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グアテマラ・マヤ系先住民の文化と自治
Search for democracy among the Indigenous People of the western highland Guatemala
池田光穂

1.はじめに

この発表は、昨年の上智大学における研究発表「地方分権における先住民コミュニティの自治:グアテマラ西部高地における事例の考察」(『ラテンアメリカ 研究年報』No.32, Pp.1-31.)の続編である。

グアテマラ西部のシェラマドレ山脈に位置する標高約2300メートルの小さな町で、この数年間調査を続けている。今般の調査では、短い間であったが町の 住民に対して「民主主義とは何ですか?」「良い民主主義とはどんな政治的状態なのですか?」ということを倦む事なく聞いてきた。その中で、もっとも印象深 かったのは、雑貨屋の店頭で清涼飲料水を奢ってもらいながら話を聞いた村からきた中年男性の次のような言葉だった。「グアテマラの民主主義は、民主主義 じゃない」。まさに撞着語法的な謂いである。それは、ある意味で床屋政談のような投げやりな放言に聞こえる。しかし、それを他ならぬグアテマラ人ではない 日本人にわざわざ語ってくれたわけだから、私としてはさらなる問いかけだと思わざるを得なかった。そして彼に「では本物の民主主義とはどんなことを意味す るのですか?」と問わざるをえなかった。政治の理念とは、つねに具体的な事象に即して考えなければならないと私は考えるからである。

私の『ラテンアメリカ研究年報』に寄稿した論文における議論のポイントのうち、この発表に関連するのは、次の[冒頭の]3項目にまとめることができる。

(1)グアテマラにおける地方分権化 (decentralizacion)に関する理念と法整備は、内戦終結の1996年末よりもはるか以前より存在していた。しかし、地方分権の制度を住民 たち自身が活用できるようになる機運が生まれたのは2002年に制定された「地方分権基本法(Ley General de Decentralizacion)」(政令14-2002)以降である。

(2)地方分権が必要であるという政治的正当化の論理は、透明で不正のない選挙制度の確立と相まって、一般的にはリベラル派のポリシーと思われることが多 いが、彼らに評判の悪いネオリベラル原理を体現した「第二ワシントンコンセンサス」が提案する政策パッケージのなかにも、この政策テーマを見つけることが できる。

(3)グアテマラ西部のサンマルコス県の先住民コミュニティで報告された対立構図。すなわち前・町長の守旧派と地元協議会派(COCODE)の対立は、言 わば、地方分権化あるいは「足元からの民主主義」状況下のヘゲモニーをめぐる対立抗争であったと解釈することができる。そして守旧派の特徴は伝統的なネポ ティズム とクライアンティズム を主たる手法としている。他方、ネポティズムとクライアンティズムにもとづく政治的資源を持たない、町の地元協議会派は「コミュニティの人々ため」には、 町内の共有地や共有財産を私人や外部のエージェントに安易に「売り渡してはならない」という言説実践を通して、町内における彼らの存在感を誇示し、一定の 支持層を得ていた。

本発表では、2011年9月に第1回目の大統領選挙と同時に行われた町長選挙 での紛争事例を取り上げ、首謀者が特定しにくい暴力的事件の「理解」について考察する。

2.町長および町長派による〈マム反逆派〉に対する解釈(省略)

3.自動車への放火事件

2011年9月の町長選挙時における前・町長派(UNE)とおぼしき男性とその家族に降りかかった暴力(自動車への放火)および、彼に対するリンチ未遂 事件は、町民全体を巻き込んだいわゆる「政治的紛争」と言えるものではない。むしろ首謀者を特定しにくい破壊工作あるいはテロ事件である。この事件の「被 害者」の男性をここで、仮にドン・フェルナンデス(63歳)と呼んでおこう。

