医療の実践遂行能力を〈医療者に内在する能力〉信仰から解放する
Prolegomena to Anthropological Nursing
解説:池田光穂
医療の実践遂行能力を〈医療者に内在する能力〉信仰から解放する:看護人類学から人類学的看護へ(基礎資料集)04
遺伝看護学も、人間の病気と健康を研究対象にする文化人類学(=医療人類学)も、ひろく現代医療とその諸研究に深く関係を持つものである。し たがって、現代医療がもつ志向性についてここで整理しておこう。
現代医療の諸研究が探究しているものは、おおきく次の5つに大分類できるのではないだろうか。すなわち(1)人間の生物学的要因、(2)人間 の進化学的要因、(3)生活の社会学的要因、(4)病原の生態学的要因、(5)人間行動の社会的変化、である。そのなかでも最もバランスのとれた医療の研 究は、人間の存在を「生物・心理・社会性」(Bio-Psycho-Sociality)として統合的に見ようとする立場である——この理念はどんな医学 関係の授業でもリップサービスのように語られるが、それを実際の研究に援用する人は驚くほど少ない。人間の身体の成り立ちは、生物(医学)・心理・社会的 な要素がそれぞれ分離しているのではなく、相互に作用し、かつ総合的な性質をもつとみるのである。したがって、人間の不調や病気は、生物・心理・社会の複 合的な問題からなり、それぞれの側面における対処を試みるだけでなく総合的に人間をみる必要がある。
生物心理社会モデル(biopsychosocial model)は、ジョージ・エンゲル(George Engel, M.D.
,1913–1999)が1977年に論文:The Need for a New Medical Model: A Challenge for
Biomedicine, Science, New Series, Vol. 196, No. 4286 (Apr. 8, 1977),
129-136.
で提唱したモデルで、生物医学(Biomedicine)モデルになり代わる、新しい医学観の提唱である。ただし、上述の文献では、生物医学モデルの批判
が中心となり、全体論的(holistic)ないしは一般システム論(general system theory, L. von
Bertalanffy, Problems of Life (Wiley, New York, 1952); General Systems
Theory(Braziller, New York,
1968).)を含意するものに留まっている。当該の論文の最後は、以下のような文章で締めくくられている。
The proposed biopsychosocial model provides a blueprint for research, a
framework for teaching, and a design for action in the real world of
health care. Whether it is useful or not remains to be seen. But the
answer will not be forthcoming if conditions are not provided to do so.
In a free society, outcome will depend upon those who have the courage
to try new paths and the wisdom to provide the necessary support (Engel
1977:135).
私の専門である医療人類学は、あるいは医療人類学者としての私は、このような生物・心理・社会性の人間観をもって、医療的現象における文化の 影響や相互作用について考察している。私たちのこの分野において、文化の具体的な諸相をみるのは、医療人類学を包摂するより上位の文化人類学という学問が 取り扱う文化とほぼ共通の認識の見方である。私たちがコンセンサスを得ている(それはある意味でこの分野の人たちに「すでに判っている」という感情を喚起 する)ものを以下の8項目で述べてみよう。
1.文化(culture):文化とは、人間が後天的に学ぶことができ、集団が創造し継承している認識と実践のゆるやかな「体
系」ないしは、そう理解できる概念上の構築物のこと。
人間の社会的活動、およびその産物とされている。
