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信じたいものを信じるバイアスから自由にな ること

池田光穂

Philip E. Tetlock, Expert Political Judgment: How good is it? how can we know?, Princeton University Press, 2005.
の所論を紹介した後で、シーナ・アイエンガー(2010: 159)がまとめる。彼女は、コロンビア大学のビジネススクールの教授である。

「専門家は、その世界観や持論の内容のいかんを問わ ず、自分の考えを裏づける情報を、そうでない情報よりも、積極的に受け入れる傾向があった。一例として、ソ連がいわゆる「悪の帝国」だというスタンスを 取っていた専門家は、スターリンが共産党穏健派によって地位を追われそうになっていたことを示唆する史料をソ連の文書館が新たに開示したとき、それを分析 してあら探しをした。一方、より多元的な視点を持つ専門家は、この史料を額面通りに受け取った。こんなふうにして、専門家とされる人たちは、ありとあらゆ る方法をひねり出して、誤っていた予測を「もう少しで当たりそうだった」予測にねじ曲げたのだ。そんなわけで、かれらは当初の予測を、事実に合わせて修正 することなく、それに固執し続けたのだった。/わたしたちも日常生活で同じことをやっている。自分の意見を裏づけたり、以前に行った選択を正当化するよう な情報を進んで受け入れるのだ。何といっても、自分の考えを疑うより、その正しさを証明する方が気分がいい。だから賛成意見だけをじっくり考慮し、反対意 見は頭の片隅に追いやる。だが自分の行った選択を最大限に活かすには、都合の悪いことも進んで受け入れなくてはならない。/問題は、このようなバイアスか らどう やって身を守るかだ」(アイエンガー 2010:159)。

ちなみに、この前の文脈で、アイエンガーは、テト ロックらの研究で「予測で生計を立てている専門家のほとんどが、ランダムな予想(あてずっぽう)と比べても予測精度がやや劣っていたこと」が明らかになっ たという(アイエンガー 2010:158)。

この事実は、針小棒大を警戒しなければならないが、 《専門家は基本的に信用してはならない》という市井の人の《炯眼》が決して完全に誤りでないことの最大の証左である。つまり、《信じたいものを信じるバイ アスから自由になること》は、たんに市井の人が囚われている罠だけではなく、信頼があるといういわれている専門家ですら、明白な間違いを平気ですることも あることの再確認になっているのである。

文献


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