもって図表や方程式などの表現方法に熟達しているということであった。このような作業を通してカオスとも思える 複雑な現象に秩序を与えて、理解可能な堅固な構造を作っているとしたのである。ラトゥールらのもうひとつの貢献は、科学者たちの科学的言明を5つのタイプ すなわち、1.〜と示唆した、2.〜の証拠はある/ない、3.〜と証明した、4.[客観的事実として]〜である、5.言う必要のない〜であるという前提、 を分類して、実験室の現場が「科学的事実」をめぐる言明が繰り広げられる競争的場(agonistic field)として位置づけたことである[LATOUR and WOOLGAR 1986:75-88]。

 ラトゥールらの著作の改訂版の公刊から10年が たってポール・ラビノウ[1996]の民族誌が公刊された。この著作は、バイオテクノロジー産業の一企業 体シータス社における遺伝子の化学反応系の「発明」をめぐる研究である。書名のPCRとは、この発明の中核をなすポリメラーゼという酵素の連鎖反応 (Polymerase Chain Reaction)のことであり、今日のDNA鑑定など微量の遺伝子資料の検出や遺伝子の「量産」などに幅広く使われている。この技術的応用を思いついた 生化学者キャリー・マリス[2000]は1993年のノーベル化学賞を受賞している。科学技術の誕生を描く古典的な手法は、まず主人公である科学者を中心 に据えて、それが発見した内発的な経緯や技術の応用や、社会的波及効果について広げてゆく。だが、本書では発明された科学技術がアカデミズムや企業という 環境を生みだし、その環境の中で活動する主体として科学者たち振る舞わせる様を描く手法がとられる。遺伝子を増幅する技術であるクローニングまずバイオテ クノロジーという民族誌領域が誕生する技術が発明された頃から、アメリカの製薬企業がその技術開発に投資したり、直接投資家から資本を集めベンチャー企業 を起こす科学者たちが現れたりする。科学的営為と経済的収益の両立が、官僚的な大学制度の縛りから自由になりたい研究者をベンチャーへと誘う。起業に成功 した科学者は、大学のスタッフをより有意な研究条件でヘッドハントする。他方でより安定した収益を求めるようになる企業はやがて自由で柔軟な職場から営利 性を優先した功利的システムへと運営方針を変えてゆく。その中で働く技術者は企業の中でより統合された機能をになう適合的なエートスを構築してゆく。

 ラトゥールらの『実験室の生活』が、研究者が営む 生活の論理や認識の構築のやり方にあるとすれば、ラビノウのアプローチは対象にしている関係者に会いに 行きインタビューし、関連文献をよみ、知識の実践の現場に社会や文化というものがどのように影響しているのかについて具体的に記述するという手順を踏んで いる。シータス社においてPCRの開発に関わった人物に対してインタビュイーたちの発言が多用されるために、ラビノウの関心は、感情を含む行為者たちの多 元的リアリティにあることは明白である。「自ら紡ぎ出した意味の網(webs significance he himself has spun)」[Geertz 1973:5]に絡み取られている環世界(=近代世界)のことについて無自覚なラトゥールよりも、その織物の上でフィールドデータと解釈を絡みあわせて獲 物を料理しようとするラビノウ流のアプローチの方が、私は自分の性に合うと考える。
 さて、日本におけるバイオ研究室の文化論ともいえる民族誌がサミュエル・コールマン『検証・なぜ日本の科学者は報われないのか(原題:Japanese Science: From the inside)』[2002[1999]]である。この民族誌は原題と翻訳題のねじれにみられるように、海外の読者からみれば、日本の科学研究組織に関す る文化研究であり、また、日本の読者からみれば、円滑な科学研究を阻んでいる科学を管理する政府の官僚制度批判が気になるところであろう。コールマンはラ トゥールらの「クレジット(信用)のサイクル」[LATOUR and WOOLGAR 1986:Ch.5]という研究と社会的信用の相互依存関係についての説明原理を適用するのみに留まり、彼らの実験室における行動や理念の構築という議論 には全く踏み込んでいない弱点がある。