ドンは、カソリック教会に長く関わり、この町でアクション・カトリカの刷新運動にかかわったS神父の在任中(1969-2003年)のかつての運転手 だった(池田 2012:7)。ただしドンは、この町の出身ではなくサンペドロ・サカテペケス 出身である。彼は青年期に教会での活動を通してこの町にやって来きて、ほどなくしてここに定住することになった。彼の年長の息子カスティージョ(仮名)は 頭もよく、父は神学校に進ませることに決めた。やがて息子は神父に叙階され、同じサンマルコス県の別のコミュニティの教会に赴任していた。

町長選と国政選挙の前日の9月10日、カスティージョ神父は、教会のピカピカの新車トヨタ・ハイラックスに乗り故郷にもどった。この町に住む別の神父 は、この自動車のことを指して次のように言った:「町の人たちの中には、綺麗な新車に神父が乗っていることが、外国の鉱山会社からの贈り物ではないかと疑 心暗鬼で噂する者もいた」と。さて、カスティージョ神父は、実家であるドンの家に、弟の車と並んで縦列駐車をして、家に入った。そして実家の家族と団欒 し、夜の11時には全員が床についたという。

異変があったのは夜中の12時半ごろである。ドンの携帯電話に突然の着信があった。通話はすぐに切れたので、送信先に電話したところ、教会の信徒であっ た電話の主は「兄弟(hermano!)、すぐ家の外に出たまえ、君の自動車が炎上しているぞっ!」と叫んでいた。家の外に飛び出てみたら、ピカピカのハ イラックスは(窓を割られたのか)そのシートを中心に内部が燃え上がっていたという。2人の息子も動員して、家族全員で、服をつかったり、水をかけたりし てようやく鎮火した。ドンの家のはすかいに、野次馬とおぼしき愛国党(PP)の支持者たち――これはドンによる説明である――が多数いた。しかし彼らは誰 も燃えている自動車への消火活動を助けようとせず、この模様を眺めていたのだとドンは述懐する。その場に居合わせた先の電話の通報者はドンに対して「もし (彼が)連絡しなかったら、灰になっていたぞ」と忠告した。このようなことが起き、家族は、もう眠ることができなくなり、ほどなくして朝を迎えた、とい う。気がついたら2011年9月11日選挙投票日の午前4時になったという。以上がドン自身による述懐である。

しかしながら、この投票日前日の事件について、ドンが私に語らなかったことが1つある。それは(先の論文での表現だと)〈マム反逆派〉のリーダーで VIVA(Vision con Valores)党の候補者カルロスがこの騒ぎに巻き込まれ、真夜中にドンが直接カルロスの家に出かけて、火付けの嫌疑をかけて彼に激高したということで ある。ここでは被害者になったカルロスの説明によると、この件で、無実の彼の選挙参謀2名が、この自動車への放火の嫌疑により身柄を拘束されたという。カ ルロスが語るには、10日の夜、彼は選挙参謀2名と夜の10時半すぎまで町内の友人の家で対策を練っていた。彼はそれが済みようやく家に帰り、就寝した後 に、夜中の2時頃になり、家の戸を叩きまくり、またベルを押しまくり、騒音を立てている男――フェルナンデスその人――が現れたのである。カルロスの両親 を含めて家族全員が、不安になった。彼の妻が戸の小窓を開けて確認したところ、ドンが、怒って立ち「お前らの党の連中が儂の息子の車に火をつけたのだろ う。カルロスが車を燃やした!」と玄関の戸の前で叫んでいる。ドンの激高の理由を聞いたカルロスはようやく玄関に出て、ドン・フェルナンデスに対して、ま ず冷静になってくれと頼み、そのような嫌疑は根も葉もない誤解で、カルロス自身には何も分からないことを説明した。ちょうどその頃(夜中の2時ごろ)国家 市民警察(PNC)の警官たちは、ドンたちの申し出により、カルロスの選挙参謀で夜中にバイクに乗っていた小学校教師の2人の仲間を、ドン・フェルナンデ ス宅前の神父の自動車への放火の嫌疑で、身柄を拘束していた。カルロスによると、町長選の候補者たちは、選挙キャンペーンの期間中は、さまざまな刑事訴追 の嫌疑にかけられることから免責される。それゆえに、候補者であるカルロスには写真付きの身分証明書が発行されていたために、警察に拘束されることはな かったという。カスティージョ神父の無残に内装が焼かれた件の自動車(ハイラックス)は警官による検分の後に、教会の敷地に移動されたという。