2.レンズ・眼鏡(lens):人間は素直に(=普遍的に)身の回りの社会の出来事を受け入れることができない。人間が世界をみ るのは、ある種の眼鏡のようなもので、それは文化によって異なる。人はレンズを外して事物を素直に(つまりありのままに)みることができないが、多種のレ ンズを通してみること(=異文化比較)で、相対的な見方をとることができ、偏りを軽減することができる。 3.文化的多様化(cultural diversity):世界の文化は、どこをとっても唯一のひとつの形をとるものではなく、多種多様な文化がある。その文化のレンズ(=眼鏡)のひとつを 「言語」にたとえると、世界には数千の言語、すなわち文化の種類があると考えられる。 4.文化的多元主義(multiculturalism):多様な文化のそれぞれには、極端な優劣をつけることができない。この 見解を、文化相対主義(cultural relativism)という。多種多様な文化は、競うことなく共存すべきだという考え方を文化的多元主義あるいは文化多元論という。そして自分の文化が 一番すぐれているという偏見を自文化中心主義(ethnocentrism)という。これは文化相対主義とは、基本的に相いれないものとされている。ただ し自文化中心主義は、自文化への尊敬やプライドとは異なる。 5.コンテクスト・文脈(context, cultural context):言語活動が可能になる社会的空間のことをコンテクストあるいは文脈と呼ぶ。多くの言語活動は、〈発話の文脈〉に大きく依存するために、 発話者も聴取者も、この文脈に関する情報収集は不可欠である。 6.文化的感受性(cultural sensitivity):看護者の仕事において重要なことは、患者の文化的背景、知識水準や意図を事前に十分に把握し、状況に応じて反応の観察や対話を 通して、適切な看護を柔軟におこなうことにある。 7.素人の文化的一般化(lay cultural generalization):発話者が育ち現在生活している文化的背景をもとに「その人の行動をその人が属する文化に基づいて一般化すること」。例え ば「日本人だから寿司が好きだろう。韓国人だから焼肉が好きだろう」(これは日本人の文化的一般化の例)」という見解が、文化的一般化の例である。文化的 一般化は、その人の発話の中身を推論するための重要な参考資料になるが、逆に、その情報に縛られるとそのレンズから自由にならず、意味把握に失敗すること もある。 8.文化的ステレオタイプ(cultural stereotype):文化的一般化のうち、文化の様式を固定的に決めつけることを「文化的ステレオタイプ」と呼ぶ。文化的ステレオタイプは、自文化中 心主義から生まれることが多く、また、異文化・異民族への差別の偏見の原因になるものもある。ただし、どのような社会や集団においても、自分たち以外の人 たちをステレオタイプで観る思考パターンがみられ、また「さまざまな事件」を通して新しく生まれることがあるために、完全に廃絶することは困難である。専 門家においてもしばしば、このステレオタイプという罠に陥りやすい。 |
19世紀のプロイセン王国の細胞病理学者ルドルフ・ウィルヒョウ(Rudolf Virchow, 1821-1902)は、医療とは徹頭徹尾、社会科学であるという有名な言葉を残している。言うまでもなく医療制度は、社会制度である。社会制度では個人 と社会の価値概念を考えることは極めて重要である。だから医療のアカデミックな活動の細部においても、さまざまな価値判断が求められるのは言うまでもな い。遺伝看護学においても、それは例外でないことは、私よりも当事者である聴衆の皆さんが十分に了解されていることがらである。
つまり、社会的価値概念にもとづく判断が徹頭徹尾つきまとうわけだから、医療実践は臨床実践であると同時に社会実践でもある。社会制度医療の 実践にはリソース(知識・技能・場所)が不可欠である。どんな専門家も一人では治療できない。当人の体に身体化されているにせよ、されていないにせよ、 (1)医療実践に不可欠な個人に内在する「技術的資源」、(2)病院や診断機器や手術室のような「物理的資源」、そして(3)複数の人間が関わり分業する ことで大きな効率性を発揮する「人的資源」の、これらのうちどれが欠けても現代医療は円滑には進まない。そして、これが私にとっては最重要なのだが、医療 の実践には病人(患者)が不可欠である。もし病人(もちろん遺伝病の保因者も含まれる)がこの世からいなくなれば、看護者も含めて医療者も失業してしま う。
しかしながら、私たちの身の回りをみると、医療者が内在すべき〈治癒の力〉への信仰は抜き難く存在し、医療の能力はその社会制度の能力に大き く依存しているとは考えず、治療者の力量で測定評価できると誤解する人があまりにも多い。私はその認識論的マイノリティだが、私の立論は正しいと思う。そ の意味で、看護者の能力をエキスパート[達人]という内面性=気づきに由来するエクセレントな権能として理想化するパトリシア・ベナーも同じ類いの間違い を犯しているように思われる 。
→ ベナー、パトリシア『ベナー看護論』井部俊子監訳、医学書院、2005年
この章のタイトルと趣旨は、医療の実践遂行能力を〈医療者に内在する能力〉信仰から解放するということであった。それがなぜ先のような枠で囲 んだ文化の概念と関係するのか。それは、ひとつには(1)医療者を文化の社会的位相のもとにおいてみることの具体的意義について考えを促したいこと、そし て(2)文化もまた社会実践の意義を持ちうるわけであるから、それ自体も医療者の実践遂行能力の資源のひとつになりうる可能性を示唆したかった、ためであ る。
写真:チョコ・スプレーとその素材
クレジット:看護人類学から人類学的看護へ!講義
(Prolegomena to Anthropological
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