DRPLAをめぐる当事者たちの思考と行動
Prolegomena to Anthropological Nursing
解説:池田光穂
DRPLAをめぐる当事者たちの思考と行動:看護人類学から人類学的看護へ(基礎資料集)06-03
下記は、(1)玉井真理子「難治性神経疾患の発症前遺伝子診断と遺伝カウンセリング」『生命倫理』第10巻1号、Pp.20-27、2000 年、および(2)同じ著者による『遺伝医療とこころのケア:臨床心理士として』日本放送出版協会、2006年の第5章「知らないでいる不安」と「知ってし まう恐怖」:神経難病の発症前遺伝子診断をめぐって(同書、Pp.148-179)で取り上げられた、歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症(Dentato- Rubro-Pallido-Luysian-Atrophy, DRPLA)の家族における遺伝子診断と事例紹介を私自身が読んで、それを二次資料として文化人類学的に考えるために整理した私の図式理解に関するメモと その紹介である。
最初に玉井(2000, 2006)の2つの文献を比較すると、出版年が後年の書籍のものは分量的に増補されており、かつ一般向けの書物の一章になっているため前者に比べてとても 読みやすいものとなっている。また著者による、この難治性の疾患の保因者とその関係者に取り組む、複雑な感情の機微が描かれた記述があり、前者にくらべて 興味深いものになっている。登場人物のうち[遺伝子診断を受けた経緯について話す]当事者である兄とその未受診の[やがて陽性とわかる]弟には、読者への 分かりやすさも配慮されたのか——この疾患の家族歴とその診断プロセスに関わる関係者は多く非常に複雑である——2人には仮名で名前が付される改善がおこ なわれていることなどが後者の特徴である。他方、約90分実施された、当事者である「兄」とその妻に対しておこなわれたインタビューの要録のうち質問 (A)と応答(Q)が前者には(本人への診断結果の通知に関する短いコメントを含めて)8項目あるが、それが後者には7項目しかない。
ここでは、前者の学会誌に掲載されたインタビューの要録を抽出し、(1)の論文の著者で臨床心理士である玉井が生命倫理の学会誌に寄稿した分 析と、文化人類学を専攻する私が、その資料をどのように読むかについて披瀝し、2つの考察の論点にどのような違いがあるのかについて検討してみたい。なお 資料のうち筆者が作成した資料の年齢は(2)の資料の方に準拠し、要録には適宜記号などを補っており、原文とは若干の異同がある。
【原文は、著作権の関係でここでは引用しません。原著にあたってください】
このことに関して著者は短い考察をおこなっている(玉井 2000:25-26)。それを私がさらに要約したものが以下である。
■ 臨床心理学の立場からの分析(要約)
1.家系内での情報伝達の不正確さの問題
著者の危惧は次のように表現されている。「おば」が情報伝達のコーディネーター的役割を結果的には果たしたが、「必ずしも適切とは言えな い情報をランダムに取り込んでしまうことは、十分にあり得」え「本来の意思決定がゆがめられる可能性(たとえば病気が必ず子どもに伝わると誤解して妊娠・ 出産をあきらめてしまうなど)を考えるとき、疾患についての詳しい説明をせずに患者家族を放置しておくことはきわめてリスクが高い」としている。そして、 情報伝達を正確なかたちで、専門家がこの状況を保全するのは「家系内のat- risk 者を守ること」に繋がるとしている(玉井 2000:25)。
2.専門家による情報提供とカウンセリングのカップリングの重要性
著者は考察をして「発症前遺伝子診断についての情報提供と遺伝カウンセリングの窓口の紹介」が同時になされるべきだったと考えている。上 の1.の、おばが提供する情報の内容に関して危惧すると同時に、発症前遺伝子診断と遺伝カウンセリングはカップリングして使うべきだと提唱している(玉井 2000:25-26)。しかしここでも危惧されるのは、専門家ではない、素人の介入が問題であると認識されている。このような不確定な要因がなぜ問題な のか、玉井によれば、それは当事者たちを「わからないままでいる不安」と「わかってしまう恐怖」とのせめぎ合いに追い込むことの原因になるからであると考 えている。
■ 文化人類学からの分析(私の立場)
それらに対して文化人類学者は、発症前遺伝子診断という未来予測のシ ステムが、当事者ならびにその家族(妻)さらには親族を巻き込んで展 開するさまに興味と関心をもつ。本文中で述べたように文化人類学者は臨床心理士に比べるとより中立的な立場を取ろうとし、その認識論は文化 相対主義である。その 場合、会話上で得られた当事者の判断や規範についておよそ次のような峻別をつける。当事者の「その状況におかれたら〜すべきだ」という価値判断や規範概念 の説明と、当事者が「〜した。私だったら〜する」という自己の態度の決定やそうするだろうという言明の明確な区分である。そのようにしてから、人類学者は データの分析にとりかかるのである。そこには、当事者とその家族のみならず、この病気とその発症前診断に関わるすべての人間について、人類学者の対称に対 する価値判断をなるべく控えて、文化人類学の興味の焦点を拡大し、全体論的に状況を読み込もうとする人類学者の傾向がみられることだろう。
1.当事者たちの「語り」全体がもつ性質というものがある。