4.ドン・フェルナンデスへのリンチ未遂事件

明けて2011年9月11日、選挙投票当日の朝、昨夜の事件でほとんど眠れなかったドンは、自分に与えられた選挙管理員の仕事で、彼の所轄になっている 近隣の村に出かけた。選挙の運営と監視は、町が任命した選挙管理委員のほかに、不正の防止を兼ねて候補者のいる各政党から監視監査委員(fiscal)を 出すことになり共同で運営することになっていた。この村の投票場に姿を現したドンの姿を見つけた愛国党(PP)の委員が、彼に詰め寄り、4年前のスキャン ダルを彷彿させつつ、最後には激高しドンに向かって「こいつは、エリアス(前・町長)に印をつけた投票用紙をもって、ここにやってきたぞっ!」と威嚇し た。まわりにいた人たちの中には、この男の挑発に呼応する者がいて、ドンの周りにはやがて黒山の人だかりができた。そしてドンが気づいた時には、彼は自分 の胸ぐらがその男性に捕まれていたという。この一触即発な情況について住民から通報を受けた国家市民警察(PNC)の警官たちが、そこに派遣された。警官 たちは住民たちを説得し、ドンはやがて人だかりから解放され、自分の住んでいる町に護送された。そして、ドンに対して自宅で待機していることを警官たちは 「助言」した。ドンは、前夜の自動車放火事件のことを含めて怖くなり、その日は自宅からは一歩も出なかったという。教会関係者の話によると、前夜に燃えた カスティージョ神父の車に、ドンが細工をした投票用紙が隠されているはずだという住民――はたしてそれは愛国党の支持者なのか――の申し出により、教会に 保管されていた燃えた車のなかを町の神父がわざわざ検分するという事態も引き起こされた。

群集の中で1人だけになり孤立して糾弾されること。そして、前夜の自動車の放火で使われた灯油あるいはガソリン。この2つのことだけでも、先住民の誰し もが、容易にあり得べき最悪の事態を想像することができる。すなわち村人によるリンチ事件の危険性があったということだ。リンチは和平合意後のグアテマラ においてしばしば起こってきた陰惨な出来事である。国家市民警察(PNC)が取り締まり拘束しても、その後に、簡単に被疑者を釈放する警察に対して住民は 不審感や憎悪の念をもつ。こそ泥や誘拐、あるいは恐喝や脅迫などがその容疑となった被疑者が収監されているPNCの駐在所の前に三々五々集まり、大きく膨 れ上がった群集は、棒切れやマチェーテ(山刀)などを持ち、次第に警察に声を上げて抗議するようになる。そうして最後には、警官たちに容疑者を引き渡すこ とを強要することがある。不幸なことに身の危険を感じた警察官たちは自分たちに攻撃が及ばないことを含めて、しばしばそのまま容疑者を解放する。言うまで もなく、それは容疑者を群集に「渡す」ことになるわけで、群集は容疑者を捕縛し、糾弾が始まる。最後には、集団でリンチにかけ、しばしば倒れている瀕死の 容疑者に石油類をかけて燃やしてしまうことが、グアテマラ全土でこれまでに何度も起きてきた。この町でも10年以上前にこそ泥の嫌疑をかけられた住民に対 して、リンチ事件が発生していた。

いずれにせよ、このドン・フェルナンデスに対するリンチ未遂事件以降、UNE党の候補者で前・町長であったエリアスは、第三位で落選した後、その数ヶ月 後もたたないうちに、この町の住民から「彼は逃げた」「シェーラ(ケツァルテナンゴ)で仕事している」「この町にはいないよ」と噂されるまでに、ひっそり と身を隠して生活していた。エリアスの行状の変貌の理由が、このリンチ未遂事件によるものか否かは定かではない。しかし、その時期以降この町でUNE党派 であることに強く失望感を抱くようになった住民は多い。