 コールマンと対照的なのはソーヤーりえこによる日 本のおそらく大学院の物理学実験室における日本人学生とヨーロッパ系留学生――composite characterと呼ばれる複合的な人格データを一つの個性に統合したもの――のあいだの社会的駆け引きに関する研究である[ソーヤー 2006; SAWYER 2003]。ここでは、実験室に登場するさまざまな大学院生が実験室という生活空間を共にし、実験装置の管理や機械の性質から日常の彼らとは特異な行動パ ターンや社会意識(エートス)が生まれることを指摘している。しかし、社会行動の分析には中範囲とも言える実践共同体やゴフマンの理論などが援用されこぢ んまりとした分析がなされるだけで、なぜ大学の実験室なのか、そしてなぜ文化的背景を異にする大学院生たちの行為の振る舞いの微妙な力学を調査するのかと いう研究動機の解明をそれらの論文から読み取ることは難しい。
 ポストモダン派の科学研究の底の薄さを暴露しようとして仕掛けられたサイエンス・ウォーズによって、スコラ哲学者に擬される科学知識の社会学派の人たち が「戦後」その命脈を絶たれなかった。その理由は、ラトゥールやカロンがアクターネットワーク理論(ANT)という流れをつくり、しばしば社会構築主義と 言われながらも、実験室研究という実証的な素地がすでにあったからである[PICKERING 1995;キュセ 2010:X-XI]。ANTは、社会と自然のなかで科学技術がダイナミックに動く様子をさまざまなアクター(=人・組織・装置・機械・自然物などを区別 しないエージェントの要素)の連関で説明する、きわめて中範囲(middle range)でわかりやすい議論の展開を行う。他方で、分析の簡便さとは好対照に、ANTには高度なレトリックを駆使する離れ業があり、この衒学趣味は明 らかに支持者を減じている可能性がある[ラトゥール 1999:2-3]。ANTが主張する知識や技術は実験室で管理されているものではないという彼らの指摘を十分に認識した上でも、ANTには、実験室で研 究し働いて(ワークして)いる人たちが、現場でも維持している社会性への気付きという民族誌的感覚(ethnographic sense)が根本的に欠落しているように思われる。ANTには、その表面的な派手さに比して、既存の用語と概念を使っても論述できるだけの「深みが欠落 している」由縁である[内山田 2011:1]。

 私はシンプルに民族誌アプローチがもつ現場から生 まれる批判的観察の精神が、それらのアプローチの欠点を補うと主張したい[MARCUS  and FISHER 1999; 池田 2007]。クーンのパラダイム論ではパラダイム間の翻訳や理解は不能であり、これを共約不可能性(incommensurability)と呼ぶ。パラ ダイム論は科学者集団や理論の多元性を説明するにはうってつけだが、パラダイム内の細部の科学者の日常的営為やそのミクロな変化については、極めて想像喚 起力が低いのは、彼が歴史研究や思想史から出発したことと無縁ではないだろう。私の立場は、トーマス・クーンのパラダイム論を文法則の語形変化の (paradigmatic)隠喩として理解するのみならず、「科学的事実」の生成を実験者による知識の統語的過程(syntagmatic process)の社会実践として拡張してみることにある。つまり「科学を実践する」とは、規範に縛られ正しく文法どおりに発話するのみならず、あらゆる 文法的可能性を駆使して「真理を語る」ことだから、「科学を理解する」にはこの両方について知る必要があるからだ。

 科学は、それを規範とする西洋近代科学に起源を もっているが、きわめて普遍的統合性を志向するという意味でコスモポリタン的な性格をもつ。しかし他方 で、時代・社会・文化の影響をうけて、とくにその実践の現場では多様な展開を遂げる。実験室の民族誌が書かれる必要性があるのは、実験室おける行為者と彼 らが織りなす社会的現実を、その文脈から離れた研究者が観想することの限界をあらわにし、科学現象を研究するアームチェアの科学理論家たちに社会的現実の 多様な解釈と実践的理解の可能性を示すことにある。科学論をこのような観念論の眠りから離床させるものこそが実験室の民族誌的研究である。中島秀人は、 「実験室の人類学」による研究成果を総括して次のように指摘する。実験装置と人間のあいだの観察だけで「確実な知識」は得られない。なぜなら、研究成果は 内外の科学者集団でチェックされ、自分たちの集団あるいは他の研究グループによる追試験が行われなければならない。さらには研究資金の継続的な注入も欠か せない。研究者集団は社会と相互作用しており、それが中島[2002:iv]の言う「共生成(coproduction)の産物」である。我々人類学者は そこに焦点化して民族誌の生成と理解に努めるべきであると考える。

III.「自然」の概念を産出する

 視覚の神経生理学は、網膜レベルでの視覚情報処理に始まり、視神経交叉での左右の神経繊維の交差と同側への情報の流れ、外側膝状体(LGN)という神経 の中継経路を経て大脳皮質の第一次視覚野にいたる経路のほかに、さまざまな神経の経路があり、脊椎動物がもつきわめて洗練された視覚情報の処理を行ってい ることを解明する広い領域をカバーする一学問分野である[福田と佐藤 2002]。このため歴史的初期の神経生理学から今日の最先端の脳科学研究まで、視覚情報の処理に関する網膜細胞のユニークな振る舞い、神経回路の配線や 大脳皮質における顕微鏡レベルでの解剖学的な知見と神経生理学で高度に発達した実験手法の組み合わせになどにより、きわめて広範囲で洗練された議論が展開 してきた。また視覚の神経生理学の実験手法は、視覚刺激の提示においてもユニークな方法を開発してきた。微少イオン泳動投与法(micro- iontophoresis)など、神経細胞にさまざまに作用する薬物の利用を使った実験により、複雑な神経細胞のふるまいを正確に把握する手法も開発さ れている。そのような研究の蓄積を端的に表象するのが視覚系の「おそろしいマップ(scary map)」である[SNOWDEN et al. 2006]。これは、この経路に関する倦むことを知らぬこれまでの夥しい研究の積み重ねの結果、網膜由来の神経情報と脳内のさまざま部位(中継する神経細 胞の集まり)がさまざまな種類の神経細胞により、さまざまな情報様式をもって連絡していることを示した、彩色された夥しい線分からなる図のことである。

