看護人類学から人類学的看護へ!講義
Prolegomena to Anthropological Nursing
解説:池田光穂
01.ドーナツと文化:看護人類学から人類学的看護へ(基礎資料集)
10周年を迎えた日本遺伝看護学会・学術大会の今回のテーマは「遺伝看護と文化 :人々のもつ多様な文化を尊重した遺伝看護の探求」である。このテーマを拝見するだけで、たぶん私の専門領域である文化人類学やその下位領域である医療人 類学の同胞の研究者たちは、このテーマにまつわる医療人類学的課題について、軽く数時間は議論ができることだろう。そのことからまず始めてみよう。
メインタイトルの「遺伝看護と文化」では、人間の生物学的遺伝現象にまつわる強度(intensity)と斉一性(uniformity)の見 事な対照性がある。ここで言う強度とは、遺伝子決定論がもつ遺伝子型の選択の余地のない一義的な決定や、選択的中絶のような遺伝学的な出現頻度にも影響を 与える社会文化的介入の度合いの強さである。斉一性とは、遺伝子の驚くべき多様性に比べた時に明らかになる、驚くべき文化現象のシンプルさである。例えば 人類において言語や民族の種類は数千種以上もあると言われているが、チチ・ハハ・オジ・オバ等で呼ばれる親族の範疇、すなわち親族名称のカテゴリー分類 は、(大方の予想を外れて)全世界の民族ではわずか6パターンにすぎない。
サブタイトルの「人々のもつ多様な文化を尊重した遺伝看護の探求」についても見てみよう。生物医療(biomedicine)の治療や看護の これまでの手続きの上に、遺伝看護学という領域が、個人が属する文化的側面にいたるケアに、今後より一層の関心を持とうとすることがわかる。それに対し て、私が属する文化人類学界はいったい、どのような貢献をすることができるだろうか。その問いかけに対するひとつの応答が、この講演における私の課題であ る。
知っていることを腹蔵なく話し、(自分の心意に反する)嘘をついてはならず、不確実なことは言わないのが、科学者の信条である[→エピクロス のいうパレーシアの関係(腹蔵なく話す)]。
古代ギリシャの自然哲学者のエピクロスは、真実が語ら れるときには「俗見にしたがう」のではなく、自分の信じることをあ たかも「神託」のごとく告げなさいと次のような格言を残している。
「俗見にしたがって、多くの人からやたらにふりかかる賞賛を かちうるよりも、むしろこのわたしは、自然の研究にたずさわっ て、たとえ誰ひとり理解してくれなくても、すべての人間にとって役立つことどもを、腹蔵なく語り、神託のように告げることを 選ぶ。」[フーコー 2004: 283]
→パレーシアに関するミッシェル・フーコーの議論(Discourse and Truth: The
Problematization of Parrhesia, six lectures given by Michel Foucault at
Berkeley, Oct-Nov. 1983)
しかしながら、社会学者の扱う「社会」、心理学者の扱う「心理」と同様、あるいはそれ以上に、文化人類学者の扱う「文化」は、日々それを飯の種 にしているのにも関わらず、知らないことだらけというのが私の偽らざるところである。そのような自らの無知を自覚しながら、遺伝看護の専門家たちに何が 「文化」であるかを、私が科学者のように振る舞って説明することは私にはできない。そのため、私はこの基調講演において「文化の概念に感受性が豊かになれ ば」看護実践がうまくいくという不確実な一般化あるいは約束はおこなわないつもりである。むしろ「看護者が考える文化」と「一般の人たちが考える文化」 が、どのように違っているのかについて考えたい。そして、この分析をおこなう文化人類学が、どうしてそのような発想に到ったのかについて指摘することがで きれば幸いである。
私はドーナツが好きなので、まずそれを例に取ろう。チョコ・スプレーというドーナツを思い起こしてほしい。ドーナツの表面にチョコを掛けて、 それが固まるまでに色とりどりの細いチョコをまぶしたものが、チョコ・スプレーである。そしてチョコ・スプレーは私の考える文化の全体像のことである。掛 けられたものとそれにまぶされている2種類のチョコは、一方は褐色で他方は細やかな色鮮やかさを持ちコントラストが綺麗だ。しかしチョコ・スプレーの味を 根本的に決めるのは、文化というドーナツの本体の生地の固さ/柔らかさであり、それがチョコレートとの調和を決定づけるのである。ドーナツ店や揚げ職人と いう本体部分が変わると、同じ材質でできた共通の材料であるチョコ・スプレーの味が変わる。あるいは色とりどりのスプレーされるチョコの微妙なコンビネー ションはドーナツ本体の生地の食感に大きく影響を受けるのである。文化人類学者は、このドーナツの本体部分を調べあげる職人であって、チョコ・スプレーの 装飾の部分の分析は他の分野の専門家に任すべきだと、私は考えている。
写真:チョコ・スプレーとその素材
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