今回の町長選では第1位(約4千票で、第2位とは約千五百票差)で圧倒的な強さで当選した愛国党の支持者においてもなお、かつての怨嗟の記憶を甦らせた と思われる、ドン・フェルナンデスが関与した4年前の選挙スキャンダルとは何であろうか? 前回の報告(池田 2012:9-10)における水源地をめぐる紛争が起こるおよそ1年前の2007年9月の町長選挙の時に、ドンは今般の事件が起こったのとは反対方向の山 側に位置する別の投票場の管理責任者に任命されていた。しかしながら、開票終了直後に、この投票場から開票本部に送付されなかった投票用紙の束が発見され たのである。この時の選挙では、前・町長のUNE党のエリアスが当選したのだが、第二位となった愛国党(PP)の町長候補者――彼は現・町長であり商店主 のラサロと名付けておこう――とその支持者たちは納得せず、その有効票化をめぐって県の選挙管理裁判所まで上訴する事態にまで至った。開票直後の混乱のな かで、町の選挙管理委員会では喧々諤々の議論がおこなわれた。最終的に無効票に扱われた投票用紙であるが、この票の「すべて」がラサロに投票されたものだ という爆弾発言をもって、委員会の席上で「告発」したのが、当時の愛国党の支持者で、その村に勤めていたある小学校教師だった。

彼は、ドンと共にこの投票場の選挙管理委員でもあった。この教師は、後に〈マム反逆派〉のリーダーになる男性の友人であった。そして、教員組織による民 族舞踊団の踊り手であり、カルロスが教員組織の代表者になった際に、教員の民族舞踊団の責任者を辞任することになるのだが、カルロスの後をついで舞踊団の 責任者になったのが、この小学校教師だった。ドン・フェルナンデスは、投票場の無効票を見逃してしまった現場の当の責任者であった。しかし、彼が選挙管理 委員会で糾弾を受けた時に、自らに降り掛かる攻撃の矛先を、やはり現場で業務についていたもっと年の若いある女性教員に押し付け、自らの責任を転嫁したと 言われている。その4年後にドンへのリンチ未遂事件で、愛国党の選挙監視員から告発された投票場のある場所というのが、この女性教員が勤めていた小学校が あった村だったのだ。女性教員は、さる東アジアの国にもグアテマラの文部省から研修のために派遣された経験がある。それゆえ、教員の間では、非常に優秀で 野心的な教員という評判が立っていたため、当時、ドンが責任を彼女に転嫁したことは、逆に周囲の人たちのドンに対する信頼が大幅に失墜することになった。 彼女は2012年からは町の中学校の校長に任命されるという出世をすることになる。

ドンにとっても、またドンに批判された有能な女性教員にとっても、あるいは住民全体に対しても不幸だったことは、選挙や町政に関わる重大問題が起きた後 に、その公正な調査と審理が行われず、その科[とが]について処罰がなされなかったことにある。そのため、疑念が持たれた人に対する審査や、本当に科のあ る人に対して無処罰(impunidad)のままで放置されることが、住民のその人に対する潜在的な憎悪を増殖させてしまう原因になる。そして問題が起き た時に、犠牲の山羊に対するが如く、苛烈な暴力がむき出しになり、かつその疑念を持たれた人に向けられるのである。時には憎悪だけが独り歩きして、無関係 で無垢な人さえも巻き添えにすることさえある。このような事態が一度発生すると、小さな暴力はエスカレートし、人々を冷静にすることができなくなり、もは や途中で中断することが困難になる。

5.まとめ:プリズムとしての地方自治

誠にこれだけの報告を聞けば、日本の同胞は、グアテマラの先住民社会は不正義と住民の疑心暗鬼が跋扈する、極めて恐ろしい場所であるかのような心証を抱 かれるかもしれない。そして、住民自身がもつべき公正たる自治能力を、はたして近未来の彼らが「獲得する」あるいは「獲得できるだろうか」と疑念を持ち、 彼らの財政や権力の管理能力をもっと強化するように外部からの「介入」が必要なのではないか、とも言いたくなる。「人間の安全保障」という面が当地ではま だまだ不十分だと判断してしまうのである。はたして、ここに見られるのは、先進国をモデルにする、安定した「市民政治体(civic polity)」と対照化される「頽廃した政治体(corrupt polity)」の具体的でリアルなグアテマラの実態なのであろうか。