 いまここで動物実験の流れを示すと次のようなもの になる。まず実験動物導入計画がなされ、必要な頭数や導入時期さらには実験までの期間の維持管理経費な ど予算の確保が講じられる。動物実験には、施設内倫理委員会(Institutional Research Board, IRB)への申請と承認が必要である。実験動物は同業者と研究機関で構成される組合(例えば日本実験動物協会などの社団法人)に加盟している業者から納入 される。実験に使われる動物とは手をつけられていないインタクト(無傷な自然)な存在と言えるだろう。実験が行われる前から、人工的な環境のなかで生ま れ、統制された環境のなかで丁寧に育てられている。動物の飼育(ケア)は施設により、管理要員を確保している場合でもそうでない場合でも、一定の管理責任 が求められる。実験の際にはそれまで飼育されてきた動物舎から実験棟や実験室のある場所まで搬送される。麻酔がなされ、実験室搬入される。被験体は眠らさ れた後に、気道確保および生命維持のモニター装置などが装着される。視覚刺激が必要な動物では、苦痛の除去のために麻酔が必要になるが、同時に視覚情報を 処理する脳の部位の生理学的情報を入手するために、実験動物を「覚醒」した状態 にするという技術が必要になる。ちょうど私たちが歯科治療を受ける際に歯の部分への麻酔が効いて感覚は麻痺しており痛みは感じることはないが、意識は覚醒 しているというような状態にするのである。

 そのような前処置が終わると、次に頭蓋部に手術が 行われ、実験装置への装着がなされる。それとほぼ同時に、筋弛緩剤投与とそれに引き続く人工呼吸が開始 され、生命維持をモニターする装置が装着される。実験が行われている間は、実験動物に対する麻酔管理がなされる。苦痛の除去と「覚醒時」のデータ採集は実 験にとっては、倫理的にもまた実験データにとっても必要不可欠となる。なぜなら麻酔のレベルが弱くなると痛みを感じることがあり、それが生命監視装置から モニターされる乱れ(例:心拍数が増加する)が観察されるが、そのようなストレス管理が、実験中に引き続いて細心の注意を払って行なわれる。ただし生命監 視装置からモニターされる乱れがなければ(動物が本当に)「苦痛」 を感じていないのかということ(当の動物を除いて)誰もわからない。その難問をクリアするために、動物実験を不可避とする研究者たちは、生命監視装置から モニターされる乱れがなければ(日本生理学会などのガイドラインに従い)「苦痛がない」と操作的に定義している。人間の痛みの理解同様、動物の痛みもま た、その動物の感覚体験を共有することができない点で、これまでも、またこれからもブラックボックスのままなのである。

 ただし、ここまでは実験ではなく「前処置」と呼ば れている一連の作業の流れである。そこからは、実験動物に提示するスクリーン(モニター)の管理や、脳 内の細胞内/外の記録などが、細心の注意を払ってデータがとられる。もちろん実験データをとるためには「急性実験」つまり実験動物を最終的に安楽死するま で続けられるものと、電極などを埋め込み、さまざまな脳内の手術などを行なって、麻酔から覚まして、経過を観察し、手術後に健康の回復をまってから、継続 的にデータをとる「慢性実験」など、実験方法のやり方により、さまざまな管理手法がある。
 必要な実験データが取れ、実験動物の体力がなくなり、それ以上のデータ取得が認められなくなると、安楽死の決定 がなされる。安楽死は麻酔薬の致死量以上の投与などのもとで(筋弛緩剤が事前に投与されているので実験動物は自発呼吸ができないため)人工呼吸器を切った り、血液と保存用の薬品液を交換したりする「灌流(perfusion)」という処置がなされるが、これらは犠牲になる動物のサイズや実験の目的次第でさ まざまなタイプが選択される。実験は生理学的データが取れれば終了というわけではなく、どの部位に電極が入っていたのかということを確認するために色素な どを注入する。この作業は後に脳を取り出し、それを標本固定――ホルマリン液で保存を行ない脳に含まれるタンパク質を固めることをこう言う――したあと、 切片というスライスを顕微鏡のスライドグラスに上で固定定着させ、適切な染色の方法が行われ、解剖学的な部位とその実験データの照合が試みられるため、さ らに別の保存液の中にストックされる。なお、日本実験動物協会による「実験動物の安楽死に関する指針」(平成7年8月1日)第4章3項に「実験動物の安楽 死の実施場所に部外者を立ち入らせてはならない」というガイドラインがあるように、第三者による直接観察は通常はできない規定になっている。

