あいさつ
西川 勝
2013/05/16 ヒューマンコミュニケーション 第5回
テーマ:あいさつ
担当:西川勝
【あいさつ】
「対人コミュニケーション」が話題とされるとき、「どのように話せば、相手に伝わるか」「どのように聴けば、相手のことが理解できるのか」という次元で
問題が立てられる場合が多い。言葉(声・文字)を介したコミュニケーションは、誰の目にも(耳にも)明らかなかたちをもっているので、検討しやすいのは確
かである。しかし、対人コミュニケーションにおいて言葉が登場するには、その前提として「ともにいる」「あう」ということが成立しなければならないはずで
ある。
今回は、コミュニケーションの原点として「あう」「ともにいる(別れる)」ということが社会的に相互承認される実践として「あいさつ」の意味を考える。
「あいさつ」として考えるのは、定型的な言葉や身振りのやりとりとする。
【課題】
1)あなたが今日であった人たちと、
どのような場合に「あいさつ」をし、
どのような場合に「あいさつ」をしなかったか、
また、「あいさつ」に迷ったときがあった場面でどうしたかを、
それぞれ一例ずつ、できるだけ詳細にその場面を記述する。
2)グループワークでは、各自の記述を紹介してから、「あいさつ」が対人コミュニケーションにおいて、どのような働きをしているのか、キーワードを3つ以
内に絞って発表できるように議論する。
【メモ】
【参考資料】
『関係としての自己』、木村敏、みすず書房、2005年
第T章 私的な「私」と公共的な「私」 より抜粋
● 「対人恐怖症」anthoropophobia ,social phobia
というのは、自分の身体的な劣等性や欠陥が他人から軽蔑されるとか、他人に不快感を与えるとかの確信から人前に出ることができない、という特徴をもつ一群
の神経症の総称である。その代表的な症状としては、赤面恐怖、表情恐怖、自己視線恐怖、異貌恐怖、体臭恐怖などがある。思春期・青年期に好発し、西洋諸国
と比べて日本人に圧倒的に多いとされている。
●
対人恐怖症状の出現しにくい状況と、出現しやすい状況とを比べてみると、前者(一方では身内、他方ではあかの他人)では、自己はそのつどの相手に対して、
どのような「心理的距離」――これは普通、相手とのあいだの「間」と呼ばれている――をとるべきかに迷うことが少ない。いいかえれば相手に対して、自らの
主体性をことさらに自覚する必要がほとんどない。相手との間を意識するということは、その人との関係における自己の主体性を発動することだからである。
(略)――象徴的な言いかたをするならば――それは自己が相手に向かって、ことさら主体的に「挨拶」する必要のない状況だということができる。
これに対して中途半端な顔見知りの他者との関係では、そこにもきわめて大きな濃淡の差はあるけれど、ともかくも相手と出会うためには自己の主体性を「対
自化」して、前面に押し出さなくてはならない。そこではつねに、個と個との対決、主体と主体のぶつかりあいという、抜き差しならない事態が発生する。身内
の人たちや不特定多数の他者たちの前では自己はその私的内面に安住することができるのに対して、ここでは自己は否応なく公共の場に立たされる。そして、公
共の場における自他の出会いを象徴的に表現するふるまいが、挨拶という行為にほかならない。(略)挨拶の必要な状況が、対人恐怖症の成立を促すといってよ
い。