この2つの事件やその後の意外な出来事に関する[当事者以外の市井の]人々の解釈を聞くと、この町の人々も、またここで調査する人類学者(=私)と同 様、これまで起きてきた「諸事件」をさまざまな角度から理解しようとしていることが分かった。例えば、カスティージョ神父のピカピカの自動車が放火された ことについては、人々は次のように言う:「自動車はもともと教区の貧しい人たちの教会への喜捨(limosna)で購入されたのだから[私用で使われた] 自動車が燃やされる神罰を受けるのは当然だ」。つまり、火がつけられた直接原因は個人間の怨恨に端を発する党派間の抗争のせいかもしれないが、その根本原 因はもっと大きなレベルでの意味、つまり超自然的だがより大きな道徳的な意義(=貧民の上にあぐらをかくことに対する、神様による処罰)があることを人は 忘れてはならないと言うのだ。

この「神罰」説は、その後に、次のような信じられない出来事がこの町で起こったために、人々には、より迫真的な説明になってしまった。まず愛国党の支持 者たちはこう考えた。5年前の2007年の時点では(彼らの言によると)「エリアスを首謀とし、フェルナンデスを実行犯とする、(当時の政権党の)UNE 党勢力の陰謀による投票の不正操作」により敗北を期したが、今回の選挙ではそれをはねのけて――国政レベルでの愛国党の勢いも手伝い――念願の当選を果た した、と。しかし、当選から3ヶ月以上たった2011年の大晦日にその事件はおこった。大晦日には例年、人々は夜半から年が明けてからの真夜まで大量の花 火を打ち上げて新年の到来を祝う。愛国党の新しい町長の一族は、メルカードで雑貨を扱っているが、同時に爆竹や花火もまた彼らは商っている。その新年の花 火がメルカードの彼らの商店のまさにその中に飛び込んで、商品の爆竹や花火に「不幸にも」引火して、彼らの店そのものがあっという間に全焼してしまったと いうのだ。この時には、町長就任を2週間後に控えている愛国党の商人に振りかかった災難が、それに遡る3ヶ月前の神父の新車に対する放火事件との関係を当 然のことながら想起させた。しかし人々は次のように噂した。勝利に酔いしれたはずの新・町長とその兄弟たち一族の家産が火事で消失したのは、やはり(愛国 党のメンバーが多い)この一族こそが、フェルナンデス神父の自動車に放火したことの証明であり、神は奢れるこの一族に天罰を下したのではないのか、と。だ から、先の事件はやはり双方の側に非があり、どちらが正しかったのかという判断はできない。あるいはこれで、おあいこという訳だ。

冷戦期の時代から右派、左派、そしてリベラル派、「軍事主義」派を問わず、常套句として常に声高に使われ続けている「民主主義を建設する (constructuendo democracia)」ことが、地方政治の文脈の中でどのように具体的像を結ぶのかについて、今まさに試金石になっている。冒頭に触れた、村の先住民の 男性の「つまりグアテマラの民主主義は、民主主義じゃないってことさ("O sea la democracia de Guatemala no es democracia")」という言葉は、私には「日本の民主主義は、君が考えるところの本当の民主主義なのかい?」という自らへの審問として反響する。 私は、大統領をはじめこれまでの統治に携わる政治家が倦むことのなく繰り返し言う絵空事のようなスローガン「民主主義を建設する」よりも、この村人の鋭い 批判的分析 を彷彿させるこの言葉「つまりグアテマラの民主主義は、民主主義じゃないってことさ」のほうに、何か投げやりな批判以上のもの――有り体に言えば建設的提 言や審問――が含まれるように思われる。すなわち、政治の理念とは、ここで紹介した事例のごとく、つねに具体的な事象に即して考えなければならない好例で あると思われるのである。
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想定質問

1.政治的ヘゲモニーをめぐる対立のようだが,先住民集落であることが何か影響をあたえているか?

