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公共サービス通訳が必要とされる社会状況

池田光穂

24■公共サービス通訳が必要とされる社会状況

公共サービス通訳が必要とされる社会状況とは、複数の言語や母語話者どうしが固有に共有するそれぞれの文化が存在し、それらの間でコミュニケーション不 全の状態にあることである。むろん言語使用の多様性と言っても、その実態は多岐にわたる。人間の社会ではたとえ同一の言語を使用している際にも、標準語と 方言、ジェンダーや世代の違い、専門家と非専門家などの差異による多様な言語使用の実態がみられる。さらに同一文化においても人びとのあいだに(水と油ほ どの)価値観の相違すなわち幅の広い多様性がみられる。

人間が社会性を営むということは、この種の言語使用と文化の解釈を不断に行っていることにほかならない。この日常的実践は、我々がほとんど意識すること なしに、おこなっており、ある意味で行為者たちには無意識で、かつ自然化(=あたり前のものと見な)されていることは、実に驚くべきことである。したがっ て文化の解釈の可能性とはじつは様々なアプローチがそれこそ無限にあり、非常にダイナミックなものであることがわかる。

それゆえ、人は必ずしもすべてのコミュニケーションが、対話にもとづく合意形成を目的としているのではなく、場合によっては生存のためにやむを得なく相 互コミュニケーションがおこなわれることもある。人間はしばしば他者の文化の解釈を積極的には行おうとしない。文化人類学で言われてきたように、人びとは 自民族中心主義の世界を生きているのであり、この基本図式はグローバリゼーションやコスモポリタニズムが加速されても緩やかにしか変性してゆかない。この 自民族中心主義には、自分自身の理解の〈誤読や誤訳〉さらには他者への〈偏見の確認と助長〉をも含まれる。

このような性癖(エートス)を文化人類学者もまた持っており、自民族中心主義の世界に生きている。これは文化人類学者がここから自由になれることと矛盾 しない。自民族中心主義は、自文化と異文化との往還の過程ではじめて「発見」されるからである。それは文化人類学者の棲むふたつの世界と彼/彼女の両生類 的性質によるものである。文化が人々にもたらす解釈の多様性の実態は価値中立な観点から調査、分析されるべきであろうが、その解釈は人によってプラスには たらくと同時にマイナスにも働くことがあることを銘記すべきである。

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