 取り出された脳は顕微鏡で調べるようにするために 切片という薄く切られた標本を作製する。その中で、実験データの神経記録がどの細胞の種類によるものな のかを同定し、電極を差し込んだ部分を特定したりすることを「検索する」と呼ぶ。動物実験が終わったら動物の遺体はうち捨てられるのではなく、必要な部位 が冷凍あるいは薬液の中で長く保存され、必要がなくなった時にはじめて決められた手続きにより処分される。一年に一度は、動物慰霊碑への儀礼 が行なわれ、実験動物への「感謝」と動物霊への慰撫が行われる。
 動物実験を行う視覚の実験生理学者は(扱う動物の種類により変化があるが)実験動物の経費、実験に投下する時間的精神的コストなど要因により、1年間に 数回〜10数回の頻度で行ない、1回におよそ最大数10時間の実験を行なっているようだった。したがっていくら研究費の潤沢な実験生理学教室と言えども、 彼らは1年を通して実験ばかりしているというわけではない。実験の頻度とそれに投入する時間は、それを可能にする研究費と、実験に関わる研究員などのス タッフや大学院生など研究室の規模(=ラボサイズ)に依存することが大きい。実験生理学者の研究者としての執務時間のほとんどは実験データの整理や標本づ くり、他のグループの論文検討、および学会発表用の資料作成等に費やされていた。ただし、これはすべての実験系の自然科学者に当てはまることではなく。例 えば、自動化が進みつつある遺伝子を扱う実験室の研究者などに比べると、実験以外の時間に費やす時間は相対的に多いだろうと推定できるし、当の神経生理学 の研究者たちもそのように述べている。
 実験生理学者たちの間には、経験と「現場力」については、次のような関係を見ているようだ。実験では生きた生物個体つまり「なまもの」を扱うので、どの 研究室で修練を積んだかということが実験手技を学ぶことの決定的な要素となる。そのために研究室の主宰者は、院生などの教え子を(学閥や共同研究で生まれ たラポールのとれる)関連する研究室に派遣したり留学させたりしてその技術的伝承を維持することすら行う。実験の秘義化は有効なデータを得るためだけでな く、現場力や暗黙知の習得のミクロ社会的文脈を実験者たちに提供する[池田 2007]。

 実験の秘義化には別の側面もある、技術や実験の内 容を公開することに対するアニマルライツ派への脅威から身を守るためである。アニマルライツ派とは、こ の場合実験動物の反対の立場をとり、場合によっては飼育舎に侵入して、動物の解放(リリース)をも辞さない行動主義をもつ人たちである。近年の特徴はそれ が過激化していることで、動物のリリースよりも実験施設の破壊などに焦点が移動している。日本では欧米における過激な行動主義をもつ人は「まだ少ない」 が、そのような行動主義が今後はびこることを懸念し、またインターネットの書き込みなどであらぬ風評を立てられることを非常に警戒している。とりわけ大学 は、学生・院生が学ぶ自由な環境を保証する場であり、そのようなアニマルライツ派の人たちがキャンパスに侵入する危険性を排除できないと言われている[黒 澤 2008:744]。

 では実験室のメンバーたちは、実験動物に対して、 どのような感情をもっているのであろうか。実験動物の飼育(ケア)については、供給体制が分業化されて いるラボと「自前でなんでもやる」ラボとの違いはあるが、若手研究者は飼育場所の清掃や餌やりなど、基本的な飼育を学ぶことが徒弟として重要なこととされ ている。「飼育は注意深く観察し動物についてよく知ること」に寄与すると言われる。

 私は、この調査を始める前に、実験者たる自然科学 者たちは、犠牲獣に対して感情移入しないために常日頃からモノを扱うような態度で接していると、当初考 えていた。つまり、実験者による動物の非人称化という感情的手続きを無意識のうちに行なっていると考えた。これを非人称化仮説 と呼ぶことにしよう。しかし、それは事実ではなかった。実際には、非人称化どころか、実験前や後にも動物の個性や特徴について実験者は細かく記憶し、さま ざまなエピソードで語っている。むしろ逆に盛んに人称化して、動物の心理的な個性について、擬人化という表現も含めて彼らは実験動物を理解している。端的 に言うと実験動物にも「心の存在」を認めているのである[cf. サール 2006:59-61]。それにも関わらず、あるいはそれゆえにこそ、実験室内での動物の神経細胞のふるまい、つまり細胞の反応特徴に個体差があるとは決 して考えない。動物の個性は表面的なことであって、実験動物の神経学的深層は生物学的な普遍性にもとづく共通なものであることに些かの疑いももたない。こ れは視覚情報処理の神経学的普遍性のみを彼らが信じているからであり、動物に個性があるという「事実」と齟齬を起こすとは考えていないようである。

IV.動物という「自然」の論証過程

 最後に、神経生理学の実験室における「自然」が具体的には何をあらわしているか整理してみよう。「自然」の意味として、まず脊椎動物にある神経細胞の 「ふるまい」の普遍的性質(膜電位、神経スパイク、神経伝達物質など)がある。次に、生物種(species)に固有な神経回路や視覚情報処理における [説明や解釈の際の]合目的性がある。また観察者の影響を完全に排除できると信じている観察対象の独自性ということも自然が内包する性質そのものを説明す る。これらは客観的でゆるぎない普遍性としての「自然」を構成する。この自然と客観性の同一性を保証するために、神経生理学者は人為的な影響 (artifact)を除外する実践的な努力を行う。自然は人為的影響という文化と境界を接しており、実験室において自然科学者たちは、客観的な自然の領 域をより広くとるために日夜努力しているさまが観察することができる。
 この自然科学者たちの努力は、客観性の保証のための努力ということができる。この客観性の保証ということの歴史的来歴が、実は現在の彼/彼女たちの努力 とは相当異なった起源を持つのだという指摘がなされている。科学史家のシェイピンは、ロバート・ボイルの実験を例にとってそれを指摘している。真空ポンプ 実験の客観性を保証するためにロバート・ボイル(1627-1691)は紳士が立ち合い「ただ観察だけ」を求めた[SHAPIN 1990]。この場合における真理の確認とは、「その場における確認こそがその場の適切さを保証する」(ad hoc ergo propter hoc)かたちで証人によって確認されるという社会的な承認を意味している。

