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アリストテレスの存在論

Aristotle's Ontology

池田光穂

アリストテレスの存在論。これが問題=課題の始まりです。

「ある」「存在する」(ウーシア,ト・オン)という 表現のなかに多様な意味があるだろうというポイントから出発する。存在者が存在者の全体であることの全体を指摘するのが存在論。しかし、ハイデガーは「存 在とはなにか?」という問いを隠蔽する——隠したり不問にしたりすること——したのだと指摘して、西洋の存在論には、存在忘却(後述)が綿々と続いてきた と指摘し、古代以来眠っていた存在論の近代的議論の再燃に貢献した。

ブレンターノ学位論文、Franz Brentano, Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles. 1862年は、113年後にRolf George により英訳"On the several senses of being in Aristotle"として、カリフォルニア大学出版会から出版されました。「私の仕事の途上において、最初に出会った本が、1907年以来何度も何度 も、Franz Brentano の Von der mannigfachen Bedeutung des Seienden nach Aristoteles だったのです」——このハイデガーの言葉は『言葉への途上』に収載されています。(ブレンターノの本の英訳の解説より)。ブレンターノが整理した、4つの 存在(様式)とは、1. Accidental Being, 2. Being in the Sense of Being True, 3. Potential and Actual Being, 4. Being According to the Figure of the Categories. でが、最後の4つ目のものについては、15の命題を立てて、存在とカテゴリーの関係(後者は、語の存在様式=秩序という観点から「文法概念」が多用され て)を詳しく検討しています。下記の2つの図は、そこからとられたものです。



★「ハイデガーは、「存在論という傲慢な言葉」(カ ントの表現)の意味を根本的に変質させてしまうという代価を払い、現存在の存在論的構造の中に実存的諸特性を刻み込む。この諸特性は、認識(了解、さらに は言語)を可能にする(いわば再洗礼を授けられ存在論的になった)超越論的諸条件として記述され(「基礎的実存疇」とか「現存在の存在の基礎的様態」とし ても示され)ているから、同時に彼は、超越論的なものの存在論化を行なっていることになる。こうして彼は、反対物どうしの混合を最も基本的なかたちで実現 する。この混合のせいで、彼のことを、対立する二つの立場のいずれに還元することもできなくなり、その立場を把握することができなくなるのである。この超 越論的存在論が、認識する存在を非存在(つまり、時間化する行為、投企)と定義し、存在と時間を同一視しながら歴史を存在論化して、超越論的なものの存在 論化を完成させると、右述の混合は、言わば倍加される。有名な転回(Kehre) が行なわれ、『存在と時間』の超越論的存在論および実存的分析論から距離が取られるという事態が、歴史の存在論化を経由して、全く自然に否定的存在論へ至 りえたのも、当然である。否定的存在論は、「存在とは何か」を「存在とは現存在に現われるかぎりで何か」と同一視し、大文字の存在を顕現のプロセス(一種 の「創造的進化」か)として提示する。そして、このプロセスの実現は、このプロセスを存在させる思考に依存する、つまり歴史性に身を委ね従うという「放下 Gelassenheit 」に依存する、とされるのである」(ブルデュ 2000:104-105)

クレジット:このページは、最初(2012年6月4日に[http://d.hatena.ne.jp/mitzubishi/20120604] のページで構築され、同じ場所にて改造を受けた後に、このページに移植されました:同年8月10日)[仮想・医療人類学辞典

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