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〈言語の翻訳〉における現場での混乱

池田光穂

21■〈言語の翻訳〉における現場での混乱

外国人への司法通訳や医療通訳における〈言語の翻 訳〉をめぐって現場ではしばしば混乱が起こっている。司法通訳では、刑事訴訟法に基づいて被疑者の取り調 べや裁判において公的費用により通訳がつくが、言語の種類や通訳者自身の言語運用能力における資質がまちまちのために、著しい差別や不平等の危険性を孕ん でいる。他方、医療通訳者は、医療と言語の2つの領域にまたがる高い専門性が求められるのに、その養成の現状は不十分である。さらに能力のある通訳者を派 遣するシステムと、質を保証できる通訳を確保し、それに見合った報酬や[場合によっては]リスクを[患者本人、病院、自治体などの公的機関のうち]どのセ クターが負担すべきか、という社会的合意も未だ形成途上にある。

司法や公共サービス部門における言語間の翻訳につい て、しばしば応用言語学や通訳翻訳学での問題点の指摘と、通訳者者の資質の向上、倫理規範の確立、専 門集団とそのロビー活動などが課題になっている。このような現象に私たちが関わる場合、それは従来の慣習や先入見に縛られることなく、諸外国の例を参考に しながら、もっとも適切と思われる翻訳の実践を、試行錯誤しながら作り上げることが必要であるし、そのために多くの市民の味方を得ることが不可欠である。 これは公共サービス通訳という存在が、人びとのあいだで〈市民権〉を獲得するということを意味する。

他方、誰しもがおこなうことができる言語や文化の 〈翻訳〉のほうは、人間の基本的能力の部類に入るものであり、通訳の利用者たちが感じるのは、こちらで ある。この能力のほうは制度的資格の必要性がないものであり、そのことについて他者からとやかく言われる筋合いのものではない。にもかかわらず、こちらの 翻訳は歴史を紐解けば、それらがつねに誤解や偏見を生んできたものであることも事実であり、分析の成果を十分に啓蒙(広報)する必要がある。

私は、「文化の翻訳」という人間の基本的な行動のレ パートリーについて、ふたつの社会活動の比較の観点から考察するものである。ひとつは制度的通訳と りわけ公共サービス通訳における必要不可欠な実践課題とされている「言語文化の通訳・翻訳」のことがあげられる。他のひとつは、文化人類学でおこなう「文 化現象の翻訳」であり、文化人類学とりわけ北米学派において中心的な規範をなす「文化の解釈」(interpretation of cultures)[Geertz 1973]のことであり、またアート的な知的伝統の中に位置する翻訳者の使命[ベンヤミン 1996]のことをも包含する。これらの知的伝統には社会の価値意識と美的判断が含まれる点で、文化人類学者たちが久しく共有してきたエートスであると 言ってもよい。また前者の通訳・翻訳は、多文化・多言語状況における民族的少数派の人権を保護するための具体的な実践に連なるため、テクネーとしての正確 さや技量が求められる、いまだ解明が待たれている「翻訳の行為」(act of translation)を指す。

しかしながら私の関心はこの分類的秩序の整理にある のではなく、これらの対比にもとづく考察を通して、日本の公共サービス通訳が正しく制度化されるため の具体的諸戦略を示すことにある。そしてこの発想が、文化人類学が提供してきたアート的な知的伝統(エートス)によって医療通訳と文化人類学の共同戦線を 可能なものにする条件を考えることにある。

異文化において調査をおこなう文化人類学者が、自ら がもつ自民族中心主義を克服して、自文化の調査研究を遂行するためには、対象者が考え行動するように 自分自身の感覚を他者に〈転移〉や〈同化〉をすることで、かろうじて自文化を相対化することができる可能性が拓かれる。この〈転移〉や〈同化〉は精神的安 定性を確保するという点からは極めてリスクの大きい実践である。

医療通訳行為を文化人類学的に考察する時の研究対象 は、(1)医療通訳者と(2)その被益者(外国人の患者)ならびに(3)医療通訳をめぐる日本の社会 的文脈に分けられるだろう。もし、文化人類学の知見が、医療通訳の制度化に貢献できるのであれば、臨床におけるコミュニケーション過程における被益者の考 えや行動に対して、いかに適切な「文化の解釈」を提供することができるかどうかであろう。逆に、不適切な「文化の解釈」が医療通訳者に対して提供されるの であれば、これは双方の発展にとって不幸の極みである。文化人類学における制度化と職業倫理の今後の形成は、この部分の倫理的関与に深く関連する事柄であ るが、これらの克服すべき理論的難点を整理しつつ考察してみたい。

《先入見=ゼロのコミュニケーションは不可能であ る》

先入見のないコミュニケーションなどないと言えよ う。先入見があるから、それを極小化するために、先入見をどのように自覚するのかが、焦点になるのである。

参照文献



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