 これに対して、現在の神経生理学者は、実験の追試 験が高価な機械での高い技巧を要求するために、実験者しか〈客観性が担保〉できないものが存在すること について述べている。研究室のN准教授は(二光子励起イメージング法=分子が光子を2個同時に吸収して励起される)「信じられない神業のような実験手法」 が信憑性をもつのは、その後の研究の進展によりその実験結果と矛盾しない新事実が事後的に発見されることにのみよると主張した。つまり「事後的に将来それ を傍証するデータ出るからこそ、その証明の確からしさが検証される」(post hoc ergo propter hoc)と考えている。ボイルの真空ポンプ実験の客観性が社会的なものを獲得するプロセスであるのに対して、この二光子励起イメージング法の客観性の保証 とは、未来に起こるかもしれない蓋然性が「事後的に証明される」ことによって、科学的事実が論証される「その時点、その場で(の時空間)の適切さ」を保証 するということにある 。これは科学における奇妙な「コミュニケーションシステム」である。現在の実験装置の無謬性を担保として未来の科学的真理がその時点で保証される現象だか らである。一度得た名声(例:ノーベル賞受賞)が、その科学者の本物らしさと名声を(科学的真理の外側で)さらに高めてしまう現象を「マタイ効果」 [MERTON 1968:59-60]と科学社会学では呼ぶが、これは時間現象において「前倒しのマタイ効果」と言えるかもしれない。
 実験室における自然という客観的データを保証するために人工物(=文化)すなわちアーティファクトの出現を極小化するという行為から「自然」を描出する 方法が他にもある。人為的文化という事象によって自然が凌駕された状態、すなわち実験の失敗を、今日の自然科学者たちはどのように説明し、その後の行為に 対処するかということを調べることである。動物実験の失敗にまつわるエピソードは数多くある。研究者の所属先の移動に伴い新しい赴任地で動物実験を開始す ると、それまでと全く同じ装置おなじ条件なのにデータがとれないことがある。それを当事者たちは「動物実験はデリケート」と表現する。その対処法はさまざ まである。上手くできているラボとまったく同じセッティングにする。さらに出先のラボで実験を手伝ってもらい現場で学び、それを自分たちにラボで再現す る。正しい自然の振る舞いを起こさせるには、それを模倣することが最初に試みられるのである[池田 2011:268]。

 ここで現地語としての「自然」が当事者である自然 科学者に与える心証の差異について述べてみよう。フィールドと実験室を往還する生態学者たちがしばしば 自然という用語を多用するのみならず自らの多くを「ナチュラリスト」と呼ぶのに対して、神経生理学者たちの日常生活での会話の中に「自然」という言葉が出 ることは希である。神経生理学者は自分たちが「自然科学者」の一員であることに些かの疑念も持たない。にもかかわらず、彼らが電気的雑音を拾わないために シールドされた実験室の暗い部屋の中で、実験動物の脳のニューロンの応答をコンピュータのハードディスクに記録したデータを「自然の本質」だと言うことは ない。その代わりに、彼らはこのようなデータは「科学的事実(scientific fact)」あるいは単に「事実=ファクト」という用語で呼ぶ。そして自分たちはこの事実を紡ぎ出すことに従事し、諸事実の間の「整合性 (consistency)」――私には「無矛盾」の用語が適切だと思うが――に注意を払っているのだと答える。この生態学者と生理学者の「自然」という 言葉の使い方の違いから、我々は日本語の「自然」を容易に英語のnature と一対一対応で翻訳するわけにはいかなくなる。欧米語における nature/culture の二元論の翻訳語としての、自然/文化の使い方についても注意を払わねばならない。日本の自然科学者の言う「自然」が意味するもの(=「人為的でないも の」)はいわゆる自然環境(natural environment)により近いとも言える。実験室は我々人類学者と同様に生理学者たちにとってもまた人工環境という意味づけがされており、実験室を 自然と指し示すことはないからである[KALLAND and ASQUITH 1997:13]。