このデータは、当事者が医療関係者よりも利害関係から距離をおいた臨床心理士(インタビュアー)に語った「語り」である。どのような語り でも過去の経験を話す時には、仮に現在の所感について話す際にも、当事者が経験したことは(程度の差はあれ)なんらかの形で時間的あるいは論理的秩序を整 理した上で語ることになる。その語りは、インタビュアーの質問に促されて自然に発話されているが、そこには(a)質問に対応して答えている 部分と(b)そ れに触発されて状況を説明するような部分の、2つが認められる。
2.質問の内容から、質問者が求めている情報の趣旨が読み取れる。
論文の筆者によって「半構成法」と記されているように、質問には事前に用意された質問項目の論理的カテゴリーを読み取ることができる。そ れは大きくわけて、病名やその病気に関する情報についての内容(Q1,Q2)や情報の取得方法について(Q3);遺伝子診断の受診動機(Q4);関与する 人々(Q5);発症前に自分の未来を知ることのジレンマについて(Q6);検査の前後での気持ちの変化(Q7);そして受診した遺伝子診療部への対応につ いて(Q8)、である。このような一連の質問から、インタビューは、病気と遺伝子診断に関する基本的な情報をもとに、どのような動機で受診しようと考え、 得られた情報がもたらす心理的変化や葛藤を聞き出そうとしていることがわかる。
3.返答者の発話の中には〈不安の慣用句〉がみられる。
このうち、インタビュイーたちの返答の比重が高いのは、発症前に自分の未来を知ることのジレンマについて(Q6)、病気に関する情報の取 得方法について(Q3)、および遺伝子診断の受診動機(Q4)である。それらには「知ってしまったらショック」「恐ろしい病気」「怖い」「病気を子供に伝 えるわけにはいかない」「あきらめよう」「かわいそう」「知らないまでいたときの状態にはもどれない」「悪い結果」など、病気や不幸にまつわる出来事や経 験への言及において、自他の感情経験を端的な表現(=トークン)として用いる〈不安の慣用句〉(idiom of anxiety)という使用法がみられる。
4.親族内の「不正確な情報伝達」は専門家による「正確なそれ」に完全に置き換えられるか?
医療人類学や医療民族誌が教える著名なテーゼとして、人の病気のいちばん最初の発見と対処行動の現場の多くは家庭環境にあるというものが ある。多くの場合の病気は、まず家庭の中で発見されて、それまでの家族や親族内の経験にもとづき処方される。それが失敗した場合や、あるいは経験がない場 合は、近代医療やシャーマンや薬草師などの非伝統的医療などの家庭外の医療資源への探索行動がはじまる、と言われている。それが遺伝病の発症前の話になる と、やはりその概念と治療方法などの知識を給備する近代医療への比重が高くなる。発症前診断のように、検査そのものが予言行為や一種の科学的未来予測 (scientific fortune telling)になるわけだ。しかしながら、既往歴や既検査済の事例が親族内にある場合、医療機関への相談の前に経験者や関係者による「当事者」(その 時点では潜在的で「未来の〜」という形容詞がつく)への説明が起こることは避けられない。このケースにおいても、さまざまな予断や不正確な情報も含まれる が、関係者の検査やカウンセリング以前の(民間)事前介入という事態は避けられなかっただろう。大切なことは、これらの個別のケースについて、偏見のない 正しい情報が保全され、不正確な情報はなるべく「その発生現場で in situ」修正される必要があるように、親族内の情報流通を何らかのかたちで制御するような必要性がある。私はこの事例における聞き取りのデータからいわ ゆる「○と△でつくる」親族系譜図の簡潔なものを作ってみた。これは人類学者が使う伝統的な社会での調査には不可欠な手法で、人類学の学部レベルで教育さ れ、かつ門外漢にも簡単な練習ですぐに描けるものである。
ちなみに、この種の家系図(リー・ジェンキンス・フランコマーノ『遺伝看護の実践』p.77、日 本看護協会出版会、2001年より再掲)の作成は、遺伝カウンセリングのインテイク(最初の受け入れ)で行われる作業である。しかしながら、このカウンセ リングで作成する家系図は、あくまでも遺伝的背景をあぶり出し、潜在的なクライアントの範囲を抑えておく「医学的」あるいは「看護学的」手続きであり、人 類学者が考えるように家族内で誰が誰に対してどのように振るまい、またどのように動いたのかについての「民族誌的語り(ethnographic narrative)」を理解するための認識論的手引き図(epistemological chart)ではない。看護者と人類学者は、同じような図を作成しながらも、それをもとに理解するときに、両者はまったく異なった考えをしていることを、 ここで強調しておきたい。
いずれにせよ、このような図を作成することで、この図のなかのそれぞれの行為者の位置づけと発言内容な、それに対する関わりの構図を再検 討することに役立つはずだ。つまりこのような図式化は(きちんとした匿名性の確保をおこなえば)教育の現場でも使える教材になる。医療の専門職の学部高学 年生や大学院修士の学生なら、ロールプレイングや、実際にこのプロットでシナリオをつくって脚本レベルで、当事者の気持ちを仮想体験する授業も構成出来 る。
■クレジット:池田光穂「看護人類学から人類学的看護へ!講義:Prolegomena to Anthropological
Nursing」DRPLAをめぐる当事者たちの思考と行動:看護人類学から人類学的看護へ(基礎資料集)06-03
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