メスティーソとの混淆社会よりも、先住民の集落であることは、我々=民衆=人民という意識の同質性がつよくなり、価値観や行動観が均質であるように思わ れがちだが、ここでの事例の検討には、メスティーソとの混淆社会と同様に、政党や利益集団(profit group)が連携やあるいは紛争の主体になる点で両者の間に違いはないように思われる。「神罰説」は先住民が伝統的価値観に縛られ神話的世界を生きてい るという文化的ステレオタイプを裏打ちするようにも考えられるが、冷静に考えれば、それが非先住民の観点から見ても理解可能という点で、説得力を欠くよう に思われる。

2.地方分権というテーマをこの集落でやる理由は?

地方分権の理念・枠組み・政策手法は、少なくとも中央政府や地域文化アイデンティティの強化や援助に携わる欧米のNGOなどを通して、中央から周辺に齎 されるものだろう。地方分権の実態は、そのような中央からの「働きかけ」に対する、地方政府や市民の「応答」とのダイナミズムの結果であろう。中央からの 「働きかけ」は法律や政令など均質なものかもしれないが、「応答」にはさまざまなパターンがあることが考えられる。将来、地方自治体単位の「応答」の多様 性について考察するためには、まず、ある地方自治体の共同体内部のダイナミズムを詳細に分析する必要がある。

「民主主義」という中央からやってくる用語に対する、ローカルな「応答」。これらが、隣接する地域間での「比較」につながれば、「応答」のパターンがさ らに詳しく分析できるのではないだろうか。

3.地方分権と民主主義とのかかわりをどうとらえているか?

アレクシス・ド・トクヴィルは、民主主義の形成と維持に、習俗・習慣・慣習の重要性に着目し「自由の体験学習(apprentissage de la liberte`)」(小山 2006:68)こそが新生アメリカの可能性を見出している。小山勉(2006)によると「民主主義の3つの学校」として、自由の学校としての「地方自 治」、法的精神の学校としての「陪審jury」、そして共同精神の学校として「アソシアシオン」の様態を、新大陸での経験をド・トクヴィルは検討したとい う。その顰みに倣うと、グアテマラが多数派である先住民を巻き込んだ民主主義を生み出す可能性をもつのであれば、それは現在進行中の地方分権の経験からの ボトムアップ実践から理念を鍛え上げることにあるのではないか、という見通しをもつ。

4.対立する双方の言説のたてかたの相違点は何か?

当初は、町長派の政治手法に抵抗するある地元協議会派(COCODE)の対立構図しか見えていなかった。だが、実際には、町長選挙においては、さまざま な分派にわかれて紛争しており、また政策論争というよりも、町内における政治腐敗をめぐる紛争にほかならなかった。「民主主義ではない」という批判的理性 を、今後さらに探究するためには、「対立する双方の言説」を対照的に表現して分析する方法には限界があるかもしれない。

5.西欧的な法制度,政治制度が未消化であるがゆえに発生しているの問題なのか?

法制度や政治制度の基盤は、『年報』論文に論じている。法制度や政治制度のプラットフォームは不十分というものではない。それゆえ運用の未消化という テーマが出てくる。じっさいに、法は運用の基盤を整備するものであり、それを実際に使ってみないと、政治は機能しない。争点のない政治は、政治的反省プロ セスを忘却させ、人民が自ら改善する能力を削ぐことに加担するのではないか。法制度や政治制度を十分に機能する可能性があるかどうかを検証するには、十分 にそれを使って、その運用方式を通してさまざまな相違点をあぶり出し、彫琢していく必要がある。真の試練は、具体的な政治的プロセスの中にあるということ だ。

Credit: プリズムとしての地方政治:グアテマラ・マヤ系先住民の文化と自治(発表用原稿)

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