 それでは動物の神経細胞の「ふるまい」は自然の表 象と見てよいか。自然は動物の領域に帰属し、実験は人間が自然という客体を抽出するための人工的手続き だと言える。それゆえ「動物」と「実験」が組み合わさった「動物実験」という語彙がもつ、感情喚起力について注意が必要となる。実験動物の話をそれになじ まない日本人に話すと露骨に嫌悪され、時には「非人道的行為」であり問題ある行動だと眉を顰められる。先に指摘したようなアニマルライツ派の人達と同じ反 応である。では、これは、デカルトやアリストテレスにまで遡れる人間の知的探究心からの撤退や退廃(デカダンス)だろうか。現代文明が説明するこの齟齬の 説明は非常に奇妙なものである。その一例として自然保護への人々の熱狂に代表されるような感情は遺伝的根拠をもつというバイオフィリア仮説という主張があ る [KELLERT and WILSON 1993]。果たして観相や安らぎの対象として遺伝的起源にも遡れる自然を愛する情動と、それを分析する西洋近代科学の眼差しは齟齬を起こしているのだろ うか。自然科学者による動物実験の洗練化と、バイオフィリア的エートスにみられるインタクトな自然としての動物を希求しかつ愛好するという現象は、一見相 反するものである。この矛盾を調停するために、ラトゥールを参照して次のように考えるのはどうであろうか。我々は自然と文化という二元論的を現代社会では 認めた――純化(purification)した――うえで、それらが相互に浸透しハイブリッドを構成しキメラを形作っていることを発見する(=人間は文 化を経由して自然に回帰している自画像を「翻訳する」)、そしてそのハイブリッドの中から二元論的要素を再び発見し理解する(=「媒介する」)ことを行っ ているのではないだろうか[ラトゥール 2008:27, 93, 102]。このリアリティこそが、神経生理学者たちが自然という科学的事実を抽出する際に、実験動物と測定機器とのハイブリッドな構成体(hybrid construction)を不可避的に必要とすることに関係していると。

 客観的にとらえうるものを自然とし、それを理解す る人間の営為を文化と名付けるならば、自然科学者たちの活動は実際のところ科学的事実を取り出す人為的 活動を行っており、それを観る文化人類学者は、その観察を通して、自然科学者のメタ認識すなわち文化的知恵(sapientia)を描写している。言うま でもなく神経生理学者たちは、自分たちが発見 するのは科学的事実であって文化的知恵などではないと反論する。神経生理学者と文化人類学者が、心に抱く自然と文化は単純な二分法ではなく二分法の内部の 量的かつ質的な構成のあり方は、ラトゥール[2008:102]とは異なったかたちで、自然と文化のハイブリッドが織りなす内実を表現するのである。

V.結論

 文化人類学は、一般的に人文社会科学に属すると認識されているために、自然人類学がその自然科学的方法を道具として利用することを除いて、この学問には 自然の概念の検討にはそれほど関与しなくていいというエートスがあることは否めない。文化人類学者は抽象的な議論をするのではなく、具体的な文化的差異を 明らかにすることが職業だと見なされていることとそれは関係する。それに比して西洋哲学や思想史の研究においては、自然の概念については、古代ギリシャの 自然哲学に始まり、古代から中世における自然としての神の恩寵の問題、啓蒙主義が準備した理性(=自然法則)、さらにはハイデガーの存在論や量子力学な ど、自然の存在論についての夥しい議論と研究がある。[コリングウッド 1974; ボアズ 1990; 木田 2010]。

 もちろん人類学の伝統に自然に関する議論がないと は言えない。『親族の基本構造』におけるレヴィ=ストロース[2000]は、ヨーロッパ啓蒙文化におけ る自然から文化への認識の出立を、人類学黎明期のインセストタブー起源の解明への挑戦と近代科学的解釈への転換を比喩的に論述することから始める。レヴィ =ストロースの上記の出版後の約40年後にこの自然と文化の二分法の民族誌的現状をとりまとめる幅の広い論集を編集したデスコラとパルソンに言わせると、 自然と文化の二元論は「人類学のセントラルドグマ」に相当するという[DESCOLA and PLALSSON 1996:2]。このような問題提起にもかかわらず、あるいはそれゆえにと言うべきか、現代人にとっての自然の概念の検討は、ギアーツの秀逸な表現を借り れば人類学者は「今なお闘鶏やセンザンコウによって心を奪われているので」[ギアーツ 1999:265-266]、採集狩猟民における野生動物や環境に関する広汎な実践的知識(例:伝統的生態学的知識)に大きく傾いているのが現状である。 現代人の概念の自然の検討は、生命科学や高エネルギー物理学研究室における民族誌研究でしばしば触れられるが、そこでの議論の多くは、経験主義的に抽出さ れた図式化された観念が、あたかもローカルな文化概念のごとく記述されているにすぎない[e.g. NOTHNAGEL 1996:262, 264]。

 それゆえ現状では民族誌を記述する人類学者の数だ け、その研究対象(の集団)が理解し表現する「自然」の種類があるように見えてしまう。この事態の論理 的帰結は明らかである。「自然」という文化的概念を、無反省に民族誌分析ためのカテゴリーとして付け加えるだけでは、かつての「宗教」や「家族」の概念と 同様、その多様性のカタログのレパートリーを増やすばかりで、その比較民族学が真の民族学(=文化人類学)的議論には結実しない[GEERTZ 1973:44; ギアーツ 1999:269-270]。そのため文化人類学研究においては、自然の概念が当該社会や集団で、どのような語彙をもち、かつ表象されているかという(文 化表象としての自然のレパートリーを増やす)報告のみならず、自然の対応物としての「文化」や、エージェントして振る舞う「人間」がどのような動態を形成 しているのかついての記述と考察が不可欠になる。

 本研究での調査対象の人々の日常生活にほとんど意 識にのぼることのない「自然」の概念は、一方では(1)科学的事実という用語によって置き換えられてお り、また他方では(2)探究されるべき「自然」は実験動物と測定機器とのハイブリッドな構成体の中に焦点化 されていることを私は述べてきた。

 自然科学者は、抽象的な現実としての「自然」につ いて常に考えているわけではない。その代わりに彼らは「科学的事実」の探究の実践をひたすら行ない、盛 んに議論をする。関連するジャーナルに眼を通し、研究仲間にメールを頻繁に書き情報交換をする。実験を行ない、論文を書く。学会発表の準備を行ない、発表 のリハーサルを行う。発表後の反省会で相互に改善意見を交換する。学生や大学院生と研究上の相談を受け、彼らのドラフト(草稿)に朱筆を入れる。辛辣な査 読者の批判に「ディフェンス」を試みる。留学先の経験で覚えたスポーツや赤ワイン のテイスティングを帰国後の生活に持ち込む。興味深い授業を行なって教室の中で後継者になる可能性のある卵たちに研究室を訪問するように勧める(「一本釣 り」の試み)。これらはすべて、彼らの「科学的事実」探究に繋がる諸活動である。これらは科学者間の「共生成(coproduction)」の社会的産物 と言える(第II章末を参照)。

 このような一連の行動をドライブする動機はなんだ ろうか。それは、論文を書いて大学内や学会での職位や名声を上昇させること、理論や実験で重大な発見を 仲間と共に実現すること、リップサービスではない「骨太の」研究を通して何らかの形の「社会貢献」を行うこと。結局のところ「よりよく生きるため」彼ら/ 彼女ら自身の生活技法を日々改善するための闘いが続いている。本研究に関わった人類学者と神経生理学者は、この最後の部分において完全に意見が一致した。 これはまた科学的事実の産出をめぐるこの研究が明らかにした、我々の「共生成」の実践的産物の一端に他ならない。


  1)本文中で括弧つきの「自然」を用いる時には、その「土着民=自然に従い自然に仕え自然を利用し自然に生きる人々(native)」が共有する/してい た抽象的な概念やカテゴリーとして、このように表現する。
 2)民族誌調査としてはかなり異質なフィールドワークになった経緯については、その方法論上の利点と弱点をあわせて池田 [2011:248-249]において紹介してある。
  3)私が一番最近(最後)に参加できたのは第15回視覚科学フォーラム研究会で、これはいわゆる学会員資格なしに参加できるミニ学会で、大阪大学基礎工学 部で8月29日と30日の2日間で、ここで紹介された複数の相をほとんどカバーする29件の研究発表があった。
 4)供犠と同じ意味の犠牲は、かつて自然科学の論文の中で実験目的のために動物を殺す方法や犠牲獣を指す言葉としてよく使われた。リンチは言 う「実験室の研究者たちにとって「犠牲(sacrifice)」は学術用語である。実験室での手順を示した手順書の中や実験室の実験技術者(テクニシャ ン)たちの日常語の中で、「犠牲」[という用語]が、事前・最中・事後で剖検体(experimental subjects)として利用される実験動物を殺すための様々な一連の手法のことを意味する」[LYNCH 1988:265]。ただし現在では動物愛護原則や倫理規則などの定着[池田 2011:269]のために登場することが少なくなった。
 5)モースとユベールの供犠も、動物実験も、何らかの目的を持って動物が殺される現象を指すが、前者は供犠という実践行為が聖化という現象を 伴って献供物が破壊されることが特徴である[モースとユベール 1983:16]。しかしながら、後者の動物実験は、定められた実験データを引き出す目的のため動物の生命は犠牲になるが、本文でも解説しているように、 神経の電気的記録が保存されると同時に脳などの標本もまた保存される。それは死をもって生命が破壊されるというよりも、生きている時のデータがそのまま保 存されるという点で実験動物の「個体死」という破壊よりも、生命が延長され宙づりにされているのである。これだけでも両者は根本的に異なる文化的行為と言 わざるを得ない。
  6)パラダイムの変革は政治的「革命」よりも宗教的「大量改宗」の隠喩表現がよく似合う。小文字の革命(scientific revolution)にせよ――大文字(Scientific Revolution)は17世紀のコペルニクスやニュートンらの科学哲学上の変革をさす歴史家H・バターフィールドの用語――クーンはその用語に目的論 を内包する歴史主義を踏襲しているのは明らかだ。
  7)被験体の「視覚認知の覚醒」にまつわる実験者がかかえるジレンマの問題は、池田[2011:265]において詳しく論じている。
  8)動物実験のさまざまな方法に応じて動物が感じる「苦痛」に関する情報は、世界の学術諸団体、とりわけ世界保健機関(WHO)の認証を受けた178カ国 が加盟する世界動物保健機関(World Organization for Animal Health, OIE)などの安楽死に関するガイドラインなどにおいて定義、解説されている。そこでは動物が主体的にどう感じるのかは問題にされず、これらの基準を遵守 すれば苦痛は起こさないことになっている。ここでは「苦悩経験のような痛み」と「外部からの刺激による痛み(=侵襲)」が明確に区分されており、苦痛の除 去はもっぱら後者にのみ焦点化されている。視覚という特殊感覚を確保しながら皮膚感覚・深部感覚・内臓感覚という「体性感覚」において麻酔が効いているか どうかのチェックのために「ピンセットなどで脚を強くつまみ」脳に情報が「入力されているか否か」の手続きは不可欠である[池田 2011:267]。
  9)ここで回復の望みがないから安楽死処置されるという事態が実験者側の都合で恣意的に決まると考えるのは早計である。色素を注入した神経細胞の固定標本 を作製し「生理学的事実」と「解剖学的事実」の照合のための実験的手続きの途上にはじめて安楽死が位置づけられている。脚注5)で表現した「生命が延長さ れ宙づりにされる」とはこのことを指す。
  10)我が国の実験動物研究の権威と言われている私のインフォーマントの1人は「動物碑や慰霊祭は本当に日本独自のものだ」と評する。しかし、その実際の 儀礼の執行は仏式の簡素なものであり、慰霊祭に参加する人の儀礼にかかわる真剣さはあるものの、日本の法事に参加する一般の人達の態度とさほど異なるもの ではない(献体慰霊祭では関係者の参加があるためにその「真剣さ」は格段に上がる)。慰霊碑がある場所もキャンパスが離れているせいもあるが、D教授の研 究室のメンバーには実際に慰霊祭に参加する人は極めて少ない。つまりモノとしての動物の骸(むくろ)は「科学的事実」が解明されるまでは丁寧に冷凍庫で保 管されるのに比して、動物の霊は逆にぞんざいに扱われるようにも思える。
  11)非人称化仮説のアイディアは、旧日本軍の関東軍防疫給水部本部(通称731部隊)でおよそ数百人ほどの中国人を中心とした「敵国の容疑者」を医学の 人体実験に使った際に、そのような被験体を「マルタ」と呼んでいたことに由来する。尊厳をもった人間を事物の次元に還元すれば、研究者の道徳的ジレンマが 回避されるのではないかと考えたからである。だが本文と脚注4)と5)で言及したLYNCH[1988]の犠牲=供犠仮説と同様、非人称化仮説もまた説得 力のないものだと私は現時点では考えている。非人称化仮説へのもうひとつの反論として、神経生理学者の研究室には(このことの予想に反して)実験動物を含 めたさまざまな動物表象の絵画やイラスト[HUBEL and WIESEL 2005]が掲げられ、研究者自身もまたペットを飼い慈しむ人が多いことがあげられる[e.g. 藤田 2011:10]。
 12)他の研究者によって追試されていない「事実」が、論文が受理され公刊された時点で権威になるという「事実概念」の社会構築性が問題なの ではない。事実が確定される時点での「自然主義的言明を論破不能なテクストに変形する制度や高価な装置」[椎野 2007:77]が、N准教授の発話の背後に隠されており、専門家以外には不可視になっていることなのである。
 13)自然科学者たちも法学者と同様に、科学的事実は「発見される」ものであると同時に、さまざまな「傍証データを構成して」造り上げるもの だという合意は、実証主義の系譜を引く人類学者と同様に共有されている。一般向けの講演とは異なり、科学的真理は操作的に構成される学問的議論を共有する 同盟者が、今回の調査において自然科学者にも意外と多かったことに私は驚かされる。
  14)私自身は肘掛け椅子気味の人類学者として彼らの「ジャーナルクラブ」での神経科学の論文の抄読発表も実験動物の世話も、動物実験も[私自身では修士 課程の大学院生時代(1990-1991)の経験を除いて]行なったことはない。21世紀における実験室の民族誌研究にはマリノフスキー的努力は今後ます ます必要になるであろう。内山田[2011:4-6]が2008年のノーベル化学賞受賞者の下村脩の成功と、研究から離脱し受賞当時に「運転手」をしてい た落後者のダグラス・プラッシャーとの対比をアクターネットワーク理論(ANT)で説明しようとする時、現場を見ずに頭の中で理論を立てる肘掛け椅子の人 類学理論が、彼らの日常生活という下部構造を見ずに、パラダイム内でのゲームの成功と失敗という上部構造しか見ていない/見えないことに私は違和感を覚え る。しかし、それは敵意や悪意からではなく、むしろ誰もが陥る「成功神話」の分かり易さ(=自然化)という陥穽としての暗黒面に魅かれないための、他山の 石とするために、まず抱かねばならない違和感である。
  15)たかが赤ワインと侮ることなかれ。私は職場の大学で3年間以上続いた高等霊長類の認知科学の研究グループに属していたことがあるが、指導者の国際的 名声のある先生たちと腹蔵なく会話するためには「旨い蕎麦と赤ワインの銘柄」についての知識が不可欠であった。ピーエル・ブルデュのディスタンクション論 を知ろうが知るまいが、この実践的知識は実験室のフィールドワークには不可欠なものである。


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